はてなキーワード: 所属欲求とは
4月に入ってTwitterでちやほやされる夢を見ながら絵を描き始めた人間は多いだろう。そんなやつらに覚えておいて欲しいことを言っておきたい。
・絵は才能は半分正解
絵は才能がすべて、というが実際それはある。しかしながら最低限可愛いと思える絵ぐらいなら見よう見まねでなんとかなる。そこから評価されるかが才能といったところ。何年も描いて小学生レベルな絵の人は基本枚数をこなしていてもやる気はないと思っていい。もしくは間違った描き方に固執しているかだ。
・絵が上手い人は上手い人としか絡まないも半分正解
よくTwitterでこれを否定する意見がある。正しくは「絡むのに絵の実力は関係ない。ただしあくまで雑談したり一緒にゲームをする範疇で絵の部分では自分より上手いか同レベルでないと関わることはできないしオフで会うことはない」である。そもそも人間として生きてきたならば学校で似たもの同士でグループができることくらい学んでいるはず。ネット上も同じ。上手い絵師と絡みたければまずは絵以外で関わりを持とう。
・まず色塗りを学べ
下手に見える絵の共通点として塗りが下手なことが特に多い。バケツ塗りにブラシでなんとなく影をつけただけ、がもはやテンプレート。線は顔だけ、バストアップだけを避けて偏らずに数をこなせば上達する。が、色塗りは技法を学ばなければ厳しく、がむしゃらにやっていれば報われると信じている愚か者が躓きやすい。幸い世の中には色塗りの技法がタダで転がっている。まずは学べ。線なんかガタガタでも色塗りが良ければ上手く見える。
・認められないうちの自己評価はあてにならない
他人からの評価は確実に自己評価よりも低いものだと思え。時間をかけて作られたものに愛着が湧くのもしかたないが見る側はそんな苦労や努力は知らない、結果だけを見る。それが同じ絵師だとしてもだ。数字がついてくるまで期待しないこと。
・なぜ絵を描くのかはっきりさせる
絵を描く=趣味 というのは一般的な話だ。しかしながら趣味ではなく手段、もしくは趣味を兼ねての別の意味合いを含めたものとしている人間もいる。褒められたい、ちやほやされたい、憧れのあの人の立場になりたいといい承認欲求。はたまた絵を通した仲間・友達が欲しい、誰かと繋がっていたいという所属欲求。つまりは絵を利用する人間である。そしてそれは潜在的な意識でありそれらが叶ったとしても自分では気づかない場合が多いだろう。もし絵に悩みを抱えた時、自分が絵が上手くならないことに悩みを抱えているのではなく、本当は評価がなされないことに対してだったり、繋がりが生まれないことに対してかもしれない。もしそうならば絵の上達は諦めてしまった方がいいだろう。RTの稼ぎ方、フォロワーの稼ぎ方を調べた方が見えなかった目的に近づけるはず。絵を描きたいのか、絵を描くことで何かを得たいのかはっきりしよう。
wikiにはデビューは9×年とありますが、実際はその前に漫画が雑誌に載ったことがある。
13歳のときに描いて某少年誌に送った漫画が何故だか賞にはいり、全ページ掲載されたのです。
この作品については検索しても出てこない。あまりに大昔のことすぎて。
絵もとにかくどヘタで、自分のなかでも黒歴史化してるので、とっくの昔に掲載誌も捨てた。
生原稿だけはどこかに保管してあるけど、目に触れないような奥底にしまってある。
でもネタとして、時々自分のブログや漫画でチラチラ遠まわしに「中学生の頃に雑誌にどヘタな漫画が載った」ということを書いたりしていた。
そうしたらあるときは長年のファンの人が、その少ない情報を元に、見事にその掲載誌を古本で見つけ出し、あるときのイベントでそれをコピー製本したものを持ってきてくれたのです。
めちゃくちゃびっくりした…。よくわかったなと感動しました。
それはそれととして、何十年ぶりかに自分の黒歴史と再開を果たしてしまった。
しかし、時間が多少脳内でそれを美化していたところもあり、これも自分も出発点だしな…と思いそれを読み返してみた。
自分の思っていた以上にひどかった!
お話は小学校の漫研が舞台。そこに転校生がやってきて入部したいと言い出す。彼が持参した原稿を見るとメッチャ上手くて他の部員はびびりまくる。
で、漫研といっても、そいつらの活動は本屋に行って店員の目を盗みながら立ち読みしたり、河原で遊んだりしてるだけなんです。
つまりこいつらは別に漫画家を目指して切磋琢磨してるわけでなく、ただの漫画好きの小学生ってだけなんですよね…。
そしてひょんなことから、転校生の父親が漫画家であることがわかる。しかも松本零士!名前は杉本に変えてるけど!
