はてなキーワード: 顕名とは
Togetter - 「francesco3氏」と「めがねおう氏」の炎上ツイートまとめ
その昔非モテというものがあり、今では二つに分かれ、ひとつは『関わってはならないサイト』に、もうひとつは非モテを名乗ることをそのものをやめた。
なぜそうなっているかと言えば、「ママのお人形」と形容される元来の資質もあるだろうし、他者に不快さを与える先天的な顔の造作の悪さもあるだろうし、今で言えば発達障害などの広汎的な不良もあるだろうが、いくつかの要因を元に、慢性的に幼児期からカジュアルに疎外されつづけた結果といえると思う。
カジュアルな疎外というのは、単にキモいといわれるようなこと、それだけである。
長年にわたり複数からキモいとか、なんでお前もいんの?とか、私の机に触らないでとか、二人組作ってーなどと言われ続ければ、塵も積もれば山になるのであって、人格の奥底に自分が自分であるが為にキモいという意識が形成されていく。
『自分が自分であるが為にキモい』というのはすなわち、自己表現してはならないということである。
自己を表現したら不快と思われるような存在否定の意識であり、自己表現をしないか、キモい自己表現のみが許される。服装は典型なオタクルック、闇に隠れるように地味さで、声は誰にも聞かれぬよう細々と小さく、趣味もキモいと思われるような一人遊び。
そのために非モテたちは、非モテとなる以前は名前のない誰かであった。分かり易く憐憫・同情されるほどのエピソードは持たず、しかし慢性的にカジュアルに疎外され、誰からも慰めて貰うことなく、その結果哀れで卑屈な人格が形成されているが、他者からみれば『努力不足』『甘え』と形容される、どこにでもいる名前のない誰かである。
ネット時代が到来し、名前のない誰か達に自己表現の春がやってきた。
彼らはいつのまにか集い、巣を作り始める。だが看板無き場に人が集うことはない。大きな前提条件として『モテない』が自然発生的に選択された。『モテない』は実に分かり易いカジュアルな疎外の経験として、大多数の『キモいひと』に共有されていたからだ。そして彼らは、喪板や非モテと言ったコミュニティを作り上げた。
カジュアルな疎外経験を自分語りすることによって、彼らははじめて互いに憐憫・同情・受容する場を得たのだ。
匿名か顕名というネット特有の大きな距離感はむしろ、疎外されることのない安心感としてうつった。
真の自己が孤独だと感じていた者が、自分以外の同じような経験に触れることは、なによりの癒しとなる。
場に癒された者は、自らも場に溶け込もうとし、その為の経験は十分に豊富で、そしてその経験も平和的に共有されていった。
自己表現の病を抱える者にとって、名前が付くことは実に安心できるもの。しかし、非モテで安心することは、失敗である。
コミュニティが形成されれば、時と共に煮詰まっていくのは仕方ないこと。
コミュニティが生まれればそのなかで更なる承認を得たいとする意識がうまれ、ばかげた内部闘争が始まるが、全くもって無意味なゴミに過ぎない。大別すれば2種類あり、一方はとにかく『モテたい』ひと達である。自己否定の表現である『モテない』と、希求の『モテたい』はおおいに違うので、自己を非モテに受け渡した人は揉めたのだろう。
そもそも欲望の大本は何だったのか・・・といえば、彼らはただ、自分を知って貰い憐憫・同情・受容されたかった。でなければ、コミュニティが形成されることもない。
『自分を知って貰い憐憫・同情・受容されたかった』という感情。
非モテの感情を規定する両輪。慢性的なカジュアルな疎外のなかで肥大化した攻撃性と、受容されたいという弱々しい自意識。具体例を挙げるなら、秋葉原加藤の理不尽に暴発した攻撃性と、被害者よりも加害者加藤の生活史に思いを馳せてしまうやさしさ。これがいまでは具象化され、非モテコミュニティに顕現している。一方はミソジニーであり、もう一方は同族に対する共感。しかし、この共感さえローカルなものであり、矯正されるべき共感とされる。
ミソジニーといえばフェミニズムに関連があるが、非モテはフェミニズムと親和性が高い。
痴漢vs痴漢冤罪に代表される主語の大きな人たちによる性別間代理戦争も親和性の高さの表れと言えば確かにそのひとつであるが、何よりも『自分が自分であるが為にキモい』から救済されたいとする意識が、『女性性からの解放』つまり自己表現を闘うフェミニストと親和的といえる。
