古い施政者がなぜ断罪されるかの理屈が公共の場で共有化されなかったって話が主題なので、斜め読みして上げ足取りされても困りますね
やっとわかった。
実際にあったこともない痴漢冤罪を想定してやれ男差別だなんだのギャーギャーぬかしてるやつって、警察官から職質にあって不愉快な思いをしたことがある連中とほぼ一致してるんだな。
ネットでしょっちゅう「職質にあったら逃げろ」とか「任意なので従いません」とか言ってやたらと反抗心あおるようなことが記事になるけど、あれはプライドが天ほど高く爪楊枝よりもろいキモメンに劣等感を激しく抱かせることだからか。
普通に生活してて職質にあったことない人からすれば「別に質問に素直に答えれば身分証提示しなくてもおとなしくすむんだから協力しろよ」と思うけど、見た目で犯罪者扱いされたということが中2から成長を止めた非モテ童貞にとっては屈辱であって絶対従いたくないことなのか。
だから「痴漢冤罪とかねーよ。普通に謝ればいいだろ」とかいう感覚もわからないで「世の中の女は見た目で俺のことを犯罪者だと思っているはず」とありもしない猜疑心にとらわれてる。
哀れだな。
理解はしたけど同情はできそうにないわ。
まぁ、西洋的な政治哲学概念において判断すると、という話ではあるけどね。
ずっと二重政治を続けていると公共概念が希薄化する、簡単に言えば誰が悪いのか分かりにくくなって「こんな世の中になったのは○○のせいだ!」と声を上げにくい社会構造
幕末期で言えば、黒船に侵略されそうになってはじめて朝廷が悪い将軍様が悪いと押し付け合って軍力を奪い合って、暗躍するものはそれぞれに暗躍し、薩長同盟からの無血開城になるのだが、
これは一方では、「人的つながりでなあなあで話し合った結果の革命つぶし」だと言える面もある。自民がやってきた政治や、あちこちの会社で見られる「社内政治」みたいなのにも良く見られる密室性。
これは、二重構造の問題に加えて、「暗躍した」というのが、未来に大きな問題を積み残したという見方もあって、
内戦や革命を経なかったことで、結局誰が悪いのか「公共の場」で理論化・共有化することを放棄することになった。国民は公共概念を理解できないままというデメリットが200年後まで残る羽目になってはいる。
内戦や革命は、国体と市民のそれぞれの責任と役割の位置づけを、国(コミュニティ)全体で共有化するためのプロセスだったりもする。
人が死ぬことで身に沁むこともあるんだろう。が日本ではそれ密室で無血開城でやっちゃったからなぁ。
一方で、内戦はどの国においても国力を疲弊させる悪でしかないので、外敵の侵略脅威時期に内戦をしなかったことで世界的な帝国国家期に乗り遅れずに済んだラッキーさは大いにあるが。
坂本龍馬や無血開城については好意的な評価をする人が圧倒的に多いのだが、西洋哲学とか政治哲学とかやってる人だと批判的に読む人も少なくなかったり
誤解のないように言っておくが、野菜が嫌いなのではない。
切ってるのか切ってないのかわからないヒラヒラしたレタスを、フォークで食べないといけないとか苦行過ぎる。
オシャレな玉ねぎが入ってる場合もあるけど、玉ねぎ生で食べると具合悪くなるか。
ドレッシングは酸っぱい。
値段が高い店のレタスほど大ぶりで、フォークで刺したら葉がびろーんと伸びて収集がつかない。
紫色のとか混じってる割にレタスとルッコラばっかりで味が単調。
何故かドレッシングの酸味も、食事の金額と比例するかのように増していく。
一方、近所の喫茶店とかで出て来るサラダはキャベツの千切りで、まあフォークでも刺して食べれる。
ドレッシングも懐かしのサウザンドレッシングとかで、トマトやコーンが入ってる。
お高い店がサウザンドレッシングなんてプライドが許さないのだろうが、オシャレなドレッシングは酸っぱすぎるよ。
メイン料理食べる前に口の中が酸味で溢れてしまう。やめてほしい。
奴は場繋ぎなんだ。
でも温野菜がいいんだ。生野菜はどうにも嫌なんだ。トマトでさえ煮たり焼いたりしたほうが好きだ。
生サラダは嫌なんだ。
それだけ言いたかった。