はてなキーワード: よもぎとは
宇崎ちゃん取り止めないなら献血許否しよう!
特に男性、ただしい脳による判断ができるかどうか試されています。— よもぎ団子 (@yomogidango0909) 2019年10月17日
すげーな。
ただでさえ日本に限らず、フェミが大暴れしすぎて嫌われ出して、近いうちに逆風吹くだろうなと予想しているのだけど、ここで自分から社会の敵になりに行くとはね。
これは思っているよりもフェミが社会の敵として逆に排他される日も近くなりそうだわ。
ただその時は女性の権利以外にもこいつらフェミやキリスト系カルトが散々漫画等の表現規制の為に悪用してきた子供の権利やLGBT等に対しても逆風が吹くのは避けられない事態なんだよね。
アサヒスーパードライのパッケージがピンクになって、普段の銀色ばっか飲んでる人が「味が違う!」とかいうまとめ読んで。
さくら説:そのまんま。さくらがピンク色なので。でもあまりにもさくらに影響されすぎじゃない?そう、それはテレビのさくらに騙される日本人のように…。(サクラ出演と無限に出てくるさくらという名前の曲のダブルミーニング) 後、個人的に花より団子なので、4~5月頃に父の実家から送られてくるよもぎ餅が非常に楽しみで、春のイメージといえばこのよもぎ餅が1番に出てくるのカラーとしては緑色です。
繁殖期説:繁殖期っていったらそりゃもう、いわなくてもわかるよな?個人的にこっちを推したい。でもそうすると、あまりにもあまりじゃありませんか。ひな祭りは女の子の行事としてピンクのイメージなのに、春と被ってしまったからといって、あまりにも…でしょうが…。
春は女の子の季節だから説:これは先程の後半で触れたひな祭りをもっと清く女の子のイメージとして使った場合説。春は女の子の行事が多い。バレンタインは今は友チョコとか言ってたが女の主導の行事だし、ひな祭りは言わずもがな。2月は冬?こまけぇこたぁいいんだよ、説なんだから。
年末年始に会社の同期と二人で四泊五日の沖縄に旅行に行ってきた。
初めての沖縄がとても楽しかったので、清算のための出納洗い出しをかねて日記を書く。
席だけあわせて別々に決済した。11/19の予約で二席連続で窓側いけた。一人25,490円。
11:30に那覇空港について、レンタカー屋に連絡して迎えにきてもらう。
普段は好きな車に乗っているので、沖縄ではなんでもいいやと思って楽天トラベルで一番安いのを探したところ、
聞いたことのない地元のレンタカー屋の軽が一番安かったので、かりてみた。
丸五日間で24,480円。noc保障はついてない ベーシックなプラン。
少し空港から遠かったけど、ペッパーに貸渡約款を説明させてたり不人気っぽい車を仕入れていたりと工夫があって面白かった。
借りた軽は29年式でナビがついてるスライドドアの軽。車内が広くてよかった。
ただ、金額的には大手のコンパクト1日千円ちょいくらいしか変わらないので、
意外と高速乗った+風が強かったのでハイルーフの軽は辛かったというのもある。
車を借りて最初に向かったのは昼ごはん。玉家本店というところでソーキそばを食べた。
ソーキうまい。感動。三枚肉とのミックスの大盛りで700円くらいだったはず。安い。感動。
よもぎがテーブルの上に丼に入っておいてあって、同期はめっちゃかけて食べてた。
俺は味に飽きたら入れようかなと思ってたんだが、気付いたら食べきっていた。美味かった。
その後は読谷村にある日航アリビラというリゾートホテルに向かって、早めにチェックインをした。
一番安い低層階の朝食付きプランを予約してたんだけど、最上階にアップグレードしてもらえた。部屋がひろくて、眺望も良くて嬉しかった。
その日は朝から同期が、飛行機のラゲッジからタイニーな女の子の荷物を出してあげたりとか、勝手に転がってった他人のスーツケースを止めたりとか、なんか良いことをしてたのでそのおかげかなって話をした。
荷物を置いた後、ビーチを散歩して、近くの御菓子御殿の本店にいって紅芋タルトを買った。
ここで仲の良いほかの同期へあげる用に、2人で土産を買った。10個入り1,080円のいい感じのサイズ。
夕飯は軽めでいこうかという話になり、嘉手納町のゴーディーズというハンバーガー屋でハンバーガーを食べた。
てりたま的なやつにした。量が多かったので食べきれるか不安がよぎったが、
味が濃すぎなくてすごく食べやすかった。また食べたいもののひとつ。セットで千円ちょいくらいだったはず。
