「所属欲求」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 所属欲求とは

2018-04-11

Twitter駆け出し絵師

4月に入ってTwitterでちやほやされる夢を見ながら絵を描き始めた人間は多いだろう。そんなやつらに覚えておいて欲しいことを言っておきたい。

・絵は才能は半分正解

絵は才能がすべて、というが実際それはある。しかしながら最低限可愛いと思える絵ぐらいなら見よう見まねでなんとかなる。そこから評価されるかが才能といったところ。何年も描いて小学生レベルな絵の人は基本枚数をこなしていてもやる気はないと思っていい。もしくは間違った描き方に固執しているかだ。

・絵が上手い人は上手い人としか絡まないも半分正解

よくTwitterでこれを否定する意見がある。正しくは「絡むのに絵の実力は関係ない。ただしあくま雑談したり一緒にゲームをする範疇で絵の部分では自分より上手いかレベルでないと関わることはできないしオフで会うことはない」であるそもそも人間として生きてきたならば学校で似たもの同士でグループができることくらい学んでいるはず。ネット上も同じ。上手い絵師と絡みたければまずは絵以外で関わりを持とう。

・まず色塗りを学べ

下手に見える絵の共通点として塗りが下手なことが特に多い。バケツ塗りにブラシでなんとなく影をつけただけ、がもはやテンプレート。線は顔だけ、バストアップだけを避けて偏らずに数をこなせば上達する。が、色塗りは技法を学ばなければ厳しく、がむしゃらにやっていれば報われると信じている愚か者が躓きやすい。幸い世の中には色塗りの技法がタダで転がっている。まずは学べ。線なんかガタガタでも色塗りが良ければ上手く見える。

・認められないうちの自己評価はあてにならない

他人から評価は確実に自己評価よりも低いものだと思え。時間をかけて作られたもの愛着が湧くのもしかたないが見る側はそんな苦労や努力は知らない、結果だけを見る。それが同じ絵師だとしてもだ。数字がついてくるまで期待しないこと。

・なぜ絵を描くのかはっきりさせる

絵を描く=趣味 というのは一般的な話だ。しかしながら趣味ではなく手段、もしくは趣味を兼ねての別の意味合いを含めたものとしている人間もいる。褒められたい、ちやほやされたい、憧れのあの人の立場になりたいといい承認欲求。はたまた絵を通した仲間・友達が欲しい、誰かと繋がっていたいという所属欲求。つまりは絵を利用する人間である。そしてそれは潜在的意識でありそれらが叶ったとしても自分では気づかない場合が多いだろう。もし絵に悩みを抱えた時、自分が絵が上手くならないことに悩みを抱えているのではなく、本当は評価がなされないことに対してだったり、繋がりが生まれないことに対してかもしれない。もしそうならば絵の上達は諦めてしまった方がいいだろう。RTの稼ぎ方、フォロワーの稼ぎ方を調べた方が見えなかった目的に近づけるはず。絵を描きたいのか、絵を描くことで何かを得たいのかはっきりしよう。

以上だ。特に最後のもの意識して欲しい。

2018-03-02

13歳のときに描いた漫画勇気をだして読み返してみた

20ちょっと漫画を描いてご飯を食べています

wikiにはデビューは9×年とありますが、実際はその前に漫画雑誌に載ったことがある。

自分が13歳のときです。

13歳のときに描いて某少年誌に送った漫画が何故だか賞にはいり、全ページ掲載されたのです。

この作品については検索しても出てこない。あまりに大昔のことすぎて。

絵もとにかくどヘタで、自分のなかでも黒歴史化してるので、とっくの昔に掲載誌も捨てた。

原稿だけはどこかに保管してあるけど、目に触れないような奥底にしまってある。

でもネタとして、時々自分ブログ漫画でチラチラ遠まわしに「中学生の頃に雑誌にどヘタな漫画が載った」ということを書いたりしていた。

そうしたらあるときは長年のファンの人が、その少ない情報を元に、見事にその掲載誌古本で見つけ出し、あるときイベントでそれをコピー製本したものを持ってきてくれたのです。

めちゃくちゃびっくりした…。よくわかったなと感動しました。

それはそれととして、何十年ぶりかに自分黒歴史と再開を果たしてしまった。

しかし、時間が多少脳内でそれを美化していたところもあり、これも自分も出発点だしな…と思いそれを読み返してみた。

自分の思っていた以上にひどかった!

