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はてなキーワード: ジャイアント馬場とは

2017-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20170702143632

高校三年生

カセットテープ・・・親が使っていたので知っている。進研ゼミ付録についてきた。A面とB面がある

MD・・・ケースのまま入れられるCD

VHS・・・小学校のころまでビデオを見ていた。知っている。

フロッピーディスク・・・知っている。

テレホンカード・・・持たされた。知っている。

ポケベル・・・数字を入れるやつ。知っている。

PHS・・・親が使っていた。知っている。

ゲームボーイ・・・友達、先輩が持っていた。知っている。

ダイヤル回線・・・電話回線ネットを使うみたいな?

だんご三兄弟・・・歌をどこかで聞いたことある

ジャイアント馬場・・・知らない。

ノストラダムス・・・から聞いた。後、ケロロ軍曹

多摩川タマちゃん・・・多摩川に来たあざらし

風太くん・・・知っている。レッサーパンダ

オウム真理教・・・知っている。ドキュメンタリーを見た。

はてな・・・うごめも日本死ね

長州小力・・・長州力プロレスラー?)のものまね。キレてないっすよ

波田陽区・・・~ですから~残念~の人?

ヒロシ・・・ヒロシですの人?当時はやったのは知らなかった。中学の時に初めて知った。

ダンディ坂野・・・ゲッツイエロージャケット

極楽とんぼ山本・・・知らない。加藤個人的に嫌いであまり興味ないがアナウンサーだとは思ってない。

有吉コンビだったこと・・・知らない。あまりきじゃない。

最近高校生と話して通じなかった言葉一覧

https://anond.hatelabo.jp/20170621224255

最近高校生と会話する機会があると「あの言葉知ってる?」と片っ端から聞いてしまう面倒なおじさんになってしまった。

で、高校生数名に聞いて理解されなかった言葉をただ並べていく。

カセットテープ…?」

MD…?」

VHS…?」

フロッピーディスク…?」

テレホンカード…?」

ポケベル…?」

PHS…?」

ゲームボーイ…?」

ダイヤル回線…?」

だんご三兄弟…?」

ジャイアント馬場…?」

ノストラダムス…?」

多摩川タマちゃん…?」

風太くん…?」

オウム真理教…?」

ちょっと前まで現役で使ってたモノは大抵知らないし、

10年前の芸人ブームだった頃(2002~2007年くらい)に流行った芸人は当時幼稚園くらいで記憶になく、どういうネタをやっていたかも知らない。(長州小力波田陽区ヒロシダンディ坂野、あたり)

極楽とんぼ山本は見たこともなく、加藤芸人でなくアナウンサーだと思っている。

最近よく出るようになったヒロミは何者なのか全く知らないでテレビを見ている。

よく芸能界辞めたあとはスポーツジム経営をしていたみたいな話をするので、

ヒロミのことをホリエモンとか与沢翼みたいなもんだと思っている。

有吉コンビだったことも知らないが、SMAPが6人だったことは何故か知っている。

面白かったのは、俺の観測内では「アントニオ猪木」の知名度100パーセントだったのに「ジャイアント馬場」の知名度ゼロだったこと。

ノストラダムスについて、当時本気で地球滅亡すると思って犯罪に走った奴が相次いだことを伝えると「日本にそんなのを信じる奴がいたなんてとても信じられない」だって

1999年当時の話は、彼らにとって、とても野蛮な発展途上の時代のように聞こえるようだ。

俺らが昭和時代の話を聞くように。

オウム真理教」の知名度ゼロ自分が生まれる前の事件だし、そりゃそうか。

オウムを知らないので、よくわからないまま入信する大学生が増えている」と5年前から聞くようになったが納得。

大学内でオウムが「ヨガサークルでーす」と勧誘しているそうだ。原点回帰しただけじゃねーか!

