はてなキーワード: 故事成語とは
正しく理解して正しく批判しよう。
うつみ宮土理の発言を叩くtogetterを見て、動画も確認してみた。
発言内容は以下のとおり
うつみ「もう皆さんの話聞いてるとホンットに立派な事仰ってるんですけど、こういうお話を聞いてると法案がどうのこうのって言う事聞いてるだけでなんなんだと、本当に政治不信が拡がらざるを得ないんですよね。皆さんの中でお偉い政治家さんの中で、背広を脱いでネクタイを取って避難所に行ってその避難している皆さんと一緒に一週間でも一ヶ月でも生活した議員さん、リーダーの方、いらっしゃるんですか?」
うつみ「それはやってらっしゃるけどもっと他の方、いいんじゃないですか?だからやらないからわからないんですよ!」 小野寺議員「うちは水道来なかったんで1ヶ月毎日井戸から水くんで…」 うつみ「やってないから皆さんの声がどんな生活、どういう苦しさがあるかってのがわからないからですよ!」
その後も他人の発言に割りこみながらもあーだこーだわめいてますがあとは動画で確認して下さい。気分が悪くなっても責任は取らない。
http://www.youtube.com/watch?v=21MCPDJcWMo
あまりに分かりやすい「馬鹿」である。批判したくなる気持ちはよくわかる。
しかし馬鹿を相手にしているせいか、叩いている方も8割方脊髄反射みたいなやり方で、どうもうつみ宮土理を笑えない状況である。
せっかく批判するなら、ちゃんとした理屈を持って批判しないと、同じことが繰り返されると思うのだが。
というわけで整理してみる。
主張の根幹になる要素は以下の4つです。
この反応は違うと思う。
被災地の人であろうがなかろうが言うべきことは言っても良い。
もちろん気遣いは必要だが、それによって批判がタブーとなるのは論外。
これわかってない人が多いのはちょっと辟易する。
一般論としては正しい。ただし今回の発言に対するクリティカルな批判にならない。うつみ宮土理といえばバカ主婦の代表例で、こうやってバカな主婦を代表することがお仕事なので、文句をいうならうつみにではなくこういう人をスタジオにいれている人に言うべき。とういうかですね、うつみ宮土理の無知さ馬鹿さ空気よめなさ加減に10年来ずっとイラついてた人間としては、お前ら今さらなにいってんだという気持ちはありますね。 彼女はまともに相手にしようとするとタモリや紳助でさえ匙をなげるキャラだということを前提知識として持って欲しい。明石家さんまが出てない番組ではいらない子を越えて存在が有害なレベルだと思いますよ。彼以外にうつみ宮土理をまともに使いこなせる司会を見たことがない。
っていうか、テレビってホントに主婦を馬鹿にしてるよなぁ。一般の主婦の皆さんは割と賢いよ?多分。 うつみさんがどうしてこんなにバカなのかというと、単に無知であることに加えて、周りがその無知を歓迎し、助長するからであって、故事成語のとおり馬鹿=<無知×権力>で出来てる。一般家庭においてはたとえ主婦が無知であってもちゃんとたしなめられるからこんなにバカな人はそうそう居ないと思うんだ。どっちかというとこのレベルの馬鹿に到達するのは男側だよ。よく知らないけど、経験則上、旦那がうつみ宮土理よりもひとまわりバカでない限りなかなかこういう馬鹿な主婦というのは生じない。 主婦が旦那より無知ではあっても馬鹿であるという事例は寡聞にして聞いたことがないのですよ。
○ごてんさんが冷静に説明しようとしてるのにわーわー騒いで見苦しかった
○とりあえず人の話を最後まで聞きなよ
そう、まずこれ。意見する内容に関係なく、自分の意見を正しいと思い込んで他人の発言を遮ったりしてまだワーワー喚いてはいけない。
これは彼女のバカな主婦代表という役割を考慮してもなお許容すべきでない。この彼女の暴走を止められるキャストが居ないということがこの番組の問題。うつみさんは確かに馬鹿だが、彼女をたしなめられる人が入ればここまで馬鹿なことをわめき散らさない。一時期のテリー伊藤同様、突出した馬鹿が突出した権限を持っているのは駄目。田嶋陽子は単体で出すには危険だけれど、たかじん勢と一緒に出せばアクセントに使えるのと同様、プロデューサーにはちゃんとおいしい料理が出来るようにキャスティングを考えていただきたい。
○果たしやすいように立法という立場から応援するのが本来の仕事です
◎政治家の仕事は被災地で暮らすことじゃないだろ。やれるように素早く仕組みを整える事だよ。最終的には数と権限をもつ与党がやる気にならなきゃ出来ないんだ
で一番大事な指摘はコレ。裏返すと
×××そう言っているうつみさん本人は向こうに行ったのか?言ってもない人がそんな偉そうに意見を言えるのか?
