はてなキーワード: 努力教とは
上を伸ばすより下を底上げするほうが社会全体のパフォーマンスは高まる。
それ、本当か? 少なくとも経済においては、「どうやら上を伸ばす方が良さそうだぞ?」っていうのが、ある程度国家間の横並び本格競争を
もたらしたグローバリゼーションでの結論じゃないか?
個別要素は色々あるから一概には言えんけど、「上を伸ばすアプローチ」を採ってるアメリカや韓国・シンガポール(中国も入れてもいいかも)の方が、
「底上げアプローチ」気味な日本や大陸欧州より好調っぽい、のにはやっぱり何かあるぞ、っていうのがマクロ経済での認識だと思うが。
突出して優秀な奴が数人居るよりも、バカのいない環境のほうが快適だろ?
個人的にはその認識には同意するけど、「快適」なことを「効率的」と結びつけるのは根拠が無いだろ。
「効率を落としても(まあ、快適と効率は無相関なだけで逆相関とは限らんとは思うが)快適を追うべきだ」という主張なら俺は納得するけど、
「上を伸ばそうぜ!」派の人はたいてい「快適?幸福?そんな測れないもの気にスンナ!マクロ経済なんだよ、経済!」な人たちなんで、
そういう人が納得しないのはちゃんと筋が通ってると思うよ。
まあ「努力教は不幸な社会への道かもしれんけど、努力教徒は経済総体しか気にしてないんだから、論理的に首尾一貫してて論破できない思想だよ」
ってことな。
俺個人の感想としては、はてな界隈では、「反努力教」の勢力の方が強くてウザいことこの上ない。
全くもって厳密でない、完全に任意のコンテキストで「まあ頑張れ」とつぶやいただけで、即、努力教信者認定wwwあいつらマジやべぇwwwwwww
「俺を元気付けて!」と言っているような文章に対して、「頑張ればきっといい事がある!」とつぶやいたらもうアウトwwwwwパネェwwwwwww
平気で「それは "結果が出るまで努力すれば結果が出る" という自己言及的な論理に基づく言明で、すなわち論理的に全く意味を成さないんだけど、その点をどう説明するの?」みたいな事を平気で言ってくるwwwwwww何で今論理学やってんのwwwwwwwwww
しかも携帯でさwwwwwwあいつらうんこしながら増田やってるからwwwwぶりぶり書き込んでるからwwwwww電話くせえwwwwwwwwwww
wwwっうぇw
起業しろだの、リスクを取れだのってのは、やれる人は言われなくてもとっくにやってんだよね。
ふ~ん、海外に出て、起業して、リスク取り捲れば成功するんだ。なんて考えでそういう行動を起こすバカはいないのは誰でも解る事なんだけど、なぜか必死にそうしろと言うのはなぜなんだろう。
自分がそれで成功したから、お前らもそうしろと武勇伝的な語りをしているのかもしれないけど、そうやったから成功したので同じ方法でやれば成功するよ。なんてのもバカな話だ。
どうも、バカがバカに向けて書いているようにしか思えない。もしくはそれが商売。
「鉄骨渡りの観客」とはまさにそうだと思う。
「鉄骨渡りの観客」は占い師とか評論家と同じ商売の臭いがする。
鉄骨渡りに成功した人物がいれば、勧めた自分の手柄。アドバイスした自分の手柄。失敗して落ちたら、失敗したやつの自己責任。そういうロジック。絶対に損しないんだ。自己責任前提で、「ほら、俺のアドバイス聞かないからそうなる」という話になる。
・貧困のハビトゥスが身についた人間が「エリート」になることは、非常に難しい。しかし完全に不可能ではないからこそ、努力教はなくならない。
・世の中の人間の95パーセントは努力をしている。みんなが努力するため無駄な競争ばかりが生まれる。
・人生の勝者たちから「行動なき同情」をされても敗北の状況はかわらない、むしろ階層が強化・固定化される。
・底辺の奴隷労働は社会に不可欠なため、不幸になる人間は不幸になるように教育される。
・エリートと「エリートを作る構造」の間には、一般人と「エリート」以上の壁がある。ヒューマニズムはシステムに敵わない。
・これを越えるのは人間本意主義ではムリ。君とシステムとの戦いにおいては、システムの側を支援せよ。
・人生はどこまでいっても、「モテ」とか「非モテ」とかの差異体系なくしては精神病にならずに生きていけない。
・生まれ持った容姿のハンデは努力で逆転できるが、失われた思春期は戻ってこない。
・そんな俺は死ねばいいと思った。
おまえらもよく頑張るよなあ。
まあ少しずつ、「反・努力教」の勢力は増しているみたいだし。
おれはこの情勢をまったりと観察してるよ。
正社員の枠もよい大学の定員も一定数に限られているから、社会の構成員全てが可能な限りの努力をしてもそれを獲得できない人が出てくる。しかし現実には努力をしない人がいる。それ故に、才能が不十分でも努力だけでなんとかその枠にたどり着ける例が結構出てくる。努力教は努力をしない人たちがいるからこそ成り立っている。
自分の才能の限界から目を背けるために努力を十分にしない人がいる。「全力尽くしたけどどうしても東大には行けず私大に行った」より「私大行ったけどもう少し頑張ってれば東大行けた、その実力はあったはず」と言うほうがよいという判断だ。こうして努力しない人が出てくるので、努力教が崩れない。
