2019-10-18

自分ターゲットではない広告」について

 最近話題になっている宇崎ちゃん献血ポスターの件なのですが、こういった事例は「自分ターゲットではない広告」への不快感根底にあると思うのです。

過去の例で言えば駅乃みちか問題なども当てはまると思います

基本的広告というものは、ターゲットとする人々の欲望や強い興味を喚起する事を目的にして作られます

そして他者の、特に異なる価値観を持つ人の欲望や強い興味は不快ものです。

今回の献血ポスターは「宇崎ちゃんは遊びたい!」という作品の読者やこういった作品好意的に受け取る人という、比較的狭い範囲の人々をターゲットとした広告だったと思います

そうである以上、ターゲット範疇に入らなかった人にとって、今回の宇崎ちゃんポスターは多かれ少なかれ不快感を与えるものだったと思います

ですから、実際に「このコラボを今すぐやめろ!」と声高に発言するかはともかく、不快だと感じる事自体はむしろ当然起こり得る反応だったと思うのです。

 では不快に思う人が居るという事を理由として、広告を出した企業や団体はこういった広告を取り下げるべきなのでしょうか?

私は広告を出した企業や団体が、自分達の価値観立場に応じて判断すべき事だと思います

広告を出した事へのメリットデメリットを勘案した上でより良い、もしくは最悪ではないと信じる方を選ぶしかないのだと思います

当たり前といえば当たり前の事なのですが、決定権は私達の側にはありません。

無論、こういった広告を公の場に出すべきではないという価値観社会全体において支配的なものとなったのであれば、法や条例での規制という話もでてくるでしょう。

しかし、私は今はその段階には至っていないと思いますし、仮にそうなったとしても法や条例規制すべきとは思いません。

社会は様々な価値観を許容すべきだと私は思います

その為には他者価値観がどれほど不快であっても、それが社会の秩序を著しく脅かさない限り許容しなければなりません。

あいちトリエンナーレの様な例でもそうですし、今回の様な広告という形でも、可視化された価値観として社会は許容しなければならないと私は考えています

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