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はてなキーワード: ネタ番組とは

2018-03-26

思ったけど芸人って大変じゃね?

観客は「面白くて当然」と思いつつ見てるからちょっともつまらないとがっかりする。ハードルが高い。

逆に演劇ドラマだと、コメディでなければ「笑おう」と思って見てないので少し面白いだけで笑ってしまう。「俳優なのになんでここまでやるの」と思ってしまい余計に笑える。芸人だったら「これで面白いつもりか」と思われる可能性があるけど。

オリラジネタ番組でなぜか本気度の高い歌とダンス披露するってのは逆の仕組みだね。

2017-07-23

やめなよ

映画だけじゃなくてネタ番組も1.4倍で見るのやめなよ。

小島よしおが凄く速い。

2016-11-17

ラーメンズコントを久々に見てはしかにかかった

中学生の頃ネタ番組が好きで良く見ていた

高校入学した時先輩が文化祭漫才をしていた

ネタが完全にある芸人の丸パクリでそれを見た俺は

「パクりとか何の意味があるんだ…」とそれを演っている先輩と笑う客に対して呆れたのを覚えている

高3の時、出たがりの友人に誘われて文化祭漫才をすることになった

ネタはもちろんオリジナル、ということで相談しながら作ったが、作っている本人としては完成度40%、全然練り上げられていないという代物だった

高すぎた理想現実とのギャップに正直がっくり来た

とは言え文化祭当日は黙っていても迫ってくる

不本意ではあったが満足いく出来にならないまま披露することになった

はっきり言って緊張していて表情も硬かっただろうし、ネタどうこう以前に演者としてもヒドかったと思う

加えて自分教室の隅っこで昼飯食ってるような人間だったので、観ている側に味方も少なかった

ヒドい出来だけどもしかしたらウケるかも、という淡い期待もむなしくもらえた笑い声は大してなかった

漫才が終わり敗北と言える結果の残念さが胸にじわっと広がり、逃げるように降壇しながら思った

先輩がやってたアレはコミュ力があり人脈が広い人気者が漫才ごっこをすることに価値があったんだなと

から席が隣なだけの大して仲良くもない男に「えっ結構面白かったよ」と言われたのが嬉しかった

まぁ悪くない思い出かもしれない

ラーメンズコントを久々に見ていて思った

「俺も何か作りたい」

演劇もやってみたかった、声優もやってみたかった、バンドもやってみたかった、芸人もやってみたかった、

勉強と同時進行してみてもよかったろうが、普通に就職することこそ正義思い込み家庭でもそう言い聞かされて居たか趣味としてやるのもなんだか恥ずかしかったので結局部活等の形でもその世界に飛び込むこともなかった

親にやりたいことを聞かれても大学進学したいと嘘をついてそのまま大学進学して就職した

くすぶった思いをどこかで解消することをしないまま過ごしたのも、モヤモヤと持っていた恥ずかしさが起因していたと思う

高3の時にとりあえずヘタクソでもいいからやってみたことに倣って何かやってみようという衝動が何故か今沸いている

実際に自分の体を何か使うという形にこだわらなければ、今はネットがあるし色々な形で発表できるしやろうと思えばやり方はいろいろありそうだ

30前にしてはしかにかかるとは思わなかったが、趣味でいいから何かしてみようかなと思った

仕事で何も成してないからこんなこと思い出すんだろうな、と気づいているけどそんな現実は置いといて

2016-02-06

歌手を目指す人のとりあえずの目標ってCDデビューで、その後武道館ライブ、そして紅白出場という感じだろう。

(今はもう違うだろうけど)

これを芸人に変換すると何になるだろうか。

とりあえずはネタ番組出演で、その後冠番組から流行語大賞受賞とか?

2016-02-02

前回のラバーガール

最近割と増えてきたけど、ネタ番組もっと増えてほしい。もっとお笑いテレビで見たいよー。

2016-01-25

爆笑問題太田光って全然おもしろくないんだけど

なんで大物扱いされてるの?