そこで初めて自分たちと転校生の圧倒的な差異に気づき(原稿見た時点で気づけ)転校生によそよそしくなる。
それを部長である主人公がとりなし、最終的には和解するって話なんですけど、これ漫研を舞台にしてるだけの小学生同士のいざこざの話なんですよね…。
10代の頃の私は何故か漫画を描くとき「主人公は自分より2歳年下にする」というわけのわからないルールを制定していました。
同年代や年上を描くより、多少に俯瞰できるぶん客観的に描けると思っていた気がする。
それはともかく。
おめーよー!と読みながらツッコミが止まらないマイ処女作でしたが(スケットダンスの早乙女ロマンの描いた漫画にツッコミを入れるヒメコの気分を味わえました)これは13歳の自分にしか描けないなあ…としみじみ思った。
最低でも中学生にすると思う。
漫研を舞台にした傑作に「ヨイコのミライ!」があります。主人公たちは高校生で、創作の苦悩より自己愛や、承認欲求、所属欲求が勝ってしまう年頃特有のこじれ感が見事に描かれています。
これがもっとキャラが大人になれば創作の苦悩のほうに重点が置かれますし、つまり小学生にはそのどっちもないんですよね。
だらまあ本当に私の描いたその漫画は、テーマ選びから躓いてる感があるんだけど。
でも、描いた本人の贔屓目かもしれないけど…あまりにも13歳が丸出しになってるその作品が、黒歴史から一周してなんだか愛しい気持ちになったような…気もする。
13歳の私の漫画は、もう二度と描かれることはない。13歳の私はいないんだから。
最近、某残業のないIT社長のブログでSESがボロクソ言われているので、俺が経験してる状態をフェイク込みで書いていく。
俺のスキルとしては、独学でJavascriptやSwiftとかのフロント言語を覚え、PHP、SQLもさわりならできる。
つまり、簡単なアプリやWebサービスなら自分ひとりで作れる程度。というか作った。
で、仕事としてプログラミングをしてみたいと思って、何個か会社を受けた。
最初に来た案件は、上位会社から緊急の案件がきたんで、面談行って!ってことで、よく分からず行ってみる。
向こうがぜひ来てほしいというのでお願いするとのことで、出向。
チームが小規模だったこともあり、テスト項目書の作成やチーム間ディレクションみたいなことも経験した。出向先からは、とても評価されていたらしい。
で、次に紹介された案件が「テスト項目書作製と、テストリーダー」。はあ?
どうも、前の案件で評価されたのと、ちょうど確度高めの案件が流れてきたかららしい。
あの、俺はプログラミングがしたくて来たんですが?
やんわりその意向を所属会社に伝えると、遠回しに「だってお前実績ないじゃん」的なことを。
えーっと、お前のところのクソザコエンジニアより、明らかに俺の方が能力ありますが?
この辺りでごちゃってるのがいま。
というわけで、SESではエンジニアは体のいい部品です。自社や上位会社の意向で、キャリア形成がめちゃくちゃになる。
「何となくIT系でいきていければいいかなー」って奴はSESでもいいけれど、やりたいことやスキルアップ・キャリアアップに貪欲なやつは、SESなんてやってはいけない。
あと、帰属意識というか所属欲求というか、「自分が何者か」ってのがよく分からなくなる。
これは体験しないと分からないだろうけれど、めちゃくちゃヤバい。
マズローの欲求5段階説でいう低次の欲求が満たされないわけだから、人間の尊厳もあったもんじゃない。
普通のサラリーマンみたいに、毎日自然と顔を合わす人が、いない。
客商売だから、何するにも評判とかイメージに繋がってしまうから、下手なことが出来ない。
いっそ有名人だったら、向こうから人が集まってくるのかもしれない。
どこへ行っても、私のことをどこかで見かけたことがある程度の人・・と出逢ってしまう。
私は、お一人様は平気だ。
とか、思われるのが怖くて、出られない。
知り合いが来そうなイベントに1人でいって、
「あそこの社長、ぼっち」みたいなイメージ持たれたら・・と思うと、怖くて行けない。
そこで、いっそネットで知り合ったような、全然接点がない人と友達になる。
それはそれで楽しいけれど、点と点って感じのまま、
自分のネットワークは広がらないから、「ぼっち感」は消えないまま。
所属欲求が満たされない。
家庭以外にもそれぞれのコミュニティを持っていて、
そこでよろしくやっている感じ。
元々、人を遊びやらに誘うのが苦手だけど、
20代の頃は周りのみんなも遊びやら仲間やらに飢えていて、
しょっちゅう飲み会やらキャンプやらに誘われて、自然と友達になれた。
色々考える必要もなく、
初めての異業種交流会にぽんと飛び込んで仲良くなれた。
自分でも色々企画した。
そういう不慣れなイベントを「一緒にやろう!」とノッて来てくれる仲間がいた。
「50人規模のクリスマスパーティを開催する」みたいな、
社会の薬にも毒にもならないような、意識だけは高いイベントを企画して、
仲間同士でのいざこざがあったり、
頼んだ仕事をやってくれないとか、
それが30代も近づくと、
そんなことしてても経費で赤字のリスクがあるだけで儲かるわけでもないし、
苦労した割には感謝されないし、
そういうイベントごとにももう飽きが来て、
純粋に「みんなで集う楽しさ」みたいなものが感じられなくなっていった。
おんなじ労力かけるなら、仕事にかけた方が、見返りもある。
ただの仲間が増えても何にもならない。
それより仕事に繋がる人脈をつくろう。
そういう打算が勝って行ったように思う。
それで、仕事の繋がりばっかりが増えていって、
お客さん=友達みたいな数年を過ごして30代半ばになった。
だけど、それはそれで、言えないことや気苦労が多くて疲れる。
すると今度は、また、ただの友達がほしくなった。
けれど、ふと周りを見回しても、思い当たる人がいない。
20代の頃あんなにたくさんいた、
「知人以上友達未満」の人たちは、いったいどこに行ったんだろう?
いや、実際は、
彼らはどこにも行ってなくて、
今も変わらずどこかの飲み会にいたり、家庭に入って子育てしたりしてるんだろう。
その繋がりが切れてしまっているだけで、消えたわけじゃない。
でも、私の目から見れば、消えたも同然だ。
気軽に、飲みとか遊びに誘える友達がいない。
新しくつくろうにも、そこにはお互い何らかの目的がある場合が多くて、
そういうのを抜きにした「ただの友達」を作ることの難しさ。
意識して作ってこなかったことがいけなかったんだろうか。