努力は心身に負担をかけるので本質的に持続力がない。必ず気が緩む場面が出てくる。努力教はここを攻撃する。また、全力を出し切ったか否かが客観的にはわからないので、「結果がでなかったのは努力が足りなかったから」というループ理論に信憑性が生まれる。こういう点からも、努力教は崩れない。
成功の鍵は、目標達成に適した習慣を持てるか、である。周囲から見れば努力しているように見えることを心身に負担をかけずにできるようにする。習慣獲得には、「自分は努力してる!」と意識しない程度に少しずつレベルを上げていくのがよい。そして、競争相手に対しては「まだ余裕がある」ことを見せつつ、外野には「必死で努力しているんです」とアピールすると、尊敬も得られる。
精神科医に「もうしばらく来なくて大丈夫だよ」と言われるくらい丸々と回復した記念に私の拒食症について書いておく。
発病したのは2年前。もともと162センチ50キロだったのが、ストレスで53キロまで増えてしまい、慌ててダイエットを始めた。このダイエットがエスカレートしてしまい、気がついたら38キロになっていて一時入院。その後、お決まりの過食リバウンドを繰り返して、現在は52キロぐらいに安定してる。本当はあと3キロくらい痩せたいのだけれど、空腹感がものすごく強い体質になってしまい、しばらくは無理かなーとも思う。
拒食症になった原因は、一言で言えば「努力教」だった。
当時、何をやってもうまくいかなかった。大学の研究も思うように進んでいなかったし、彼氏ともぎくしゃくしていた。
こんなに一生懸命研究しているのに成果が出ない→成果が出ないのは、努力が足りないからだ、と思った。
こんなに尽くしているのに彼氏が冷たい→愛されないのは、努力が足りないからだ、と思った。
為すべき努力が残っていた時はまだ良かった。努力をしている間は、「この試練を終えたら、全ての問題は解決するはず」と思いこんで救われることが出来たから。
ところが、変に真面目だった私、真面目に努力を続けた結果、思いつく努力手段はだいたい全部試してしまった。
ダイエットを始めたのはちょうどそういうタイミングだった。他に新しく努力すべきことが見あたらなかったので、有り余るやる気をダイエットにどんどん注ぎ込み、全力で痩せまくった。もっと痩せれば、研究も恋も上手くいくはず、上手くいかないのは、痩せ方が足りないからだ、と思いこむようになった。
そして彼氏に振られた。彼氏の選んだ新しい女は超デブだった。普通なら、そこで「ああ、彼氏はデブ専だったのか」と思って諦めるだろうけど、これが病的な脳みそだと、「あの女より私のほうが痩せているのに、彼氏がそれに気づいてくれないのは、私の痩せ方が足りないからだ」と考えてしまう。今思うと支離滅裂だが、拒食症とはそういう病気なのだ。
42キロを切ったあたりで生理が止まり、座っているだけで尻が痛くなったり(尻の脂肪がないから)、走ると足の裏が痛かったり(足の裏の脂肪がないから)、夏でも寒くてセーター着てたりしていた。そんで、ある日ジョギングしていたら貧血で倒れて、そのまま入院が決まった。
ベッドの上で、ようやく悟った。
世の中には、努力ではどうにもならないことがあるんだ、と。
不幸にも私は、学校の成績はそこそこ良かったし、メイクを頑張ればモテなくもない容姿をしていた。今まで壁にぶつかったときは、より多く努力することで解決できていた。だから、自分に限界があるなんて認めたくなかったのだ。
努力しても駄目なものは駄目なのだ、と認めるのは苦しかった。だけど、一度認めてしまったらすごく楽になった。
自分の場合はたまたまダイエットだったけれど、宗教や自己啓発にハマる人も同じような理屈なんじゃないだろうか。君が不幸なのは、決して君に才能がないからではなく、単に修行が足りないからなんだよ、と言われることで彼らは救われているのだ。
だから、依存してる人を救うためには「努力しても勝ち組になれるとは限らない」ことを納得させなければならない。そして、勝ち組じゃなくても、それなりに幸せになれる、ということを。私は研究者の夢は諦めたけれど、今それなりに幸せだ。
そうそう、友達を選びましょう。
「自称・才能がある」と思っていて、実はアウトプットが出来ていない様な人とは付き合わないようにしようね。
そういう人って広い様で狭いから、付き合ってると悪い影響を受けちゃう。
本当に才能がある人は「才能」という言葉自体を嫌う。
何故か?
人が想像している以上にその人は「身になる努力」しているから、それを「才能」という安っぽい言葉で表現されるのが気に食わないからだ。
※「才能」という言葉を嫌っている有名人を1人上げると、イチローかそう
※「努力」と書くとまた努力教かよ・・・と思う人がいるため、成果が出ている努力という意味で「身になる努力」という表現にさせてもらった
>はてなにも才能のある人の本当の才能を認めたくない人たちがたくさんいます。
本当に才能があったら認められるでしょ。
本人が「認められない理由が分かってない」だけの事。
※ヒント:いくら才能があっても、常に憎まれ口を叩くような奴を誰が認めるんだ?