人それぞれ事情があるので断片的な情報だけから断定するつもりはないけど
こういう人が、周囲、特に一番身近な家族に悪影響を及ぼすことがあるんだよなー。そのM先輩がそうだ、というんじゃなくて、そういうこともある、ということ。友人とか同僚といった距離ではその悪影響はわからない。だから本人も気づかない。むしろ誰からもわかりやすいダメな人の方が、本人が気づく余地があるだけ救いがあるかもしれない。
親が正しすぎると、子はつらい。正しさはひとつではなく、人生の数だけある。子が自分で考えて正しいと判断した選択が、親の正しさから見て受け入れられるものとは限らない。だからといって子供の好きなようにやらせていいわけでもない。
曲がったことが嫌いで(自分の)正義を信じる親のそばに、「時には曲がってもいいんだよ」とか「別の正義もあるよ」って教えてくれる叔父さんみたいな存在がいるといいんだけど。
困ったことに、こんな奴に限って、社会とやらは案外重宝したりするんだ。もちろん、おとなしく声を挙げない奴も問題なんだろうけど、
いい加減、こういうの止めにしないか?
誰もが(大人しい奴も騒がしい奴も)普通に、楽しく生きられる社会になってほしい。
デートの約束があったら、普通に早く帰れる社会になってほしい。
飲み会や食事会で自由に好きな物を食べたり飲めたりできる社会の方が楽しいに決まってるじゃないか。
俺は息苦しいよ。もっと、いろんな奴にやさしい社会になってくれよ。
嫌なことは嫌って言おうぜ。俺も言うから。
今から5年ほど前、近所に住んでた女子高生がいじめを苦に、マンションの屋上から飛び降りて自殺した。
聞いた話じゃ物を隠されたりするのは日常茶飯事で、トイレで全裸にされてそのまま締め出されたり、
便器に顔を突っ込まれたり、お金を取られたり、とかなりひどいものだったようだ。
この子の家は母親が早くに亡くなっていて、兄妹は無し。近所の工場で働く父親が男手一つで育ててた。
親一人娘一人の家だったから、この娘が母親代わりに家事をしたり、近所のスーパーのレジでバイトをしてた。
俺は家が近所だったこともあって、顔を合わせることもたびたびあったけど、
そんな娘さんが自殺した後、父親の落ち込み様はひどくてね。
娘さんの自殺からひと月ほどしてからこの父親も首をつって死んだんだ。
当時は、「娘さんが自殺したショックで亡くなったんだ」と、みんな思ってた。
だけど、最近の大津のいじめの事件をきっかけに、この父親と同じ工場で働いてた俺の友人から、
「今まで黙ってたんだけど」って話を聞いたんだけど、意外なことが分かった。
さっき書いたとおり、娘さんの自殺後、父親の落ち込み様はひどかった。
これに俺の友人や工場の上司は、このままじゃ娘さんが浮かばれないから、加害者や学校を訴えろって勧めたらしいのな。
あんな出来た娘さんが自殺して、親もここまで落ち込んでいるのに、加害者がのうのうと生きているのは納得いかないって。
工場の社長も弁護士を紹介するなど協力するって言ってたらしい。
けど父親は憔悴しきった様子で言ったんだそうだ。
娘がいじめられているにもかかわらず、それを自分に遺書で記すまで打ち明けられず、全く気付けなかった。
いつ遺書を書いたのか知らないが、そんなそぶりは全く見せていなかったようだ。
そしてもうひとつ、「自分は中学生の時に同級生をいじめで自殺に追い込んだことがある」って。
その父親の話じゃ、父親やその友人たちは中学生の時、同級生の子をトイレで裸にしたり、
誰かと無理やり喧嘩をさせるとかしてたけど、それはあくまで悪ふざけのつもりで、
まさか自殺するとは思ってなかったそうだ。
正直、自分が悪いとはその後も思うことはなかったそうだけど、娘さんが生まれ、育ってくるのを見て、
「自分もひどいことをしていたな」と罪悪感を覚えるようになっていってたらしい。
娘のいじめに全く気付くこともできないまま。
父親は、
「自分が昔いじめをしてたせいで娘が被害者になってしまったんじゃないか」
自分のせいで娘が死んだ、と俺の友人や上司に泣きながら打ち明けたそうだ。
友人たちは、「それは関係ない」っていったけど、父親は最後まで納得した様子はなく、
その翌日から出勤しなくなり、そしてひと月ほどたって首を吊ってしまった。
遺書はなかったそうだ。
5年たって初めて聞いた友人の話。
こいつ何言ってんだ?
