いつしかみんなから関心をなくし、話題から消えて、あるとき誰かがふと「そういやあいつどうしてたっけ?」って感じで毎年冷やし中華って消えてしまってるな
やがて季節がかわり誰とはなしにあいつどうしてるって言い出すころにまたアイツは帰ってくる
最近話題になっている宇崎ちゃんの献血ポスターの件なのですが、こういった事例は「自分がターゲットではない広告」への不快感が根底にあると思うのです。
基本的に広告というものは、ターゲットとする人々の欲望や強い興味を喚起する事を目的にして作られます。
そして他者の、特に異なる価値観を持つ人の欲望や強い興味は不快なものです。
今回の献血ポスターは「宇崎ちゃんは遊びたい!」という作品の読者やこういった作品を好意的に受け取る人という、比較的狭い範囲の人々をターゲットとした広告だったと思います。
そうである以上、ターゲットの範疇に入らなかった人にとって、今回の宇崎ちゃんのポスターは多かれ少なかれ不快感を与えるものだったと思います。
ですから、実際に「このコラボを今すぐやめろ!」と声高に発言するかはともかく、不快だと感じる事自体はむしろ当然起こり得る反応だったと思うのです。
では不快に思う人が居るという事を理由として、広告を出した企業や団体はこういった広告を取り下げるべきなのでしょうか?
私は広告を出した企業や団体が、自分達の価値観や立場に応じて判断すべき事だと思います。
広告を出した事へのメリット、デメリットを勘案した上でより良い、もしくは最悪ではないと信じる方を選ぶしかないのだと思います。
当たり前といえば当たり前の事なのですが、決定権は私達の側にはありません。
無論、こういった広告を公の場に出すべきではないという価値観が社会全体において支配的なものとなったのであれば、法や条例での規制という話もでてくるでしょう。
しかし、私は今はその段階には至っていないと思いますし、仮にそうなったとしても法や条例で規制すべきとは思いません。
その為には他者の価値観がどれほど不快であっても、それが社会の秩序を著しく脅かさない限り許容しなければなりません。
あいちトリエンナーレの様な例でもそうですし、今回の様な広告という形でも、可視化された価値観として社会は許容しなければならないと私は考えています。
その民族は、生まれた時から自分だけの一つのナイフを身につけるのが習わしでした。それはその人の魂そのものであり、誇りであり、誰もが常によく研いだそれを誇示していました。一方で、魂であるそれを穢すことは何よりの恥辱であり、それを用いて命を傷つけることを死よりも恐れていました。
ある時その地に移民がやってきました。移民は先住民たちに銃を突きつけると、武器を捨てるよう言いました。先住民たちは手に持った槍や弓矢を置きました。しかしナイフは身につけたままです。なぜなら、彼らにとってナイフは武器ではなく魂の証だからです。
「これは我々の魂です。それを捨てろと言うのですか?」
移民は驚きました。
「刃物が魂なんて野蛮だ。すぐに人を刺したくなるだろう」
先住民は言いました。
「ではあなた方は銃を手放した方がいい。すぐに人を撃ちたくなるでしょう」
まあ、タイトル通りなんだが、
ちゃんと避難して体は無事だったのが救い。寝具とか家電製品は死んでた。
それで、学生の住む住居が半壊ならJASSO支援金で10万貰えるって聞いて、一旦大学に帰って申し込んだんだが、一時的な住居は申請できないんだって。
もれなく病気持ち
そういうメッセージが全く含まれていない、と主張するつもりはない。だがそのような部分はごく僅かだろう。
そのメッセージが、誰の目にも触れる可能性のある、公共の場で、日本赤十字によって、発信されている。
これがアニメイトなら、アニメ好きだけが見るので、まだ良かった。
Twitterだけのキャンペーンなら、アニメクラスタの間だけで拡散されるので、まだ良かった。
やってるのが、雅子さまが名誉総裁を務めておられる日本赤十字ではなく、一般企業や個人なら、また意味が違ってきた。
揃うと、どうなるか。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
『宇崎ちゃんだけでなく、他の広告も美少女の胸や尻を強調した絵や、グラビアアイドルが体を強調した写真ばかり使っている社会』だったら、もしかしたらそうなるかもしれない。だが、現実はそうではない。
あるいは、『他は風景などを利用した広告ばかりでも、赤十字の宇崎ちゃんポスターが1つあるだけで、そのような強力なメッセージを発信してしまう』のか? それも違うだろ? どれだけ要素が揃っていようが、ポスター1つにそんな影響力はない。
現実には、男性の性的魅力を押し出すような女性向けポスターもある。あるいは性的な要素を組み込まないように注意したポスターもある。
宇崎ちゃんのポスター1つでどれだけ『「その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる』のかというと、影響は全く無いか、ごく少量でしかない。
また、そのような意識に影響を与え得るものは、何も公共機関の広告だけではない。家族や友達や先生の影響、男性向け雑誌のの広告、本や雑誌の記事などなど計り知れない。
厳密な測定をするならば、平行世界を観測できるようになり、『宇崎ちゃんのポスターが問題なく採用された世界線』と『採用されなかった世界線』を比較するしか無いだろうが…
ともかく、そのような意識を問題だと言うならば、むしろ自己決定権などに関する教育を重視することの方が遥かに重要度が高く、ポスター批判など木を見て森を見ない行為でしかない。
横だけど。元増田みたいに「アニメの番組ばっかりじゃん!」とか「そこらじゅうに卑猥なポスターが張ってある!」とかちょっとの事を自分の気持ちに引きつけて解釈しちゃう人がいるんだなぁ…という感じ。
なんか行っちゃってる感じだったな。
https://www.youtube.com/watch?v=4bfw3Vu-l18
素手でやってるって思ってるやつらがいるみたいだけど、素手じゃないよ。
石か何か持ってる。