堀江って坂本龍馬に匹敵する事業を何か成し遂げてたっけ。現時点で既に坂本龍馬より10年近く長生きしてる人なんだけど、「○○の最大の功労者は堀江だ」みたいな案件って何かあるの?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1455392894
「1万円のコース料理は(大人的に)それなりの付き合いだ」
大学生でも1万円のメシぐらいやりくりすれば食えるんだから、大したことじゃなかろ?
なにを、特別なことのように言っているのだ?という事をいいたかったのが1点
そして、じゃぁ、やろうと思うのかというと、お互い やろうと思えば出来るという事を知っていれば
別段、どちらかが、安メシが良いといえば、安飯で構わないものだ。
というのが2点
おまけに、強者様 バブル発言もあったけど、それも、そのとおりだと思う。
その観点からしても、「1万円のコース料理は(大人的に)それなりの付き合いだ」
はナンセンスだよね。
1万円飯が特別なことと考えるなら、元増田のように特別だからやらない。というのは普通の話だし
1万円飯が特別なことじゃない、と考えるなら、べつに、特別じゃないんだから、何時でも出来るだろ。元増田だって。
つまり、「1万円のコース料理は(大人的に)それなりの付き合いだ」
という指摘が、そもそも、ナンセンスという話。
全く耳を貸す必要のない戯言だな。
そうして、いろんなものを諦めた成れの果ては「ヒキコモリ」だ。
意味があるようで全く無い。
自分の価値観に強い意味があるから、他人の価値観に意味が無くなり、
諦め?馬鹿じゃなかろか。
だって、「諦めた」のでしょう?
「僕のおち○ちんしゃぶって下さい」って情けな~~~~~くお願いしてみなさい
そうすれば……シテあげるよ 童貞クン♪
これです。
仕事って何のためにしてるのかな。よく自己実現・成長のためとか聞くけど、それってホントかな。
目標があり、毎日コツコツと継続して学んでる人にとっては自己実現・成長だと思うけど。
俺みたいな人間にとっては仕事は苦痛でしかない。ただ、座って時間が経過するのを待つのみ。
こうなったら、悪循環。できるだけ速く帰宅できるように面倒なことには手を出さない。
弁証法的思考ってどういうものかご存じだろうか?
弁証法的思考とは、矛盾を解決したり、矛盾を矛盾のまま受け入れたりすることだよ
その一例を御覧にあげよう
まあこんな感じだ
...
...
...
『あらゆるものごとは、もしそれが意味を持つとしたら、それは矛盾を含んでいるからである』 - ヘンリー・ミラー[北回帰線]
偉人たちが散々に述べているように、世の中の真実というものは、たいてい矛盾をきたしているものなんだ
で、その矛盾を見出すということが、いわゆる弁証法的思考法なんだな
多少ずれてるかもしれないけど、好きなものに金と手間をかけるのを我慢することも、興味もないものに金と手間をかけることもどっちも変だと思う。度が過ぎてないかな。
世界の歴史(9)っていったら「大モンゴルの時代」じゃねーか!?って思ったら
河出のほうか。
中央公論と講談社と河出で同名のシリーズがあるので以後は出版社名も併記するといいかも。
個人的には「世界の歴史」シリーズっていったら中央公論社が一番有名で、出版社を指定しない場合はそれを指すような気がするが、ただの俺の好みかも。
追記
「聞いてみたけどダメだったわ」というだけの話じゃないの
殺しに行った相手に弟子入りするような変節漢で、でもブレまくってもなぜかみんなに愛される。
俺はボカロだけです。少なくとも現段階では。その曲含めて、人の声を加工したものは好き嫌いで語れます。
ミクでもしっかり調整されていれば、違和感は薄らぎますし、初期に比べれば大分慣れました。
しかし元増田でショックを受けたといったのは、人に似せる調整を放棄した音であるにもかかわらず、それを音ではなく声として認識している層がいるんじゃないか、ということを思ってしまったからです。絵でも現実からデフォルメしたものと、デフォルメした絵を見てそれをコピーするのではやっぱり違うでしょう。でも、直接現実から反映していないくても人を描いていると認識できるし、愛着を持つことを出来る人もいるでしょう。それに当てはまるのかな、と思ったので例に出したのです。
「よく考えろ」、それに尽きるのかな。
つくらなくていいと思うよ。
ただ、増田さん本当にそれでいいのか?ってことじゃないのかな。
他人にすすめられたりすると、「そんなに無理してつくりたくない。」
って思うことあるよね。
そうやってすすめられたりして嫌だった、っていうこと抜きにして、考えてみたら、どうなるかな?