同期が頼んだオプションのトッピングのハラペーニョは、ピクルス的なものが輪切りで提供された。
ハラペーニョの実体を初めて見たりと思って観察していたのだが、唐辛子だぞと笑われた。
ためしに一個もらったけど美味しかった。手でつまもうとしたらフォークのほうが良いとのこと。
手で触ったあとに目を擦ったりするとやばいらしい。アメリカンも大変だな。
帰りがけにスーパーに寄った。
旅行に出たときに、スーパーの品揃えをみて東京にないものを探すのが好きなんだけど、
お握りの具に油みそという見慣れないものを見つけたので、ビンのものを探して買い、ホテルの部屋で泡盛と一緒につまんでみた。
刻んだ豚肉が入っていて、甘塩っぱい味噌で美味。気づいたら同期がほぼ食べていた。
ホテルの部屋からイルミネーションみたいな明かりがみえて、なんだろうと思って検索したら電照菊というものだった。
菊を夜中も照らしながら育てることで、促成栽培をするらしい。
この近くでは盛んに行われているようで、見えた明かりはとても綺麗だった。
二日目以降も気が向いたら書く。
北海道の大手菓子製造会社でこの数年結構有名になったんじゃないかと思うんだけど
(少なくとも柳月や六花亭くらいの知名度にはなってるかな、というのは道民の錯覚だろうか)
道内の市場では様々な種類のシュークリームや洋菓子、ソフトクリーム、
レストラン部門のオムライスなんかがメジャーで有名なんだと思うんだけど、
北菓楼は和菓子のほうが上手だ!って個人的にめちゃくちゃ思ってる
特に消費期限が1~2日の普段使いのおやつ、大福やまんじゅうがめちゃくちゃおいしい
これらは売っている店舗が限られていて、デパ地下でもあるところとないところがあるので
遭遇するのが結構難しいんだけど、時々店舗を通りかかる際に売っているのを見つけたらラッキーなので必ず買ってしまう
それらの中で特にすばらしいと思うのが「夢開拓草饅頭」というよもぎ饅頭で、
これは結構色んなところに置いてあるんだけどとにかくよもぎの濃さといったらすごくて
生地にたっぷり草!そのものの重量感と水分が残ってるようなもっちりしっとりした饅頭で餡子ももっちりしててとてもうまい
今はもう要介護5になってしまった祖母が昔作ってくれた手摘みのよもぎ饅頭のような感じでとにかくおいしい
大通本店にはよもぎ大福というのも売っていてこれがまた饅頭に負けないレベルの重厚なよもぎ感のある生地ですげーうまい
でも餅生地自体は結構さらっとしてて口溶けがよくておいしいんだ 89円っていう値段も素晴らしいと思う
今の時期はかぼちゃ饅頭というのも出ていてこれがまた蒸生地も中の餡もすばらしく柔らかくさらっとした口どけで
手亡豆の白餡に絶妙なバランスでかぼちゃ餡が混ざってるところにバターが入っていて、
洋菓子のような味わいをちょっとつけてあってこれがもうすごくおいしい…これも89円でさすが大手の菓子屋だなって思う
大手の菓子屋になったはなったんだけど北海道の田舎町によくあるお菓子屋さんは、
昔から基本ケーキも和菓子もお遣い物も日々のおやつも一手に作る和洋菓子屋で、
六花亭もそうだけどその名残を北菓楼も今もよく残してるというか
それこそこういう素朴なお菓子のおいしさが和洋菓子屋の面目躍如なんじゃないかな~、
大手菓子屋の「おやつ屋さん」的な側面を味わう楽しみってたまらない
といっても実際に亡くなったのは数年前のことで、彼女がはまっていたものを宗教と言っていいのかも微妙なところだ
誰にも言えなかったことを吐き出そうと思ったら長くなってしまった
私が物心ついたときから母はその手のものが好きだった。インドのヨガマスター?の団体やアーユルヴェーダ、断食などに興味を持ちそのいくつかには私も参加したことがあった。家にはスピリチュアル系自己啓発本が何冊もあった。
私自身幼い頃なので詳しく覚えているわけではないが、彼の教団が形成される段階のうち比較的初期の方に出会っていたようだ。
したがって当初その関わり方はいわゆる信者ではなく弟子のように直接的なもので、なん家族かで彼の家に泊まりに行ったこともあった。彼の子供を含む歳の近いものたちで海に行ったり花火をした思い出もある。ならなぜわざわざ「教祖」と呼ぶのか。それは、母が金をつぎ込んでいたからである。
たとえば彼の家の近くによもぎ蒸し風呂を作りたいという話。これは消防署から許可が降りず、出資した数百万円は水の泡になった。このようなことは何度もあった。母は専業主婦だったため独身時代の貯金、父の収入、そして実家からも借金をしていたようだ。この活動は命に関わる難病と診断されてからより一層激しくなった。
