数人でコミュニケーションを取る時、
リンゴが好きという伝達には、
リンゴが食べたいからプレゼントして欲しいという思いが込められているかもしれないし、
例えば相手がリンゴを好きならば、
それは共感を得てお近づきになりという、
リンゴとはかけ離れたところにある意思の伝達であったりもする。
リンゴが欲しければ、リンゴを買って来てと単刀直入に伝える事も出来るし、
お近づきになりたいならばリンゴの話などせずに、SEXさせてくれということも出来る。
リンゴの話をした方がお近づきになれる可能性が上がるのかどうかは知らないけれど、
初対面でSEXを単刀直入にせがむよりは、色々と都合上良いと思う。
リンゴが好きだと聞いて、
私と会話したいのかな、仲良くしたくてコミュニケーション取ってるのかなと解釈するもいい。
あるいは、
まさか私にリンゴを買ってこいとでも行っているの?厚かましい奴。
世の中はとかく婉曲が多い。
だからこそ、
婉曲の多い世の中で、
さぞかし世の中は悪意に満ちているだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150203203346
http://anond.hatelabo.jp/20150203203232
それもそうか…。
敢えて文字を教えなくても(これが「あ」でこれが「い」とか、そういう風に教えなくても)
そういう人と出会えばいけるのでは。
そもそも、自分で選んで仕事取るわけではなく、周囲がそういう仕事しか与えないんじゃないの。
そういう風に変わるのは企業勤めの人じゃない?
そうなのかなあ。
フリーでやってるとかならそうかもしれないけど、普通に会社に所属してたりするなら、少なくとも日本の会社組織の性質を鑑みれば、別に従来通りの作風でやったって十分求められると思うんだけど。
テレビ番組向けにクイズを作成する制作会社が軒並みやばい。ノルマは増えていってるのに単価がどんどん切り下げられてる。
ちなみに実際にテレビで流れるクイズは納品されてる分のほんの数パーセントでしかない。何百問と納品された中から制作スタッフがピックアップして採用する方式。
そして納品したクイズは番組中での採用不採用関係無く他社への流用は厳禁。この状況が近いうちに臨界点を迎える。
まずは複数番組間での問題の使い回しなどが増えていって、そしてどこかの中堅どころが一社撤退、その負担が他社にしわ寄せ、キャパシティを越えた他社が連鎖的に撤退、という流れがそろそろ始まる。
3.今年もまた、在日朝鮮人の命が失われることになるだろう!
4.在日朝鮮人は死ね。90歳まで生きて、孫たちに看取られながら安らかに死ね。
5.在日朝鮮人は犯罪者予備軍である!※ただし、全ての人は犯罪者予備軍である。
上のいずれもヘイトスピーチではないと俺は思うんだけどどう?
つか親世代こそそんなの分かり切ってると思うがな
『専業主婦になりたいんだけど』に変換して読んでみて、なれるかどうか考えてみたらどうかな。
ネットを見ているとちょっとこれはヤバイと感じる記事やコメントが目につく。
たとえば「子供が誰も結婚をしなくて不安だ」とか「このままでは孫を見れそうにない」とか「子供が寂しい老後を過ごすと思うと辛い」という50代以上の親世代の相談に対して、噛み付くわ噛み付くわ、「そんな考え方は古い」「子供は親の所有物じゃない」「親のために孫を産むんじゃない」「そんな考え方を押し付けられたら結婚できるものもできない」絶好の獲物が現れたとばかり叩くわ叩くわ、見ていられない。
叩く方も大人だと思うが、なんでこう老親の気持ちを思ってやれないのかと思う。
こう思ったのはツイッターに流れてきたこのベストアンサーを読んだからなのだけど。
http://okwave.jp/qa/q4474472.html
何が恐ろしいって
自分が死んだ後
我が子が病気やケガをして苦しい時
一人ぼっちで苦しみに耐えているところを
想像することです。
我が子が年老いて死ぬ時に
誰も側にいずに
それを思うと親は
自分は一人きりで死んでもかまわない
叫んで走り出したくなる恐怖を感じます。
「自分の人生は自分のもの」「どうせ死ぬときは一人ぼっち」「結婚なんて金の無駄」…よく分かります、言いたいことはよく分かりますとも。
私は妹が、私の知る限りで二度堕胎したことを知っている。聞きたくなかったのにぺらぺら自分から喋ったので知ってしまった。
一度めは相手の男をぶん殴りたいと思ったが、二度めは妹がバカなんだなと思っただけだった。
その後もろくな奴と付き合っていなかったが、ようやくまともな男性と出会い、結婚した。
妹は子供が欲しいらしく、せっせと妊活に励んでいる。が、流れてしまった。
思ったより妹は落ち込まず、次の機会にむけてまた励んだ。が、また流れてしまった。
正直、私は妹を好きではない。でもこういう事態を嘲笑うほどには嫌っていない。
それでも、こんな事態になったのはこれまでの行いのせいじゃねえの、と、ちらっとでも考えてしまった自分がいて死にたくなる。