はてなキーワード: うちの猫とは
うちの猫は今日もものすごく暇そうにしている。窓の外を眺めたり、毛繕いをしたり、ご飯を食べたり、うんちをしたり、猫じゃらしを追いかける他にすることがないから、ほとんど寝て過ごしている。その様は気持ちよさそうにも見えるが退屈しているようにも見える。ただ単調に過ごすこと、これが猫に与えられた使命であり、生そのものなのである。そして猫に限らず少なかれ、いきとし生けるものはこの憂鬱を抱えながら生きている。ただじっと待つこと、生きることの大半はこれに占められている。
退屈はいつも身近にある。たとえば雨ふりの庭、教室の窓から眺める雲、持て余した昼休み。頬杖をつき、なにやら取り止めのないことを考えながら、ただじっと時が過ぎるのを待つ。つまらなくって、嫌になっても時計の針は早くは進まない。時計はただ無機的に、砂が流れるのを刻んでいる。まぶたが重くなって、頭がぼんやりとしてくる。退屈が私を呑み込んで、支配してしまう。それでも私はただひたすらに終わるのを待つしかない。
けれども、果たしていつ終わるというのか。そもそもいったい何が終わるというのか。生にまとわりつく、引き延ばされた時間が終わるとするならば、それは死んだということと同義である。ようするに、待っているのは死という決定的な終止符に他ならず、言ってしまえば死を待つことこそが生きるものの宿命なのだろう。そして、やはりこんな取り止めのない日記をつけているのも退屈だからに他ならない。つくづくやれやれと思う。
猫ちゃんによると思うけどドアノブはすぐ覚えるから縦にするとりつけにした方がいいと思う
ドライバーがあれば5分でできる
うちは餌と水は100均の皿に入れてあげてて朝と夜に一度づつ取り替えてるだけ
自動であげるやつは様子見て購入したらいいんじゃないかな、無駄遣いになるかもだし
餌はずっと同じものだと飽きるみたくいきなり食べないようになる時期があった
今は3種類の餌をローテーションしてあげるようにしてる
だいたい3日に1回ウンチするペースだけどウンチの回数が多い分にはいいけど少ないと心配になる
最初のうちはちょっとした変化が気になって病院に連れてくことも多いだろうしペットキャリーも相性のいいやつがいいかも
うちの猫を無理やり抱っこしてキスしたり、勝手にお菓子与えたり、勝手にまたたび入りのおもちゃ買ってきて(幼猫なのに!)押し付けたり、おもちゃを投げて「取ってこーい!」って遊んだり。
そこで「やめてよ無理やり構うの」って言うと「いやいや猫はそれがいいんだよ」「またたびが子猫に害な訳ない!」と持論展開。
いくら20年前に猫3匹飼ってたからって私の猫に勝手に常識押し付けないで欲しい…
あと猫に水道水あげてるのに、私の見てないところで勝手にミネラルウォーターにするのも、
大人用のお菓子あげようとして私に制止されると「お前のお母さんは怖いね〜」って言って猫を捕まえて抱っこするのも
あと勝手に部屋のインテリア模様替えし始めるのもやめてほしい。
自他の境界線無さすぎか?
怖くて孫も作れないわ…
猫が死んだ
最期は何も食べなくて大好きなちゅーるも食べなくて、でも少しでも一緒にいたかったから無理にでも口に突っ込んだ
まだ体力があった頃から薬もご飯も人間一人で押さえつける必要なく飲み込んでくれたし吐き戻さなかった
いいこだった
久しぶりに聞く大声で、でも声がでない様子でうにゃうにゃ言ってから、横向きに倒れた
横向きの足を伸ばした体勢も久しぶりに見た
舌を出してハーハーと音がするような呼吸をしてた
撫でながら名前を呼びかけた
しばらくしたら猫が自分で体の向きを変えて、最近見慣れたスフィンクスのポーズになった
息は荒いけど口は閉じてて、ちょっと落ち着いたのかと思った
電気を消して撫でるのをやめた
またしばらくしたら、また立ち上がって小さくうにゃうにゃ言って、そのあと若いとき何かにじゃれついて大興奮したときみたいな動きをしだした
ゴミ箱を前足で叩いてた
私の膝の上に乗ろうとしたようにも見えた。抱えて乗せればよかった
生き物が死ぬときの様子が怖くて手は出せなくて、横たわったまま吐くような動作をしているとき、これはのたうち回るというやつなのではと思った。あるいは断末魔
それから目を見開いたまま動かなくなって
お腹の呼吸の動きも止まって
でも声をかけると耳は動いた
名前を呼びながら撫でた
髭をさわっても目が閉じなくて
心臓の動きが感じられなかった
23:51のことだった
うちの猫も昼間は伸びきってるw