母とその仲間たちは彼に心酔していた。しかし私はそれに従いながらもどこかで疑問に思っていた。これは定かな記憶ではないが、ある日それが高じて母の日記を盗み見たことがある。そこには
「今日は(教祖)先生の夢を見た。膝枕をされている夢だった。これが性夢だろうか。この先より高いレベルに到達したらもっと先の夢が見られると先生はおっしゃっていた」というようなことが書いてあった。耳年増だった私はその意味するところに思い至りすぐに日記を閉じた。
また、母は彼から叱責されたり冷たい態度をとられると泣いて塞ぎ込んだ。私との血縁関係よりも公的なことを優先しなければならないと言った。これはその先生の言う「この世の人のためのこと」を実践するという意味だった。
テレビや市販のお菓子や肉食を避け、引越しをし、出資した。ある女性は中学生の娘を祖父母の元に預けて家を出たと聞いた。合宿では朝昼夜にそれぞれ講義を聞かされた。通話ソフトを通じた先生の講義中は子供たちも会話は許されず、座禅を組みながら聞くことを推奨された。母はこの世の人を救い、それによって救われるらしかった。私もそれを漠然と信じていた。先生の理念を叶えるため事業につとめる母は苦しくも生き生きとしているように見えた。そのころには先生にも頼りにされ、上位幹部的な存在だった。
しかしある日母が死んだ。
死因は不明だが恐らく急性の心筋梗塞か脳梗塞。まだ眠っているような安らかな死顔だった。
先生に電話をかけたら泣いていた。彼の教えは母の、少なくとも物体的な命は救えなかった
母と私は療養のため普段は父と離れて暮らしており、久しぶりに家族全員で過ごしていたときのできごとだった。私はそのまま父の元で生活をはじめ、数年が経った。
その間ずっと私は母に複雑な思いを抱いていた。
私は母のことが大好きだった。母が難病だと知って、もし母が逝ってしまったら私も死のうと思っていたくらいだ。いい母だった。いろいろなことに挑戦させてくれたし、教団を通じて出会った同年代の友人とは今でもとても仲がいい。私の体を心配して、寝る前にはマッサージをしてくれた。病をおして出かけてくれた。強制することなく学問的素養をのばしてくれた。たくさん愛の言葉をかけて抱きしめてくれた。
それでも彼女は不安定で、先生にすがっていて、私よりも世界の方が大事だと言った。世界を救うのと言った。母の温かさに直接触れられなくなってしまってからは、それがフラッシュバックして、日記を忘れられなくて、なにかに引け目を感じたまま生きてきた。
私は生活に不自由したことはないし父にも母にも愛されて育ってきた。母がなくなったことを勘定に入れても恵まれているほうだろう。それなのにそんな気持ちを抱いてしまう自分が嫌だった。
去年の終わりごろ、その先生と会った。母の死以来はじめて話した先生は痩せて酷く弱っているように見えた
彼は涙を流して謝って、母のことを本当に大切に思っていたと言った。私のことも娘のように思っていると言った。そして息子と結婚しないかと持ちかけて、帰っていった。
そしてその一週間後に彼は死んだ。
この日記を書いたのは、その縁談相手から久しぶりに連絡が来たからだ。
彼は彼の信じるものに従って母の忘れ形見の私を守りたいと思っているのだろう。私の価値観とはズレるところがあるが、善き人であるのは確かだ。
気になって彼らの現在の活動を調べてみた。とてもうまくいっているようだった。理念は変わらず、ホームページの表記に宗教色はあるものの、自然派の人をターゲットにした事業で真っ当に成功しているようだった。口コミも不自然でない程度によかった。世界を救えるかはともかく、普通に面白い試みだと思えた。公式Twitterもそこそこ流行りに乗ってた。母のかかげた理想は、思ったほど馬鹿げてもなかったのかも。母の苦労は報われつつあるのかな。
今になって思えば私は母にとって絶対的に一番の存在になりたくて駄々をこねていただけなのかもしれない。彼女は私が求めるほど完璧ではなかったけど、けしてただ弱い人だけのじゃなかった。「この世の人」の中には私や父、母自身も含まれていたのだと気づいたのは最近のことだった。歳をとるごとに母の強さを感じる。
私はきっとその活動には参加しない。でも私自身が大人になりつつあること・その団体の成功を知ったことで哀しい宗教家としての母は死んでいき、先見の明があって優しくて賢い大好きな母の姿をもう一度曇なく信じられるような気がした。そしていつか誰にも恥じずに母の話をしたいと思った。