個人開発用のCentOSサーバお引越し予定なんだけど今から構築するなら
CentOS7よりCentOS Stream 8とかいう奴の方がいいんかね?
EOLの時期はそんな変わんないみたいだけど
とは言っても、ツイッター追い出された人にまともな人いないしなー。
メモオフとはなんたるや、それを盤石にし文化を花開かせ根付かせた功績を讃える。
歴史を繋ぎ止め滅亡を阻止し、原理主義への復権を成したその偉業を語り継ぐ。
文化革命により新たなる風を起こした挑戦者たちに敬意を表し、また大いなる時代の終わりを導いた足跡を記す。
新たなる歴史を歩まんとする者へ大いなる期待と信頼を寄せる。
5 寮生活で寮母に丸投げ
改憲して諸外国に戦争を仕掛けられるようにし、さらに兵役義務を敷くことだ。
これによって男性の人口と男性平均寿命が減り、また男性側に兵役というキャリア中断期が発生するため、嫌でも女性の管理職や国会議員の数が増え、ジェンダーギャップ指数は大きく改善する。
内戦でまともな成人男性が激減したナミビアやルワンダがTOP10のジェンダー優良国の仲間入りをしているし、他のTOP10の国もノルウェー、フィンランド、スウェーデン、スイスが男性に兵役義務を課している。つまりTOP10の半分以上は兵役義務がある国なのだ。それに倣えばよい。
つまり憲法9条がジェンダーギャップ指数で日本が120位にとどまっている原因ともいえる。ジェンダーギャップ指数を改善するには、改憲+兵役義務(徴兵制)が一番効果が高いのだ。
なんというか、ネットワークビジネスなんじゃろ?やってたことって。いい感じに、詐欺師が炙り出されたんだろ。これ以上、放置すると警察沙汰になるから、一網打尽にされて良かったじゃん。普通はアカウントの取引なんてしないもん。実力あれば、全く問題ないし。
注射部に軽く物をぶつけたくらいの痛みがする程度。1回目より確実に痛くない。
なぜフェミニストは、いわゆる「表現の自由」に関する問題において「重箱の隅をつつく」のか?
自分はこう考える。
つつくべき問題はむしろ、数多の表現が詰まった「重箱全体が偏っている」ことなのだが、
重箱の中身のひとつひとつには特に大きな問題がないため、非難しずらい。
そのため、自他に分かりやすい、少しでも具体的な問題点が疑われる部分(しかし全体から見れば隅に過ぎない)を、
集中的に叩いてしまうのではないだろうか。
自分が「重箱全体の偏り」として捉えている例が、「家庭描写が多く長寿な4大アニメ」、
サザエさん・ドラえもん・ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃんである。
これらの名作は、昭和~平成初期までのスタンダードとされた家庭を元に描写されているため、
長らく人気コンテンツであり、子どもが(そして大人になっても)目にする機会も多いこれらの作品が、
家庭をとらえる意識に及ぼす影響は、計り知れない。
日本のアニメーションは原作者への属人性が高く、いずれも作者が鬼籍に入っていることから、
また日本の家庭における格差が広がったこともあり、各アニメの描写が共通して知られる「古き良き時代」として支持される一方、
現代における家庭描写が多い長寿アニメが生まれにくくなっている点がある。
そしてフェミニストたちは、こういった「広く偏っている事象」を指摘するよりは、
(あるいはそういった偏りをうまく言語化できず)
分かりやすい「絵面に問題が疑われるもの」を叩くという結果になっているのではないだろうか。
それではフェミニストは、半端に重箱の隅をつつくより、上記のような例を問題提起するべきなのだろうか?
制作当時のよくある家庭描写であるに過ぎず、これを指摘しようものなら、
炎上するだけで何も解決しないこと必至。とてもそうすべきではない。
繰り返すが、長寿アニメもその描写も属人性も、個々では全く何の問題もない。
「それが子どもの見る「アニメ内の家庭」で一定割合を占めている」ことが問題であり、
そのことを個々の作品に問うたり、即座の解決策を打ち出すことは、非常に困難である。
重箱の他の偏り例として考えられる、女性キャラの胸の大きさや露出についても同じで、
個々を指摘しても「見せていけない部分が見えている訳ではない」「他と同じくらいだ」となる。
それなら、どうすればいいのか?
正直なところ、漫画アニメなど表現の自由界隈ではなく、現実社会で動きが起こることで、世の中の風潮が変わるのを待つしかない。
前述の家庭描写についても、家事負担の面は改善されていないが、母親が専業主婦ばかりである点の影響については、
(夫の実質収入減という良いとは言えない要因で迫られたケースも多いものの、)現実では改善しつつある。
若い人を見ていても思うことだが、現実社会での人々の意識も変われば、
広範にまたがる偏った表現もまた、違う方向へと遷移していくものだ。
非常に個人的な見解になるが、日本は現状維持という名の価値観アップデートの欠如により、
しかしだからこそ、それが限界まで来たとき、何らかの面で痛みを伴うかもしれないものの、
現行の価値観からの急激な大転換が起こる。いや、望むと望まざると不可避であると思っている。
それを口実にミソジニーが現実の問題を矮小化するのも止められないだろう。