×××お前こそ被災地で生活してみろ
こういう発言が一番ダメだと思う。これはみんなが不幸になる。
うつみさんは「被災者のためになることをやって欲しい」と言ったときに、あまりにも政治に対して無知なので「そのためには被災地に行って被災地の状況を確認すること」を解決策に持ってきてしまった。 ここで「それは政治家の仕事ではない」と言って受け入れられるだけの政治に対する理解がないこと、これこそがうつみさんの発言に対する最大の問題。
・・・っていうか、同じ場に宮崎哲弥いたのに何やってんの?ちゃんと仕事しろ、と。この人司会がうまく拾ったり流してくれる番組じゃないとホントヘタレてるなぁ。上沼恵美子が蛇蝎のごとく忌み嫌っているというのがよくわかります。
国会議員は国会で議会政治(立法)を行うのがメインの仕事。当然、震災復興関連法案についても審議する立場。そんな中で自身の地盤たる被災地に赴き、復興活動にも尽力し、現場の声をよく理解している訳である。うつみのような無知なコメンテーターに批判される筋合はない
政治家であれば誰もがこう思うだろう。そしてこれが道理としては正しい。しかし、もし政治家がこう発言しようものなら「(マスコミに対して)態度が悪い」「国民(の代弁者たる我らがマスコミ)を馬鹿にしている」という印象操作バリバリの報道でこてんぱんにやられてしまう。 漢字の問題から何から、マスコミの政治家批判の最大の問題は政治家の仕事の核が何かがわかってないこと。彼ら自身が奢りたかぶって最高権力者であるかのごとく振舞っていることだ。 そのマスコミに洗脳され、政治家に意味のない要求をしていいことをしたと思い込んでいるうつみ宮土理。そしてそれを誰も止めないスタジオ。すべてのものが合わさってこそのグロテスクブリなのであって、うつみ宮土理一人を責めてもどうにもらない。
かくいう私も、じゃあマスコミ批判だけでいいのかというとそうではないのだが、その話をすると長くなるのでこのへんで。
twitterでのコメントに大変興味深い発言があったので捕捉。
今回はうつみ側をメインで見ましたが、うつみ宮土理さんを短絡的に叩いているように見えた人々にも事情があるようです。
テレビの中だけではなく、外側にもお約束の空気が流れているのがわかります。
正直私にはよく理解できない心理だけれども、このあたりも理解しないといけないかなーと思ってます。
端々のコメントでおわかりかと思いますけれど、私は基本的にバラエティ番組好きです。
若手お笑い芸人がやってる下品であったりクイズやら二流のアクションでごまかすクソ番組を除いては結構なんでもアリです。
バラエティをばかにする人多いけど、見るべきところ色いろあると思ってます。
だから、単にマスコミとかバラエテイをばかにするという観点には組みしたくありません。
ただ、そういう私から見ても、うつみ宮土理はいらないと思うんだ。
この人しょっちゅう場の空気を悪くして、お茶の間にもそれが伝わる。なのに本人自覚がない。
基本「笑われる」キャラだってことを自覚して欲しい。可愛げのないババアの天然ボケとか誰得。
年いってるひとが自分の役割もわきまえずに素のキャラで好き勝手に振舞えるという構図がものすごく不愉快です。
私は老害って言葉を安易に使うのは嫌いなんですが、この人に関しては本人だけじゃなくその他もろもろの要素を含めて老害と言っても良いと思う。ホビロン
これから書くことは、あまりにもシンプルで、誰かがもうすでに書いてるんじゃないかと思う。
けど、今朝こんなの(※1)がホッテントリ入りしてるのを見て、なんでこんな誰も使えないようなくだらないテクニックがもてはやされるんだろうと疑問に思ったことだし、一つ書いてみることにした。
これ一つだけだ。
あらゆる文章について、この「繰り返しを避ける」という言説を当てはめて、文章をより良いものにすることが出来る。それは何も難しい事じゃないし、誰でも、今からすぐにできることだと思う。
ひとつの文の中で同じ言葉を何度も使わないことはもちろんだが、もう少しこの法則について吟味してみよう。
まず、へたくそな文章を書く人の大半は、
なのである。よく見かける、「~だ。~だ。」の一本調子では、読んでいる方が疲れる。もちろん、新聞のように厳しく字数制限がある場合は節約の必要もあるだろうが、特に字数を気にしない場合、「~だ。」をアレンジし、「~であった」「~なのだ」などといろいろ使い分けることで、簡単に同じ言葉の反復を抜け出すことができる。もちろん、慣れてきたら、体言止めや時制などにも気を遣ってアレンジしていくと良い(※2)。