なぜミソジニーになるのか。単に誤爆してるだけだ。抑圧移譲。弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く。たとえ疎外されたとしても、誰かを疎外してはならない。疎外の中で肥大した攻撃性を纏って許されるのは、『性差別構造』を背にする女性か、その立場にたつ者のみである。慢性的なカジュアルな疎外は、そのカジュアルさから『敵』を固定することができない。非モテが背にするものは何も無く、敢えてあるとするなら非モテホモソーシャル程度なので、孤独に籠もることは正しい選択肢だ。
さらに言えば、性別間代理戦争は、権利を勝ち取ったフェミニストに対する非モテの嫉妬でしかない。単純化すれば、なぜこちらを助けてくれないのかという叫び。何故お前らは『俺<男性>の理不尽な被害にも思いを馳せないのか』、という怒り・妬み・嫉みを、最も強く表現できる闘技場。『痴漢vs痴漢冤罪』は場として使われている。
すべての被害体験は理不尽なものだが、女性の被害はたまたま『構造的な問題』と合致していたが故に、同情され、受容される。もっと言えば、女性への同情・受容は、『男性への攻撃』を纏っている。誰からも慰めて貰うことない非モテは、受容される女性の姿に妬む。そして個人的な被害体験の記憶に、『なぜあちら側だけ』『なぜこの上殴られるのだ』というような思想的疎外感が加わり、ミソジニーは加速していく。
女性の被害意識が『構造的な問題』として処理されても、非モテには適用されない。なぜならば、非モテの被害意識はきわめて個人的な女性からのいじめや暴言を発端とするからで、男性・女性全般とは無関係なのだ。『男性の最底辺』が理不尽な被害を受けたに過ぎず、男女全般で見れば男尊女卑の構造は維持されているのだから、転嫁することは不可能である。『構造的な問題』があるならば、非モテが被害を受けたことではなく、被害の声を上げられなかった場合に限られ、これは男性性暴力被害者が女性のそれよりも過小視される問題と地続きといえる。男性は何があろうと、強く逞しくあらねばならない。
弱々しい自己を守ろうと、パワードスーツのごとく男性性<攻撃性>を身に纏うミスを犯したあわれな非モテの、女性全般やフェミニストへ向けられた言論なんてものは、単なる無知か差別意識の発露として処理され、一方で男性性防護服を脱ぎ捨てた非モテは、代わりに身を守ってくれる<他者のやさしさ>も得られないのだから、自らのために立ち上がるような力すら失い、わずかに残る白馬の王子的な空想を胸にして、世界との関わりから後退していくばかり。だいたい、未だに男尊女卑がスタンダードなので、このような非モテ男など取るに足らぬ『例外』に過ぎず、決して『マイノリティ』を形成するほどではないのだ。
一部の非モテたちは何を思ったのか、個人的な左翼趣味を土台に恋愛至上主義を打倒するなどと言う大いなる目標を掲げたが、残念なことに、こんなものは『例外』が個人的充足の希求を社会そのものに直結してしまった時点で無理筋である。結局、Twitterでゆるゆると馴れ合う以下の充足しか得られず、破滅に至った。
男性性を剥き出しのままにする自制なき非モテは、そのアクティブさから結婚なり、非モテを道具に用いて商売に転化するなりで成功し、それはまさしく健常な男性の姿。これが正答である。
一方、自制ある非モテは元あったところ『名前のない誰か』に戻っていった。攻撃性は厳しく律され、女性全般などに誤爆することなく、過去の記憶に、自らの内側に、抽象的な世界そのものに向かい、生まれてこなければ良かった、既に全ては終わっているという意識に至る。その自制の強さ故に自己表現の病から抜け出せないのなら、孤独のまま人知れず終えるしかない。
非モテは死んだ。出口など無い。あるものは残骸のみ。
疑うどころかそもそも一回も触れてもいない
なぜそうくりかえしくりかえし
はてさて、本当に横なんだが。
というようなことを釈明するのかわからん
そこがそんなに重要なところとも思えない
顕名についてだけれど、出発点が間違ってる。
「どのように間違ってるか」を
具体的に説明できてくれていないと困る
えーと
あなたさっき
1.それなりにネット上に根を張って活動していた人でなければ発言出来ない、評価されないのか
と述べた
なので私は
1.元エントリ書き手は「それなりにネット上に根を張って活動していた人」なので心配要らない
と返答した
あなたの再返答はこのあたりの流れを踏まえているんだろうか
どうも話を繋げようとしてないように見えるんだが
横・横と続くと、本当に横なのかよと思われそうなのでねw
顕名についてだけれど、出発点が間違ってる。
それって、言っては悪いけれど、勝手に顕名で書いただけでしょ?
はてさて、本当に横なんだが。
?