進められるから嫌なのか、それとも本当にいらないのか。
たぶんおともだちは、「彼女がいたほうが増田がハッピーなはず・紹介して会ってくれたらますだがハッピーなはず」って思っているからすすめてくるんだと思う。
生前に残していた音源でアルバムを作ったり、別のバンドのサポートに入るなど、フジファブリックのメンバーは今も積極的に音楽活動をしている。
それは諦観のような感じもするし、少しでも前に進んでいこうというポジティブな精神なのかもしれない。
しかし、僕としてはやはり志村が生きていて、今もあの時のままでいてくれたらよかったのに、と思うことも多々ある。
志村が生きていたら。
曲を作っていたら。
歌を歌っていたら。
今はどんな音を鳴らすのだろうか。
ヨーロッパ中世とはどんな時代だったのかを、独自性と一般性を交えて、絶妙なバランスでまとめている。
本書の主要な記述の中で、特に気になったところだけ簡単にメモ。
・封建制度が成立するまで
→ローマ帝国崩壊後、ゲルマンによるヨーロッパ治世は次々に短命に終わった。(東ゴート、フランク、西ゴート、ヴァンダル王国)。背景にはゲルマンが信仰するアリウス派とローマ人が信仰するカトリックという宗教面の対立があった。上手く国がまとまらないままに、9世紀頃からノルマン人の侵入が始まる→略奪による領土の荒廃→国防は機能せず、地場の権力者が城壁を作ってごく小さなテリトリーの防衛を行う→そこを中心に農民があつまり、商人があつまり、騎士が集まる。自治の中心が地場の領主にシフト(国王の形骸化)。
→ヨーロッパの騎士はドライな権力関係で主君とつながる。日本の武士は忠義で主君に仕える。従って「二君に仕えず」が絶対だった日本とちがって、ヨーロッパは一人の騎士が複数の主君と契約を交わすのはざらだった。戦争の時でも、ヨーロッパの騎士は「●日間まで出陣する」と契約書に書いていれば、たとえ戦闘は継続していても、途中で帰ってしまった。
→地中海商業は破壊されずに維持された。一方で、話し言葉としてのラテン語は、人々にリテラシーを身につけるボトルネックとなった。
→皇帝の方が一段上。皇帝はキリスト教の神に認められた支配者。
「騎士道」の盛衰
→封建制の発達とともに、先頭の仕事が少なくなった兵士たちの間に生まれた。騎士が時代遅れになるのは、1400年頃の100年戦争期あたりから弓矢や大砲の技術が発達しすぎて、鎧の防御では間に合わなくなったためだ。彼らはぜいたくを美徳とした点において日本の「武士」とは違う。また、騎士は無学だった。文字が読める人間はほとんどいなかった。
「十字軍」の疑問。なんで、400年以上も前から取られてたエルサレムをとつぜん取り返そうとしたのか。
→背景にはヨーロッパ全土へのキリスト今日のて。土着の神々をキリスト教の「聖者」として吸収(例えば、サンタクロース)。
十字軍の帰結。
→封建領主に対する王権の強化。代わりに法王の権力は結局十字軍が失敗したことから凋落。
なぜその後イギリス、フランスがまとまってきたのに、ドイツはまとまらなかったのか。
→ドイツの皇帝は海外侵略に熱心で、内政をおろそかにしていたから(特に地中海遠征。たとえばフリードリヒ一世(1152-90)のシチリア遠征)
自分の場合、憧れの人はいつもいるものの、見ているだけで満足するタイプ。
遠い昔、「ご飯行こう」とか頻繁に誘ってくれる人がいた。
断る理由もなかったのでそういった誘いにずっと乗っていた。
正直に、相手のことは嫌いではないけれど好きでもないと言った。今考えると酷い。
相手はそれでもいいよ、と言ってくれたので一緒にいることにした。
半年経った頃、この人は自分のことが本当に好きなんだな、とふと思った。
一年後、自分は相手をとても好きになっていた。自分でも驚きだった。
相手がどんなことをしたら喜んでくれるかとか、何をするにも相手の顔が浮かぶようになっていた。
もっと一緒にいたいとか、一緒に出かけたいとか、もっと相手のことを知りたいとか・・・
明日会うのかと思うとドキドキして服装や身だしなみに気をつけたりとか、
そういったのが恋の症状かと思っている。
そんな自分は恋と遠ざかってしばらく経つ。
もう一度ときめきたいなぁ、と思うけれど仕事にあれこれ奪われ(これに不満はない。分かっていたことなので)
余裕もなくなるし、お金も時間も気力も仕事に注ぎ込みたいと思う気持ちもある。
恋はムリしてするものではない。
でも「好きじゃないのに付き合うのは嫌だ」というのはなんだかもったいない。
嫌いじゃなかったら付き合ってみる、という選択肢があってもいいと思う。
片方がとても好きで、もう片方は「まあいいか」程度でも付き合うことはできる。
人の気持ちは良くも悪くもかわるので、いつの間にか好きになっていたりする。