次に、へたくそな文章の特徴として、
ということも挙げられよう。
森博嗣大先生なんかこれがひどくて、いま手元にあった「カクレカラクリ」をひもといてみると、
「○○○○」○○は言った。
「○○○○」○○は言った。
「○○」
「○○○○」○○は叫んだ。
とこんな表現がいくらでも出てくる。いくら量産が必要な人気作家でも、これはひどすぎやしないだろうか? 異常ですらあると思う。いくらストーリーが良くてもこれでは興ざめだ。だから、短い文はできるだけ目立たないように、それでいて、自分の主張を特に強めたいときだけに使うとよい。基本的に短い文は強い印象を与え、なおかつ文中でよく目立ち、一方で長い文はその内容の印象を薄める効果があるからだ。それゆえ、長い文を書いた上で、短い文でダメ押しすると強い。Yes, we can.
あとそれから、
のが吉だ。とくに故事成語はヤバイ。こういう言葉は、日本人なら何度も何度も小さい頃から聞かされているから、たとえその文章全体の中で初めて使われたとしても、一気になんか古くさい、繰り返しがまた来たという印象を与えてしまう。これも「繰り返しを避ける」原則の発展としてとらえることができるだろう。
まあ考察は面倒だしそれくらいにしておいて、あとはTips的なものとか、個人的好みの話とか。
ことも大事だよ、ってことを忘れないで欲しい。読点はダテについているものじゃないのだ。本田勝一が「日本語の作文技術」で読点の付け方について、章を一個割いてクドクド説いているのも、当たり前のことだが、理由がなくてやっているわけではない。へたくそな人は、読点をどこに入れるかを全く意識しないから、結果として文章は読みづらく、陳腐に見えてしまう。
ってのもやっぱり大事だ。頭の中で良い。実際に読むスピードで、自分の書いた文章をもう一度読み直すこと。向田邦子は自分の小説だか台本だかを執筆しながら朗読して、それをテープに残していたらしい。そこまでする必要はないと思うけれど、そういう姿勢が大事なのは確かだ。音読してひっかかるような文章を書いているのはよろしくない。
さらに主張しておきたいのは、
ということだ。よく「自分の言葉で書きましょう」なんて事をいけしゃあしゃあと抜かすヤツがいるが、自分の言葉なんて、そんなもの元からありはしない。どんな大作家だって、誰かに影響されて、それが少なからず現れながら文章を書いている。「作文は借文」、この原理原則を忘れずに、出来るだけ素直に、努めてわかりやすく、相手に「自分の心のイメージを、相手のわかる形で伝える」こと。オリジナリティなんて言葉にだまされて変な表現を使ったら一気に興が冷めてしまう。ましてや自分が「これは名文が書けたぜウッシッシ」と考えたりしたことがあるなら、猛省して欲しい。もちろんこれは自戒も込めて。オナニーした後の紙は、ゴミ箱へ捨てるのが常道だ。こびりついた精液を他人様に見せてはいけない。何も、肩を張らなくてもいいのだ。あなたが語った時点で、その言葉は「あなたのもの」なのだから。
最終的に、
ということも忘れないでおくと、相手に自分の心が伝わる、良い文章が書けることだろう。いつでも文章は「書き飛ばせる」ようなものではなくて、努力と苦悩の果てに成り立っている。良い文章が書けなくて苦しんでいるのはあなただけではないし、苦しまなくなったときが、まさに文章を書く人間としての終わりなのだ。どうやったら自分のイメージを、誤解なく、ありのまま伝えることが出来るだろうか? そのひたすらの煩悶が、文章を成長させてくれる。だから、へたくそでも、伝えようという意志を必死で込めることで、相手にその熱意は伝わることだろう(もちろんその熱意を期待してはいけない! 文章を書くことは常に「伝わらない」恐怖との戦いだ)。
(そういえば、読点が多いという指摘があったが、全くその通りだと思う。どうも自分は読点が好きすぎる)
※1:http://www.lifehacker.jp/2009/10/091005writingtips5.html
※2:ただし、よくちまたで言われているように、体言止めはなるべく避けた方がよいのは確かで、その理由は、強く言い切る形になり、語調に与える影響が大きいからだ。従って、原則として使わないという指針は間違ってはいない。間違ってはいないが、体言止めという手法がなぜ存在しているかと言うことも考えると、どうしても必要と信念が訴えるならば使うことになるだろう。もちろんそうやって、みんな失敗するのだ。
今日は僕が書いたキチガイみたいな増田☆記事をまとめてみたよ!☆が入るとなんだかスタイリッシュだよね!
