最近、傷病手当金に頼り、僻みながら日々を過ごしております。この過ごし方は、廃人的とも形容されるかもしれませんが、魂の彷徨いがそれを必要としているのです。
時間がたっぷりとあるこの期間、時折、魂を育むこと、そして金銭的な繁栄を望むことの相克が私を悩ませます。数学とは異なり、金儲けは社会構築主義の象徴であり、その大いなる魔力に挑むことは容易ではありません。Googleが言う一言で、何もかもが風化してしまうのです。
私自身が何かを創り上げたとしても、それを流行させることが可能でしょうか。思考の中に、幾つかの輝かしいアイデアが踊っている。ブログや掲示板のようなプラットフォームを構築し、ユーザーにコンテンツを魅了させ、その中に巧妙に広告を散りばめ、収益を築くことは魅力的である。しかしながら、この個人的な冒険は、法の迷宮に陥ることを意味しているのかもしれない。匿名のホスティングを成功させたとしても、Googleは私のサイトを愛情込めてスパイすることはないだろう。
これらの状況に対する私の不満は、身に染みるものです。権力者たちが流行を独占的に操るこの現実に、私は唾を飲み込むのが精一杯です。では、弱者の私にはどのようにしてお金を稼ぐ手段が残されているのでしょうか?情報商材を売りさばく、そんな卑しいやり方しか浮かびません。堅実に企業に身を置く道は、奴隷のように、せっせと稼ぐことしかできないかもしれません。
しかし、正義とは何か、悪とは何かという観点から見れば、お金などは最終的には誰か他の誰かの借金でしかないのです。謙虚に、控えめに、生きることこそが、真の善と言えるのかもしれません。私は小さな企業の中で、誰にも気づかれない存在として、日常を送り、余暇に数学と向き合う。これが、私にとって丁度良い生き方なのかもしれません。
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今宵は確立過程の闇に心を奪われておりました。広がる闇に、数学の実応用が果たす役割を疑念の火で照らしました。
数学が現実に繋がることこそが、私にとっての心の闇でございます。確率論を学ぶ度に、それが金融に用いられるという言葉に、リーマンショックの影を見るのです。金融市場は決してブラウン運動ではなく、その不確かさゆえに、勝利の果てに待つ利益は、危険と釣り合うほどのものでなければなりません。
不透明な情報の中で、隠れた策略を巡らせる者たちが利益を築く、これが現代経済の真実かと、私は疑念を募らせております。信用創造の背後には、貨幣の価値が他者の債務に裏付けられている事実が潜むのです。
私は虚構のギャンブルを想像し、コンピュータによって模擬することに魅力を感じており、それは数学の研究の一部であると思っておりました。しかしながら、その虚構が実際の金融の舞台に持ち込まれる瞬間、危険なるゲームの渦に巻き込まれることへの不安が、私を襲い立てるのです。
数学は、基本的な法則を美しさの中に見出すことが可能な芸術でありながら、金銭的利益の最大化という領域に足を踏み入れると、その美しさは消え失せてしまいます。私はプログラマーがアルゴリズムを創出する世界ではなく、発見の魔法に心魅かれているのです。
そう、私が追求したいのは、発明の道ではなく、探求の途であります。この日、私の中で、やりたいことへの純度が高まった気がしました。私は発明者ではなく、探求者であることを選びました。
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深夜の翳りに身を晒し、今やっと眼を覚ました。これは魂の夜ふかし、そう呼ぶべきでしょう。
さて、私は時折、American Mathematical Society(以下、AMS)の書籍を求める運命にある。特にStudent Mathematical Libraryというシリーズは、その薄っぺらい体裁ながら、研究の奥深さを体感できるとても理想的なものであり、よく手に取ることとなる。しかし、その紙一重の薄さの背後に隠された内容は、従って、大学院の学生にのみ耐えうるものとなっている。昔、あまりの熱意から何冊か買い求め、積読の山を築いたこともあるが。
その山に埋もれる中、一つの書を読み尽くしたことがある。それは、数理モデリングの書であった。数理モデリング、これは往々にして、ラグランジュの未定乗数法などのよく知られた方法論に頼る傾向がある。しかしながら、AMSの書籍はそのくだらない枠組みにとらわれず、多彩な事例を探求していた。とはいえ、フレンケル教授が言うように、数理モデリングと言っても、ついには「ペンキ塗りの数学」である。
私は数学の最前線を垣間見るようになり、調和解析と数論の奇跡的な交差、フェルマーの最終定理、ガロア群、保型関数など、その深遠さに驚嘆する日々である。最近は、経済学に数学を結びつけることに強い興味を抱いており、mean fieldのような奥深い謎が私を惹きつける。
学びたいことが山ほどあり、私の能力と時間には限りがある。何を学ぶべきか、と悩むのはやむを得ない。しかし、コスパを重視し過ぎると、ついにはペンキ塗りの典型に陥ってしまうだろう。複数の数学の領域を結びつけることは、即座に実用性が見えるものと、その応用が果たしてどこに行くのか見当もつかないものがある。伊藤清が指摘するように、「実用を考慮しなければ、数学で遊ぶことは限りない」。この観点から見れば、私が探求すべき分野は、確率論の領域にあるのは明らかだろう。確率微分方程式とゲーム理論の交わる地点は、実用性との調和によって成り立つ、その方向へと進む決意を固める。
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異常な幻想の網に捕らわれ、PTSDの闇に沈んでおり、仕事からの離脱を余儀なくされております。
その幻想は、あまりにも鮮烈であったため、現実か夢か、いまだに疑念が拭えぬものとなりました。
認識の糸が紡ぎとどけず、安定した現実がどこに棲むのか、それを問い詰めざるを得ません。
思考の結晶を抽象的な形に仕立て上げ、それを操ることは、極めて魅力的であり、しかも財政的な負担は一切生じません。
傷病手当金の恩恵に浴しており、感謝の念に堪えません。その支給期間が続く限り、職場の扉を閉じる覚悟でおります。
この転向した日記は、"勉強日記"のカテゴリーからの移行でございます。
"勉強日記"という名は、絶え間ない学びを要求されるという、何とも重苦しい響きがあったため、精神的な疲弊を感じておりました。
"廃人日記"の名に変えることで、統合失調症の患者が日々の苦闘を語る場として、うってつけでございます。
真正性の保証のために、特別なプロセスにより、内容にハッシュ値を刻み付けることに決意いたしました。
他のブログプラットフォームも一縷の望みを託しましたが、結局、匿名性の高いダイアリーが最も筆が進むようでございます。
私は、被害妄想に囚われると、コンテンツを一掃する衝動に駆られますが、匿名ダイアリーはその記録が永遠に残るという、安心感をもたらしております。
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