お話小学校漫研舞台。そこに転校生がやってきて入部したいと言い出す。彼が持参した原稿を見るとメッチャ上手くて他の部員はびびりまくる。

それでも普通に彼を歓迎する部員たち。

ちなみに主人公はその漫研部長女の子です。

で、漫研といっても、そいつらの活動本屋に行って店員の目を盗みながら立ち読みしたり、河原遊んだりしてるだけなんです。

まりこいつらは別に漫画家を目指して切磋琢磨してるわけでなく、ただの漫画好きの小学生ってだけなんですよね…。

そしてひょんなことから転校生父親漫画家であることがわかる。しか松本零士名前杉本に変えてるけど!

そこで初めて自分たち転校生の圧倒的な差異気づき(原稿見た時点で気づけ)転校生によそよそしくなる。

それを部長である主人公がとりなし、最終的には和解するって話なんですけど、これ漫研舞台にしてるだけの小学生同士のいざこざの話なんですよね…。

和解方法も学級会みたいだったし…。

13歳の私の世界はそこが限界だったんです。

10代の頃の私は何故か漫画を描くとき主人公自分より2歳年下にする」というわけのわからないルールを制定していました。

年代や年上を描くより、多少に俯瞰できるぶん客観的に描けると思っていた気がする。

実際は客観性なんてゼロでしたが。

それはともかく。

おめーよー!と読みながらツッコミが止まらないマイ処女作でしたが(スケットダンス早乙女ロマンの描いた漫画ツッコミを入れるヒメコの気分を味わえました)これは13歳の自分しか描けないなあ…としみじみ思った。

いまの自分が描くならまず設定を小学生にしない…。

最低でも中学生にすると思う。

漫研舞台にした傑作に「ヨイコのミライ!」があります主人公たちは高校生で、創作の苦悩より自己愛や、承認欲求所属欲求が勝ってしまう年頃特有のこじれ感が見事に描かれています

これがもっとキャラ大人になれば創作の苦悩のほうに重点が置かれますし、つまり小学生にはそのどっちもないんですよね。

だらまあ本当に私の描いたその漫画は、テーマ選びから躓いてる感があるんだけど。

でも、描いた本人の贔屓目かもしれないけど…あまりにも13歳が丸出しになってるその作品が、黒歴史から一周してなんだか愛しい気持ちになったような…気もする。

13歳の私の漫画は、もう二度と描かれることはない。13歳の私はいないんだから

いまの私にしか描けない漫画もあるし、それもまた先々には変化していくんだろう。

作品というのは自分なんだなということを改めて認識しました。(とってつけたようなシメ)

2018-02-07

所属欲求が満たされなくてつらい

今の環境所属欲求が満たされずにただただつらい。

自分が何者なのかが分からなくなる。自分の居場所が分からなくなる。

環境を抜け出せるように努力はしているが、泥沼の中を歩いてる感じ。

進んでいる実感はあるんだけれど、とにかくつらい。

2018-02-02

IT業界に入りたいと思っても、SES絶対にやめておけ

最近、某残業のないIT社長ブログSESがボロクソ言われているので、俺が経験してる状態フェイク込みで書いていく。

俺のスキルとしては、独学でJavascriptSwiftとかのフロント言語を覚え、PHPSQLさわりならできる。

まり簡単アプリWebサービスなら自分ひとりで作れる程度。というか作った。

で、仕事としてプログラミングをしてみたいと思って、何個か会社を受けた。

さて、実際に受かった会社SESだったわけだ。

今思ってみれば、俺の業界研究が甘すぎた。

最初に来た案件は、上位会社から緊急の案件がきたんで、面談行って!ってことで、よく分からず行ってみる。

で、案件テスター案件。はあ?