反省?
そんなもの求めてないしw
いくら反省や後悔をするフリとか猿真似を覚えても、人をいじめ殺した実績のあるようなクズなんか人間の社会に置いておける訳ないだろww
炙り出してさっさと殺処分するしかないんだよww
「わが子がいじめられたらどうしよう」と同時に「わが子がいじめたらどうしよう」という恐れはありますね。
滋賀のいじめ自殺が炎上してるな。個人情報や顔写真出されたりして。
でも、こんなことじゃいじめをする奴は反省しないんだよ。親や親友は、いじめした奴の味方してるわけだから。
いじめをしている奴は、いじめられる奴のことを、すごく下に見てる。それこそ、同じ人間だと思ってない。
いじめられっ子でも、虫をいじめたり殺したりとか、ゲームのキャラを倒して喜んだりしたことはあると思う。
いじめをしている奴は、そういう感覚でいじめている。だから罪悪感なんて一切無いんだよ。
俺もいじめをしていた。クラス内でブスランキングを作って黒板に書いたり、地味な奴をクラスの皆が居るところで
蹴ったり踏んだりしていた。他にもおごらせたりとか、借りパクとか、色々した気がするけど、あまり覚えて居ない。
した方は覚えて居ないっていうのはその通りなんだと思う。
その俺が反省するきっかけになったのは、好きな子に告白を断られたことだった。
本気で告白したつもりだったのに、「アハハ、罰ゲームっしょ?」と断られたんだ。
好きな子は仲のいいグループにいたから、俺の普段の様子をよく知っていた。そう思われてもしょうがないことを、普段からしてたんだな。
俺の中では、好きな子は大事な存在だったから、罰ゲーム告白して傷つけたりなんて、考えられないことだった。
でも好きな子にとって俺は、誰でもからかいの対象、いじめの対象にするような、そういう奴だったんだ。
それでようやく気付いたんだ。人間の気持ちに上も下もないこと。人間の能力とか魅力には上や下があるかもしれないけど、
いじめられてもしょうがない奴、傷つけられてもしょうがない奴、感情をもてあそばれても仕方のない奴、そんな人間は居ないっていうことにたどりついた。
人並みの心がある人間は、こんなこと、生まれたときから知ってるんだろうな。
でも俺は本当にクズだったから、好きな子から思い知らされるまでわからなかったんだ。
だから、滋賀のいじめの加害者を反省させたいとしたら、匿名で攻撃することに何の意味もないんだ。
どうせ「いじめられっこのキモいやつ」が騒いでるなって軽んじて、家族や親友の言っていることしか耳に入れようとしない。
いじめの加害者は、自分が好きとか尊敬するとか思ってる人間から、軽蔑されることからじゃないと学べないんだよ。
一番効果的なのは、もし加害者がAKBのファンだとしたら、そのメンバーがブログで「人をいじめて自殺させるのは最低の行為」って書くとか。
尊敬してるアーティストとかでもいい。実力者が実名で批判することに意味があるんだ。
虚飾の宴が毎日毎夜くり広げられ「リア充」の度合いを競い合う場所なんだよあそこは。
友達と楽しく飲みましたーイェーと近況に書いていいね!いいね!の嵐をもぎとった翌日、超残業で終電近くなってヨロヨロと帰る途中ゲロを吐きかけられた死ね死ね死ねなんてことはわざわざ近況に書かない。
リア充な近況しか書かれないFacebookはカラ元気の集合体なんだよ。
あとほれ、なんか新機能で「この人やこの人とあんたは友達だけどあまりいいね!をつけ合ったりしないからミュートする?」みたいなページができたらしいじゃない。
それ使えばいいんちゃう。
まるで俺妹のような、というわけではないけれども。
私の“実在する”妹はそれなりのおたくらしい。
某テレビアニメを観ていた。私自身、リアルタイムでそれを観ていたのでおすすめしなかったのだけども。
それはともかく、その原作にあたるゲームソフト、それを彼女はやってみたいらしい。
良識ある兄貴としては、制止するのがまっとうなのかもしれない。
ところが、私も興味のあるタイトルであるために、勢いに任せてゲームを購入したいという衝動ががが
増田の言いたいことはよく解るのだけど、
なんだったのか?ということだと思うよ。
記事は、日時特定は市がやる、という会見との整合性は?ということだと思う。