あと、女子高生で「わたしアニオタなんですよ~」「BL好きなんですよ~」「コスプレするんですよ~」とか聞いてもないのにアピールしてくる奴ほど、ニコニコ動画2ちゃんねるを知らない。

今の高校生にとって動画サイトとは、ようつべ一択

高校生ニコニコ2ちゃんねる知名度は半々。

フェイスブックはオッサンリア充アピールするためのキモいSNSという認識

SNSといえばツイッターInstagram

高校生はてな知名度ゼロ

以上、俺の狭い範囲内での観測結果。

ちなみに俺は28歳だが、高校生と会話が噛み合わなくなってきた。

もうオッサンだなあ

2017-05-25

うに濁点つけて喋る同僚

バラモス⇒ヴァラモス

万歳ヴァンザイ

バーミヤン⇒ヴァーミヤン

ジャイアント馬場ジャイアントヴァヴァ

お婆さん⇒オヴァサン


気になって仕方がない!!!!!!!!!

でも言うほどのことでもないし!!!!!!

でも気になるぅぅ!!!!!


こういう時神経質な性格が嫌になる。

2017-03-23

プロレスラー 世代区分

新日三世代くらいまではよく言われているけど、それ以降の世代けがからなかったのでまとめた。

表記は「名前(生年/デビュー年)」で、デビュー年順に並べている。

第一世代

力道山(1924/1954)

二世

ジャイアント馬場(1938/1960)・アントニオ猪木1943/1960)・坂口征二(1942/1967)

三世

藤波辰爾(1953/1971)・ジャンボ鶴田(1951/1973)・長州力(1951/1974)・天龍源一郎(1950/1976)・佐山聡(1957/1976)・前田日明(1959/1977)

第四世代

三沢光晴(1962/1981)・川田利明(1963/1982)・武藤敬司(1962/1984)・蝶野正洋(1963/1984)・橋本真也(1965/1984)・佐々木健介(1966/1986)・田上明(1961/1988)・小橋健太(1967/1988)

第五世代

小島聡(1970/1991)・天山広吉(1971/1991)・中西学(1967/1992)・永田裕志(1968/1992)・秋山準(1969/1992)

第六世代

真壁刀義(1972/1997)・丸藤正道(1979/1998)・棚橋弘至(1976/1999)・柴田勝頼(1979/1999)・中邑真輔(1980/2002)・諏訪魔(1976/2004)・潮崎豪(1982/2004)

第七世代

中嶋勝彦(1988/2003)・オカダカズチカ(1987/2004)・宮原健斗(1989/2008)

中邑・諏訪魔・潮崎の扱いが難しく、デビュー基準だとデビューが早かった中嶋・オカダと同時期になってしまうが、年齢的には前世代という印象が強い。どうだろうか。

2016-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20160328225739

ちょっと横綱待遇について調べて見るといい。

公的私的わずものすごい厚遇にびっくりすると思う。

横綱になったということは一種の大スターになったと言っていい。

ぞろぞろとタニマチを連れ歩き、大勢付き人マネージャーが付く。

はっきり言えば、ベッキーである

彼女不倫という私的トラブル立場を追われた。

横綱というのは力人の最高位であって、全てを圧倒する強さを持って、清潔なイメージを保っていた頃のベッキーのように人気を誇っているのだ。

横綱に昇格したと言うことは大関以下とはまた別の競技性をもつスポーツをしているようなもので、全盛期のジャイアント馬場のような


秋田

2013-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20131010215322

前に何かで↓を読んだことある

 

プロレスとは「面白人間大集合」のことなのだから台本があるとかやらせとかがあってもインチキってことにはならない。

プロレスインチキと言ってもいい時があるとすればジャイアント馬場の本当の身長が165cmだった時だけだ。

2010-08-15

CASSHERN~なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 単に、紀里谷和明監督への嫉妬か、妬み・嫉み・恨みなのか。

 しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督リアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。

 つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。

  CASSHERNは、人間感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)

 CASSHERNクリティカルさというのは、そう、ブライセリフに集約されている。

「つまり、憎しみとは、人間也!」

 さらに、キャシャーンキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味モノローグを語っている。

人間の性は、悪だ(人間性悪説

人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)

 これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説ベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。

 しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間

「憎しみとは、人間也!」

 というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画テーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。

 このテーマを容認できない人にとっては、監督独善、ということになるのだろう。

 

 さて、この映画は、キリスト教的な救世主の受難を描いている。

 伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。

 しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。

 しかもキャシャーン抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこ映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。