向こうがぜひ来てほしいというのでお願いするとのことで、出向。

チームが小規模だったこともあり、テスト項目書の作成やチーム間ディレクションみたいなことも経験した。出向先からは、とても評価されていたらしい。

で、次に紹介された案件が「テスト項目書作製と、テストリーダー」。はあ?

どうも、前の案件評価されたのと、ちょうど確度高めの案件が流れてきたかららしい。

あの、俺はプログラミングがしたくて来たんですが?

やんわりその意向所属会社に伝えると、遠回しに「だってお前実績ないじゃん」的なことを。

えーっと、お前のところのクソザコエンジニアより、明らかに俺の方が能力ありますが?

この辺りでごちゃってるのがいま。

というわけで、SESではエンジニアは体のいい部品です。自社や上位会社意向で、キャリア形成がめちゃくちゃになる。

何となくIT系でいきていければいいかなー」って奴はSESでもいいけれど、やりたいことやスキルアップキャリアアップ貪欲なやつは、SESなんてやってはいけない。


あと、帰属意識というか所属欲求というか、「自分が何者か」ってのがよく分からなくなる。

まり精神的に不安定になりやすい。

これは体験しないと分からないだろうけれど、めちゃくちゃヤバい

マズロー欲求5段階説でいう低次の欲求が満たされないわけだから人間尊厳もあったもんじゃない。

環境完璧に順応できるやつ以外は、こんなもん耐えられないんじゃないか


これからIT業界に来ようとする君が、同じ間違いをしないように。

2017-06-07

希望が無い

社会にとけ込めない

才能が無い

自信が無い

スキルが無い

学歴が無い

人脈が無い

コミュ力が無い(友達がいない)

資産が無い

集団にとけ込めないので所属欲求

が満たせない

自己肯定感に著しく欠如してる。

生きていくよすがが無い

ほんとに生きている意味がわからない。

俺に食べられる食物はかわいそうだ

もう楽になりたい

何も考えたくない。

そんな事をひたすら考えて、練炭かったり

して死ぬ事を本格的に考えたら少し楽になった。

でもまたこんな気持ちが波の様によせてはひいて

やってくるんだろう

それが人生

2017-05-08

自分負けず嫌い人間で、

初期の社会生活学校生活)で

出遅れいるから、何かで取り返さないと

行けないと思い、人を見下して人付き合い

をせず自分を高めるための勉強をしていた。

それが今になって、先が見えずに

行き詰まりを感じている。才能や環境

が無い人間が上を目指す事の意味の無さ

報われなさ。もっと早くに気づくべきだった

のか。

承認欲求が欲しい。どうしようもなく。

しかしながらその前の所属欲求も今は欲している。

場所が欲しい。

いや、本当はそんなもの考えずに早く死んで、

この世から消えたい。

それが一番楽だ。

2014-04-30

20代の頃いた「知人以上友達未満」の人たちは、いったいどこに?

もっと友達がほしい、もっと人と仲良くしたい。


面白そうなイベントがあっても、気軽に誘える友達がいない。

仕事ノマドみたいな形でやっているから、

普通サラリーマンみたいに、毎日自然と顔を合わす人が、いない。


それに、自分の立ち上げた小さな仕事

個人事業だけど、その代表って肩書きに縛られている。


客商売だから、何するにも評判とかイメージに繋がってしまうから、下手なことが出来ない。

いっそ有名人だったら、向こうから人が集まってくるのかもしれない。

ところが、中途半端に「知ってる程度の人」が多いから

どこへ行っても、私のことをどこかで見かけたことがある程度の人・・と出逢ってしまう。




私は、お一人様は平気だ。

から、1人でイベントに行くのは全然かまわない。


でも、たとえば同業の人が主催するセミナーに出たくても、

「あの人が勉強に来てるってことは、こっちの会社の方が格上」

とか、思われるのが怖くて、出られない。


知り合いが来そうなイベントに1人でいって、

「あそこの社長ぼっち」みたいなイメージ持たれたら・・と思うと、怖くて行けない。


そこで、いっそネットで知り合ったような、全然接点がない人と友達になる。

それはそれで楽しいけれど、点と点って感じのまま、

自分ネットワークは広がらないから、「ぼっち感」は消えないまま。

さびしい(´・ω・`)

