老人というカテゴライズが間違っているのではないか?
数ヵ月前、普段使いのSNSでは吐き出せないような内容を吐きだせる場所を探して、増田に流れ着いた。
最初の投稿で30ぐらいブクマをもらった。ちょっとビビりながらも、匿名という安心感のおかげか、嬉しさの方が勝った。
自分が書いたものに興味を持ってもらえるのは、こそばテレうれしい。
それから、同じように他で書けないことを吐き出したり、考えたことや、以前経験したことをちょこちょことまとめては増田に投げるようになった。
そんなことをしていると、いくつかブクマが3ケタに届く投稿も出てきた。最初に気付いたときはだいぶテンションがあがった。
トラバやブコメでもらった反応で励まされたり、意見やアイデアをもらって感心したりする。
当然なんの反応ももらえないこともよくあるけど、文章を書くこと自体好きなので、思いついたことを書いて安心して投げられる場所があるだけで毎日が少し楽しい。
まだ当分増田にはお世話になりそうだ。
なげ最近の老人はキレるのだろう?
経済成長を支えるために今よりブラックな状況で働いたというのに。
その経済成長を支えたという驕りから反動からキレていいと思っているのだろうか?
空いていて、たまたま座れたので遠くまで見渡せる車内で、密室だなっと思ったら寒気がした
前に座ってるヤツ、座っているんじゃなくて口を開けて爆睡している
駅に着いたと思ったら慌てて降りて行った、そしてホームで立ち尽くしてやんの
乗り越したな、、
クルマのあるある話だから、クルマを所有していない節税貯蓄がマストなライフハッカー諸氏には関係ない話題で申し訳ない。
15年くらい前から上述したタイトルの状況になると、相手側ならばわずかにバックして直近のわき道にクルマを入れて避けてくれればスムースに通行できるのに、バックしてくれないことが多く、しょうがないのでこちらがバック300メートルなどして交差点や三叉路まで戻るのがザラだったことにとにかく気になってた。というかイライラしていた。
んでもって先日クルマを買い換え、自己所有のクルマがマニュアルからオートマになって、ようやくその理由にたどり着いたというか実感できた。
オートマではギアを替えることが特別な儀式になってしまってる。
ギアチェンジという行為が、ドライバーの精神に求める負荷が大きくなってる。
マニュアルでは走行開始からコーナーをいちいち通過するたびに当たり前のようにギアチェンジを行うわけで、ギアをローに入れることも2/3/4/5と順に入れることも別になんてことのないごくごく当たり前の普通の所作である。
バックであるRに入れることもその範疇に過ぎず、ドライバーに対する精神的な負荷はまったくといっていいほど、ない。
家の駐車場でDに入れてから、目的地に着くまでの路上で、LやRに替えることなどほとんどない。
傾斜のキツイ急坂ならばLに入れることもあるかもしれないが、そうでもない場合はアクセルをダブルキックして乗り切るのが普通なのではないか?
そんなギアチェンジの必要性のない安楽なドライブに慣れきってしまったら、タイトルのような状況に陥ったときすぐさまギアをRに入れてバックしてと、クルマを細かく操作しようとする気持ちが沸くわけがない。
実際俺も最近バックしてやんなくなったし。
相手が下がるまでブレーキ踏んでるだけのが多くなった。
だってめんどくさいよね。
勤めてる会社が入っているビルには、掃除をしてくれる人が何人かいる。みな女性で、年齢も同じくらい。
彼女たちはみな、私の姿を見るとすごく恐縮した面持ちで「すいません」と謝る。
はじめは私の仏頂面が原因かと思ったのだが、どうやらそうではないらしく、私以外の人を見ても同じ対応をしていた場面に何度も出くわした。
全員が同じように恐縮するので、雇っている側がそういう風に指導しているのかもしれないが、なんだかこちらが悪いことをしているようで気分のいいものではない。
彼女たちが仕事をしている場に、サボるためのスマホを片手に踏み入ってしまっても先に謝るのは彼女たちの方だ。
こちらも邪魔したなあと思って謝るのだけれど、それでは返しきれなくて、心の中に残った彼女たちの恐縮は、次第に私の恐縮に化けてゆく。
我が身には成り成りて成り余れる場所があるので男子トイレに行くわけだけど、そこで彼女らと遭遇してしまった時の反応はすごい。
とんでもないことをしてしまったという表情をした後、作業を切り上げてトイレを出て行く。男子トイレを掃除する女性なんて、邪魔に思うくらいふてぶてしくても良いのだけれど。
仕事でやむをえず触ってるんだ
色々な事情で必要に迫られて使ってるから、使うこと自体は仕方ないと我慢するしかないんだけど、
こんなもん扱うためにプログラム勉強してたんじゃねーぞ感がすごいし、この仕事をこの先年単位で続けるのかと思うと頭が痛くなる
テクノロジーを退化させてそれがウケると業界が衰退するんじゃないかなーとおぼろげに思った。
例えば国内ゲーム会社が衰退してるのはゲーム人口の拡大を狙って、ローエンドなスペックで出してウケちゃった任天堂のDS。
確かにDSはすごい売れたけど、テクノロジー的には退化だったと思う。
カジュアルゲームもいいけど、ハイエンドなタイトルはいらない人にはいらなくなっちゃった。
次がMP3。
これはCDからみたら音質的には退化してるわけで、テクノロジーの退化というか音質が退化した。
もちろん制作に携わってる方々は音圧稼いだりとか音をよくする努力、コストを下げる努力はしていたと思う。
手軽にやりとりできるようになってしまって、今更ハイレゾとか言ってみてもいらない人は全然いらないって感じだろうし、
デデンデッデッデデン♪デデンデッデッデデン♪
たとえば小さい子供が良いことをして 「よくがんばったわね~えらいわね~」 って褒めるのは 「あなたは立派で地位が高いのですよ」 という意味だとでも思っているのか?