古いのからいくよ!
なんでこんなの書いたかよくわかんないけど内容も意味不明だよ!
意味が分かんないよ!なんだか自分の心の闇を感じてしまうよ!
読む価値ないよ!
もしかして自分って病気なんじゃないのかな!おもに頭の!
もうなんだか頭がやばいよね!僕はもうダメ人間だよね!
もし他人が書いたらこいつ頭くるってんじゃね?と思うけど問題なのは書いたのが僕なんだよね!
これはlevel1だね!
なんで書いたかよくわかんなけどたぶん自分の中での理由付けがあったんじゃないかな?
これはお酒を飲まない僕だからこそたどりついた境地だと思うよ!
語呂がいいよね!
Level2だよ!
もうさ、僕はダメ人間だよね!
もう、コメントしようがないよね!
人は匿名だとありえない人間性を発揮するよ!こんな人間でも大学で首席候補なんだから人生を悲観するのはよくないよ!
どうにかなるさ!人生どうにかなるさ!たぶん、どうにかなるさ!
どんなことでも根本まで突き詰めるとあらゆる分野で通用する力が身につく。とよく言われるけど、それはほんとなんだろうか。
例えば読書。読書と言ってもいろいろあるので小説を読む場合に限定する。
ひたすらにページを捲って物語を読み漁る。それで得られるものと言えばなんだろうか。
おそらく大半は物語に入り込むことで生まれる擬似経験とそれに引っ張られて生じる自分の擬似感情だろう。
想像の中での擬似経験を楽しむ、あるいはストレス発散であるとかカタルシスを得るとかの不満解消の意味が、それらの擬似体感にはある。
魔法が使える世界でのお話であれば、その設定だけで一時的にであれストレスが解消される。
自分と似たような環境での話であれば、主人公と一体化して現実ではやりたいができないことを体験し不満を解消できる。
小説にメリットを求めた場合どんなものがあるかの話になってしまった。
小説を読む、ということを突き詰めると、どんな力がつくだろう。
よく言われるのは想像力だ。ものごとを予測して備えるのに役立つ脳内シミュレーション機能である。
小説を読むときには少なからず想像が行われる。フィクションを頭の中で具体化してみる作業だ。
これは何にでも応用できる。
人間の体験していることは脳が見せているものだからこそ、想像は全てにおいて適用される。
これを現実に当てはめるといろいろと役立てられる。どのような場面であれ、先を予測できることはメリットになる。
つまり、小説を読むと言う行為を深く突き詰めていくと、多分野で役立つ力が得られるのだ。
ここで一応の仮説はできた。具体的な例は小説を読む人の場合だけだが、一つの筋は通ったわけだ。
ここで言いたかったのは、
何かを突き詰めていくといずれは人間固有の(かつ根底の)能力の部分をどうこうしていくことにつながるから、何かのプロは別のプロにも通ずる部分があるんじゃないかな、
ということだ。
いまでこそ分野もモノも増えたわけだけど、それらを扱うのはどこまでいっても人間なわけだ。
思考回路が整備されてるか否かで能力は変わる。思考回路を作っていくのは何かを突き詰める場合だ。
故事成語や名言と言われるものを読んでると、そういう根本ルールがぼんやりと感じられる。
何をやるかじゃなくてやれることを底の底までやりきるかを重視したほうがよいんじゃないかと思ったのだ。
なんすかこの空気。すいませんでした。
こういう故事成語のusopediaをだれかつくるんだ。