所属欲求が満たされない。


ただの、人と人として仲良くしている友達はいるんだけど、

30も半ばになると、みんな結婚して育児していたり、

家庭以外にもそれぞれのコミュニティを持っていて、

そこでよろしくやっている感じ。


元々、人を遊びやらに誘うのが苦手だけど、

20代の頃は周りのみんなも遊びやら仲間やらに飢えていて、

しょっちゅう飲み会やらキャンプやらに誘われて、自然友達になれた。


自分もなんの肩書もなかったから、

色々考える必要もなく、

初めての異業種交流会にぽんと飛び込んで仲良くなれた。


自分でも色々企画した。

そういう不慣れなイベントを「一緒にやろう!」とノッて来てくれる仲間がいた。


「50人規模のクリスマスパーティを開催する」みたいな、

社会の薬にも毒にもならないような、意識だけは高いイベントを企画して、


仲間同士でのいざこざがあったり、

頼んだ仕事をやってくれないとか、

リーダーを批判するやつがいたりとか、

人が集まらなくて必死集客したりとか、

学生時代にやり尽くせなかった「青春」をしていた気がする。


それが30代も近づくと、

そんなことしてても経費で赤字リスクがあるだけで儲かるわけでもないし、

苦労した割には感謝されないし、

そういうイベントごとにももう飽きが来て、

純粋に「みんなで集う楽しさ」みたいなものが感じられなくなっていった。


おんなじ労力かけるなら、仕事にかけた方が、見返りもある。

ただの仲間が増えても何にもならない。

それより仕事に繋がる人脈をつくろう。

そういう打算が勝って行ったように思う。


それで、仕事の繋がりばっかりが増えていって、

お客さん=友達みたいな数年を過ごして30代半ばになった。

だけど、それはそれで、言えないことや気苦労が多くて疲れる。


すると今度は、また、ただの友達がほしくなった。


けれど、ふと周りを見回しても、思い当たる人がいない。


20代の頃あんなにたくさんいた、

「知人以上友達未満」の人たちは、いったいどこに行ったんだろう?


いや、実際は、

彼らはどこにも行ってなくて、

今も変わらずどこかの飲み会にいたり、家庭に入って子育てしたりしてるんだろう。

ただ私が、彼らとの接点を持ち続ける努力をしなかったから、

その繋がりが切れてしまっているだけで、消えたわけじゃない。

でも、私の目から見れば、消えたも同然だ。


気軽に、飲みとか遊びに誘える友達がいない。

新しくつくろうにも、そこにはお互い何らかの目的がある場合が多くて、

20代の頃のように、無邪気に交流できないような気がする。

仕事恋愛、人脈。


そういうのを抜きにした「ただの友達」を作ることの難しさ。


30半ばにもなって、自分自身のコミュニティ

意識して作ってこなかったことがいけなかったんだろうか。


このまま行くと、40代突入した頃にはどうなってしまうんだろう?

どうしようもない大人、ぼっちだけど自分を変えられない大人、になってしまいそうで怖い。

2013-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20131119225458

そういう人たちが欲しいのは、恋人じゃなくて、共同体の中での「あなた普通です」という証明からね。

友達に「見て見て!私は恋人いるか普通でしょ!」「結婚たか普通でしょ!」って言いたい。

から共同体への所属欲求が高い人ほど恋人が欲しいし、結婚がしたい。

相手は誰でもいいわけじゃなくて、共同体から「フツウ」だと思ってもらえる異性なら誰でもいい。


これを突き詰めると「草食系」とやらの正体がわかる。

共同体の中の「フツウ」になりたくて必死に相手を探す適齢期過ぎの女性10人居ても、

同じレベル共同体所属したい男性は2・3人しかいない。

高望みがーとか性欲がーとかそんなのは関係無い。

現代日本では、見栄を張りたい人の数にずいぶん男女差があるってだけのことなんだ。

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