昨日のTHE MANZAIを観てて思ったんだが、自分の子供のことを語るネタが散見された。
昔は家族のことをネタにするにしても、嫁をくさしたりする内容がほとんどだったと思う。ましてや子供のことをネタにするなんてほとんどなかった気がする。
昨今は父親も家庭のことや育児に参加するようになり、芸人も嫁や子供の話を(いい意味で)ネタにするようになってきたんだと思う。それが共感を呼びやすい風潮になってきたのではないだろうか。
この風潮が別に嫌とも悪いとも思わないけど、ああ時代が変わったんだなと。
他人をくさしたりする芸風はバランスが難しい。毒を含みすぎるとともすれば下品になりがちだけど、ほとんどないのもそれはそれでなまくらだなあと思ったりした。
その点でウーマンラッシュアワーは突き抜けてるけど、微妙な気分になる。
ネタにされるのを承知で付き合っている相方の嫁はともかく、子供はつらいだろうなぁ。と思ってしまう。
個人的には「汚いで思い出したけど、君の嫁はん元気?」に笑ってしまった。
東京某所にある、共同風呂の宿によく泊まる。色々交流があって楽しいのだ。
ところで、この前はちょっと筋のよくない客がいて、背中が全て紋々で、態度が悪く他の若い客を威嚇するような行為が見られた。
が、思ったのはここで腹が立つという話ではないのだ。
30年前であれば、こういう客はそもそもこんな安宿に来てなかったと思ったのだ。(なにせドヤだからな)仮に来ていたとしても、別のジャンルの人間ではないかと思ったのだ。
これにまつわる様々な意見などを見ていて、結婚する段階になってやっと初めて気づくくらいに、こっそり、しれっと、話題にも挙がらない形で法律改正されてればよかったのに、と思ってしまった。この問題で揉めているという現状自体に、日本の政治における根源的な保守派の強さ(あるいはリベラルの弱さ)みたいなものを感じてならない。
それはエロゲやラノベの主人公のような読者視聴者(現実の人間)のアバターや、
故に性別という概念は読者視聴者とのリンクを断つために行われているに過ぎず、
遠い昔、はるか彼方の銀河系で――荒廃しつつある銀河帝国を倒した人類は、銀河系に新共和国を作り生活していた。各星では銀河系での大規模な戦争を避けるため、ジェダイファイトと称し、惑星コルサントをリングに各星の代表としてジェダイ同士を闘わせ、優勝した星にその後4年間の主導権を与える制度を発案する。そして60ABY、ジェダイファイト第13回大会が開催されようとしていた。
自己再生能力を持つダース・ガンダムとともに逃亡した兄キョウジを追うドモン・カッシュは、クルーのレイン・ミカムラとともに各地をさまよいながら、ネオタトゥイーン代表のジェダイ・ナイトとしてジェダイファイトを続けていた。その旅の途中で、後に"シャッフル同盟"として仲間となるチボデー、サイ・サイシー、ジョルジュ、アルゴとライトセイバーを交えお互いを認め合い、信頼できる仲間となっていった。また、行方不明となっていたドモンの師匠にして、最強のジェダイマスターである東方不敗マスター・アジアとも再会。しかし、それがドモンにとっての悲劇の始まりだった。ともにシスを倒す仲間となるはずだったマスターは、既にダークサイドに転向していたのだ。そして他星の代表でありながら、ドモンのために力を尽くしたシュバルツが、実はキョウジのクローンであったことに驚愕する。
ジェダイファイトとダース・ガンダムの猛攻――闘いは激しさを増していく。その最中、シスの猛威を静めるため、シス・アプレンティスとなっていたキョウジとその動きを止めていたシュバルツを斬り、またマスターと闘いその最期を看取ったドモン。深い悲しみをなんとか乗り越えるが、ネオタトゥイーンの軍人ウルベの策略によって、レインがキョウジの代用のシス・アプレンティスとしてダークサイドに転向してしまう。しかし、銀河系中のジェダイ・ナイトとシャッフル同盟、そして何よりもドモンのレインを愛する想いが力となって、レインはライトサイドへ帰還。そして、銀河系すら飲み込もうとしていたダース・ガンダムを完全に抹消する。
銀河系に平和が戻り、ジェダイ・ナイトたちは4年後の第14回大会での再会を誓い、母星へ戻っていく。そしてドモンはレインとともに帰っていく。大切な人たちが愛していた星へ……。
素直に「敬遠」でいいのではないか。
いや、これは俺も思っているのだが、「敬遠」ってこういう時には使わないのかもしれない。
別に相手を敬っているわけではないし。
Web製作者のタマゴなんだけどSass使ってないとか信じられないってセミナーでよく言われるんだけど!
増田はその仕組や扱いの割には随分優遇されてるよね。遊びで落とした創作でもバズになっちゃう(新聞などのニュース抑えて)のが、いいのか悪いのか。やってておもしろかったけども。