 最後に鉄也は戦場で犯した自らの罪業を認識して、懺悔する。

 が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。

 では、鉄也の懺悔無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画テーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズ「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。

 さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエスキリスト物語を髣髴とさせる。

 だから、キリスト教圏では、この映画日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。

 過去に、日本アニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジ救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジ人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。

 もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオ誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。

 ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画ひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。

 80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹逮捕ホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画システムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画とりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。

 無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というそ姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的プロレスファンは旧来のプロレスシステム破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。

 従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターカリスマ化していく作品としては、「最強伝説黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。

 すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。

 僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERN賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。

 そしてこの映画テーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。

 このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的能力が皆無なので……。

(04/5/1 本田

2010-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20100715202622

あまり重要でない部分に、あまり説得力のなさそうな具体例の列挙をしていて……構成が気になってしょうがない。

停滞=経済成長のこと? 何を持って停滞としてるのかよくわからない。

ファイナルファンタジーとかまぁ、ドラゴンボールとかの例があったけど、

それらが話せるのは時代が停滞云々ではないと思うし。10年間同じ世代に人気が続いたなら……

例えば、中学生は必ず読む本必ずするゲームがあれば、10年前中学生の人も10年後の現在中学生の人も、その話題を喋れるわけでしょ。ポケモンとか良い例じゃない?

要は、作品やコンテンツのその時の世代的な広がりと、それ以降の時間的広がりに影響しているだけじゃないか。

昔のジャイアント馬場とかが、今のドラゴンボールなわけでしょ。

さらにいえば、現代は停滞?というよりは情報網の拡大や消費者ニーズの多様化・それにまつわる多様な商品開発が促進されて、

むしろ、メガヒット=その世代の人は全て読んでます・その世代以外の後の世代も読み続けます。みたいな作品は今後はむしろ

小数化する(している)んじゃないか・・・??

2010-03-30

履歴書趣味欄に「読書」って書くとダメなの?

ジャイアント馬場は大変な読書家でした。

面接に来た事務員が履歴書に「趣味読書」と記入していると・・・

読書趣味ではない。人間が生きる上で必要な事なんだ。」

・・・と言って履歴書を書き直させたそうです。


この話を高校生の時に聞いて、以降 履歴書趣味欄に読書と書いていない。

2008-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20081213103312

お前そんなこと言うけど、Ubuntuなんてカリスマブロガーには程遠い人間で、何のコメントもしてないのにスターがつくことあるんだぞ?動くだけで賞賛されるんだ。あいつははてな界のジャイアント馬場だ。

2008-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20080310153216

俺もジャイアント馬場に会った時は心底興奮したよ。

地方都市JRで、小学校の俺が塾に通うためにいま一つ盛り上がらない気持ちで、開く電車のドアを眺めてた時だった。

そのドアの向こうからジャイアント馬場が姿をあらわしたんだ!言葉を失う瞬間っていうのを身をもって味わったよ。

ただ、どうしてだろう、その時はでけぇ!って感想はほとんど浮かばなかったな。

それよりも何よりも俺の心を打ったのは、周りの女子高生にキャイキャイと囲まれて『照れてる』ジャイアント馬場だっでた。

「でけぇ!あ、ジャイアント馬場だ!」っていうよりも「照れてる!すっげー照れてる!あ、ジャイアント馬場だ!」って感じだった。

その後塾で友人たちに「んなところにジャイアント馬場がいるわけねーだろー」って片っ端から否定された悔しさは今も忘れてないよ。

めちゃめちゃすげぇと思った俺の有名人

もう20年近く前だが、上京して間もないころ。東京駅で人波に揉みに揉まれて悲鳴をあげそうになっていた。そのとき、地下通路のかなたに、ひとごみから超然と肩口を突き出した人影が見えた。

馬場さんだ、ジャイアント馬場さんだ!」

でけぇ!本当にでかいんだ!本当に興奮したよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080310151843

