なんで他人に善意を強要した上で、施しをもらえなかったら「他人が得することを嫌う人」判定なのか。申し訳なさそうにするのは成功率が上がるテクニックなだけであって、免罪符ではない。
善意を施すかどうかはその人が決めることで、お前が決めることじゃないし、つべこべ言っても向こうが悪とはならない。というか悪いの横入り慣れしてるお前だろ。向こうにとってお前に善意を施す価値がなかっただけのこと。受け入れろ。
反乱など起こるわけない
親が倒れた。うちは生活が苦しくて、自分のバイト代も生活費に回されるくらいだった。
自分で稼いだ金を少し使いたいといっても「誰が育ててやってると思ってる」と言われるようなくらい理不尽な親だった。
育ててやってるっていうなら家族を養えるくらいの金を稼いでから言えと言いたいくらいだったが、反抗するとDVで次の日学校へいけなくなるくらい殴られた。
そんな親が倒れた。もう動けない。当然収入もなくなるので生活もままならない。
が、俺が成人して働いているから扶養義務があるという話で生活保護が認められない。
生活もままならないという話をしても出来ないの一点張り(あとで調べてみたら保護費が少なくなるだけで受けられると知った)
そもそも親子だからといって扶養しなければいけないという状況が昨今の世の中はおかしいと思える。
こんな就活も難しい時代で、よしんば就活に成功しても給料が良いとは限らない状況なのに
なぜ親の扶養を必死こいて稼いだ金でまかなわなければならないのか。
バイト時代からずっと搾取されてきたのに、成人しても搾取されつづけて、お先なんか見えない。
結婚?無理。足かせが大きすぎ。
結婚できたとしても子供を作るにはリスクが大きすぎる。介護というふざけた壁が親が老いる前から立ちふさがる。
血縁だから扶養しろというが、子供の未来を潰していくような扶養義務ってなんだよと思う。
扶養から外れた子供は、世帯を持つ一つなのだから、親の世帯とは別に考えるのが筋だろう。
血縁だから、親の代わりにお前が苦しめという今の法はおかしい。
それでさえ、多くの若者はいずれ老いた親を介護しなければいけないという予定が出来上がっているというのに
これで生産性が無いなんて言われたら、そのとおりだよ、ねーよ。あるわけねーじゃん。
何度も言ったんだよ。毎月の給与がいくらいくらで家賃や生活費引いたら貯金もろくにできないんだよって。
いわゆる夜のお店に遊びに行く。
すると1人くらいはお気に入りができ、連絡先を交換し、毎回色々な話をする。
たまには同伴もする。
先日は夏祭り・花火シーズンということで、お互い浴衣姿の同伴をした。
いつも以上に話が盛り上がり、彼女の過去の話や写真をたくさん見せてくれた。
「単なる客と割りきった相手ならさすがにここまでするだろうか」と。
都市部のようなギラギラ、ギトギト、ギスギスしたようなことがあるとは考えにくい。
一度だけ誘ったことがあったが、体よく断られたのでそれ以降誘っていない。
かといって積極的に営業等してくるわけでもなく、営業らしいLINEが来たのは片手で数えて指があまるくらいである。
つまり私は「単なる客ではない」ものの、「プライベートで会うほどの価値まではなく」、「積極的に営業するほどの相手でもない」程度の存在でしかないと言わざるを得ない。
彼女は腹が立つくらい徹底している。
何気ない雑談LINEは送れば返ってくることもあるが、8割方彼女の勤務時間中にしか返ってこず、彼女のプライベートな時間を使ってまで返してくることはまれ。
彼女はおいしいところをしっかりもっていくが、私は一番おいしいところは手に入れられないのだ。
今まで幾度となく邪な思いを抱いたが、常にそれを抑制して適度な距離感を維持することに努めた。
彼女が負担・不安に感じそうなことは極力行わないようにしてきた。
その積み重ねがあって、先日の浴衣同伴も快くOKしてくれたのだと思っている。
私は人としてはある程度認められているものの、『男として』はまったく認められていない。
また、『積極的に呼びたい客』としても認められていないのだ。
しかし不思議と諦めようとかは思わず、むしろ「なんとしてでも振り向かせてやる」と躍起になってしまう。
まあ、慌てずに今の関係を維持しつつ、虎視眈々とチャンスを伺うか…。
諦めたらそこで試合終了だ。