その件についてなにか疑っているようなことを書いたかな
さっきも誤解のないように注意して書いたつもりだけど
「言わんとする事がよくわからない」というのは
「何を言おうとしてるのかよくわからない」
「あなたの文を上手く読解できない」
それはいわゆる「捨てアカウント」と言って、実質的に顕名ではないと思う
これも「否」と言うことであれば、それなりにネット上に根を張って活動していた人でなければ
このツリーの元エントリの書き手は
・達者にはてな記法を操っている、
匿名で発言するしかなかったのではなくオプションとして匿名にしている
元エントリが扱っている問題についてはよく知らないが
どうも同じ問題について顕名で書いてる非有名人もたくさん居そうに見える
ところで今はあなたの方向性はわかったけど
改めて読み返してもhttp://anond.hatelabo.jp/20110302123843は
何を言ってるのか全くわからない
そうかなあ
きっちりした指弾なら顕名でやった方が絶対いいとおもうけどなあ
「所詮匿名だし」っていうのは、その「冷静な周囲の目」も同じように思うんだぜ
本当は、きちんとした意見や反論なら誰が言うかは関係無いのだけど
「まともに論陣も組み上げられない負け犬が子どもじみた悪口を言う為に寄って来る」
特にその意見がが誰かとの論争や喧嘩のような状態の中にある場合は、
匿名ダイアリーっていう場所を選ぶことには慎重になった方がよい
所詮ここは
「○○は痛い!(○○のどの部分がどういう理由で良くないのかは頭が悪いので全く説明できない)」
追記
ところでもちろん
そのhirofumitouhei氏とLibrahack氏のどっちがあかんのか俺は知らないしどっちかに加勢するものではない
念の為
議論?相手の顔も見えないのに何を考えてるんだい君は。変なやつだな。
だいたい「3割で納得できるから割合を認めている」ってどういう理屈だい。
議論好きなんだろ?導出してくれよ。ぼくにはできないな。
君のまた勝手な思い込みと決めつけで話が進むんだろ?
僕が言ったのは実際にそういう人と接した体感的なものなんだから、思い込みなのは当たり前だけども、
まさか議論だとかいう奴から妄想しながらふっかけられるとは思わなかったよ。
精神やんでないといいけど。受験して情緒がぶっ壊れちゃったのかな?
ここで議論とやらをしてるやつはよっぽど暇なんだな。
議論するにも不都合なとこだし、そこで議論しようということはおおかたぼっちなのだろう。
そういうサークルに入ればよかったのに。
2通り考えられる。
サヨク系偽善者の多い顕名サービスであるはてなブックマークでは否定されにくいと言う可能性がある。
否定するとidの声望が下がったり、サヨク粘着に目をつけられると言う空気があるから。
逆にまとめサイトでは何のはばかりも無くマジレスがつくと言うわけだ。
無駄に学歴水準が高いはてなブックマークでは、それなりに抽象的で高度な話もきちんと理解してレスをする人が多い。
一方、まとめサイトではごく標準的な学歴・知性のネット民が増えるわけだから
はてなブックマークよりも頭が悪い、感情的で脊髄反射的なレスが増える。
何の話かわかってないとか、全体を読解出来てないまま勢いで反発するようなレスが増えるということになる。
このパターンだと前者の声の方が聞くべき声だと言っていい。
自分をきちんと律しているということだよね。
私のアカウントは諸事情により今の勤務先でわりと知られているので、(つまりなかば仕事でとったアカ)いろいろ怖くてツイートできない。
一番怖いのは、深夜にツイートしていてもし翌日寝坊したらどうしようということ。言い訳できない。
ほかにも、趣味系のツイートを見た嫌いな人がリアルで絡んで来たらどうしようとか。
「●●好きなんですか?自分もなんですよー。今度一緒に▲▲しませんか?」
とか言われたらどう断ればいいのか。
自分が早く会社上がれた時、のんきにつぶやいているのを一生懸命残業している同僚が見たらどう思うだろうとか。
気乗りしない誘いを「すいません用事あるんで」とか嘘ついて断ったとき、その時刻に「暇なう」とかツイートしちゃって嘘がばれたらどうしようとか。
自惚れてキョドってんじゃねーよおめーのツイートなんか誰も見ちゃいねーよということは分かってるつもりなんだけど、勤務先が絡むだけにどうも神経質になってしまう。Twitterはブログなんかとくらべて「うっかり気が緩む」度合いがハンパないこともあり。
まあコミュニケーションスキルが低くて敵や嫌いな人間ばかり多く作ってしまう自分が最大の原因だな。
顕名でそんなことやってりゃ
どれほど下調べを済ませていても想定外の質問を受けることぐらい誰にでもあるよ。
それを十把一絡げに口篭って逃げてると非難することはできないって。
それぞれ事情は違うだろうし、その多様性は認められるべき。
自分が言ったことについて説明できないことを「恥」だとも思わず居直るようなのは
「多様性」などではない。それはただの馬鹿、低能、としか言いようがない。
恥と思わず居直ることと、非難が肯定されるべきかについては別問題。
それをあなたが決める権限はない。
野暮な指摘かもしれないけれど、
上手くいかなかったら嘘をつくというのは
とりあえず、顕名というのは読んでいる人が誰が書いているかわかっている状態だね。