2007-11-25

なんたらサーガ

 地響きがする――と思って戴きたい。

「――君は、」

 判る者には判るであろうが、地殻変動の類のそれではない。

世界征服をどういうことだと考えるかね」

 目の前に、一人の女が立っていた。

 なかなかの巨体だ、と問いを投げかけた男は思う。

 だが、男のその認識は間違っている。

 巨体というのは、基本的に縦と横――特に縦――が揃って異様に長く、ある種の威圧感(オウラ)を放ってこその巨体であると思う。

 たとえば、アンドレ・ザ・ジャイアント

 たとえば、ジャイアント馬場マウント斗羽でも可)。

 たとえば、大豪院邪鬼(初期)。

 しかし、今男の目の前に立つ女は、全く縦は長くない。

 横長。女性に向かって言うのもアレだが、正直べらぼうに太い。

 最早ここまでくると、お世辞にも丸いとは言えない。

 プッチンしたプリンと表現すればいいのだろうか。

 それとも鉄人定食の中華丼の飯の盛り方、のほうが適切だろうか。

 まあ要するに、それは霊峰富士と言うかアンコ型、というか。

世界ちゃんこ)の半分を征することだと思うでごわす!」

 頬の肉がふるふると揺れた。

 声は意外に可愛らしい。外観と全く釣り合ってないが。

 『バカばっか』とか『――長い夢になるわよ』とか言っている人に(言いたくはないが)かなり声質が似ていた。

 一体どのような素材なのだろう、今述べたような体格だというのに着ている服は全くはち切れる様子を見せない。まさに繊維の神秘。

 腰には何故かまわしが巻いてある。謎だ。

「――ほう?」

 確か“ちゃんこ”とは、我々が潜伏しているこの愚国が国技などとのたまっている競技の選手主食とする鍋物だったか、などと思いながら、男は続きを述べるように促した。語尾が少々気になったが。

ちゃんこを征するにはちゃんこの半分をどすこい! その半分を征するにはそのまた半分をどすこい――」

 何か致命的な言語較差を感じながらも、男は黙って聞き進める。

 そのまま熱く語り続けた女のほうはと言えば、

「(中略)――するには、はあはあはあ、一枚の肉からでごわす!」

 息切れしていた。

「――よかろう」

 ナニが良いのかは今イチよく判らなかったが、男は満足げな笑みを浮かべ、うやうやしく両手をひろげて立ち上がった。

 そして、

「君を我が理想推進機関! アクロスの構成員として迎えよう!」

 女の瞳が輝く。

 いよいよ。いよいよ待ちに待った――、

「君のコードネームは…………そう!」

 “四股名コードネーム)”を戴く時!

「“ハイアット”!!」

 ――灰熱徒(はいあっと)。なんと良い四股名なのだろう。

 このような名を戴いたからには、この身捧げて命投げだし脇目も振らずただひたすらに騙してすかして横入り他人を踏み倒し蹴りをかますがトンズラはこかない愛という名の忠誠心を誓わねばならない!

 感謝の意を込め、親方に敬礼を!

 女は忠誠心燃えていた。

ハイル!」

 両足を直角ガニ股に広げ、両手をその膝にあてがう。

「イル!」

 その体勢から右足の直角を維持したまま高々と上げ、そして、

「パ」

 ……降ろすことはできなかった。

 何故なら。

「――――ゴッ」

 びっしゃああああ。

 と、派手な音を立て、灰熱徒はおびただしい量の血を吐き、

 どっすううううん。

 と、派手な音を立て、あくまでも体勢は維持しながら、倒れた。

 男――アクロス総帥・イルパラッツォの身体が、瞬間的に浮いた。

「ふむ?」

 いきなり倒れたハイアットを見て、微笑みとともにつぶやく。

「――――やれやれ、血気盛んなことだ」


 惜しいけどなんか違うぞ。


      『灰熱徒白星番付表(ハイアットサーガ)』

             又の名を

        『エクセル(との体重の)差が』


 一方そのころ本編ならば主人公エクセルは。

「何も考えずに、走れぇ―――――――ッ!!! ナニ!? 『無理ですよこんなの』? 馬鹿ッ! 大丈夫! 理屈じゃないの! 理屈じゃ!」

 不法入国者収容施設にて反乱煽動していた。(一部原作と異なる)

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