なんか特殊コネでもあるんだろうか。

べつに批判したいわけじゃなくて、単純に謎。特に時事ネタなんて、サラリーマン飲み会で言っても痛々しいレベルだと思う。

人によって好みもあるだろうけど、太田光面白いと言っている人を見たこともない。

ちなみにおれは、好みでいうと、35歳ぐらいまでの松本人志が好きでした。それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。

しか太田光って、おもしろかった時代あったの?

以下、追記。(2016/1/25 18:30時点)

主なブコメトラバにまとめて返信しておこう。

ここで「いや面白いよ」と言っても個人の感覚の違いと言って終わりになるのでいいとして、売れた今でも若手に混じって新ネタ漫才やってちゃんと会場の笑いとってるのは本当に凄いと思う。

俺も面白くない派。一方で彼は努力家だとは思っている。元日ネタ番組大晦日紅白をいじる漫才披露できるスキル尋常ではない

⇒たしかにね。

太田光面白いと言っている人を見たこともない」 ここに面白いと言ってる人が現れたとして(もう何人も現れてるけど)この人の考えは変わるんだろうか

⇒変わるかも。「面白いと言っている人を見たこともない」が「ほとんど見たことない」や「見たことはある」に変わるだけだけど。

面白いと思う。でも、それ以上にしつこい時とウザい時が多すぎるとも思う。三振ホームランみたいな印象だから、ついつい期待しちゃう。(そして外れる)

⇒確かに、しつこい時とウザい時が多すぎるね。おれがダウンタウン好きだったのは、そういうマイナスほとんどなくて、安定してたっていう点もあるかも。松本の「一人ごっつ」に、しつこくてウザい時間帯はほぼなかったと思うし。(こういう発言は、昔の2ちゃんとかだと、ナイナイファンや爆笑問題ファンから信者」として叩かれたもんですw)

別に爆笑問題特別好きでも何でもないけど、自分が認めてないもの世間から評価されてる時にこんな風な思考になることにそろそろ名前がついて良いと思う。大物扱いとお前の好みは1ミリ関係ない。

自分理解できないもの流行ってたら「なんで?」って思うのは当たり前のことなので、べつに名前つけなくても良い気が。

既視感ある。太田ってテンプレ的にこういう意見沸くよね。面白いか?と必ずいうけど、実際はそこよりも政治的文化的発言に相容れなくて反感持ってるんだろうなと感じる。

⇒俺は反感はべつにもってないけど、もってる人たしかにいるよね。

そう思った時期もあったけど、ラジオを聴いてガラッと印象が変わった。投稿を読み上げる太田光は、役者のもの自分に限って言えば、腹を抱えて笑うこともある。

太田さんというか爆笑問題が大好き。太田さんが時事や文学について語るのには「意見が違うなぁ」と思うけど、齢50を越えた二人が中学生みたいな喧嘩をするのがおかしくてたまらない。ラジオ聞けラジオ

暇すぎて深夜ラジオANNJUNK曜日録音して聴いてた頃の感想としては

太田フリートークはクソ詰まらなかったけどネタハガキ読むのは一番上手だった

ラジオ聞けばわかるけど、あの人は他の誰かの筋書きを論評なり演出なりするのがうまいんであって、あの人自身がどう、ってのはあまりないんだよな/なんでみんなもっとウーチャカ狂気に気づくべき

ラジオきけっていうコメントがたくさんあった。なるほどねー。ただ、昔ネットで、「伊集院光ラジオを聞くと彼が天才であると分かる」みたいな説を振りまいている集団がいて、聞いてみたら、そんなに面白くなかったという経験はある。

『司会ができる』から重宝される、というのはあるかも。あと、事務所タイタン」が仕事を持ってこれるチカラがあるからかね

コネはあるよ

妻が自分の芸プロ作ってそこに所属してるから

面白いとか面白くないとかではなく、アンタッチャブルものに触ってくれるんじゃないかという期待感だけでそこに居る。

純粋に、談志、たけしの後継。

(まあコネというか、談志非公式にではあっても後継指名されているのが無下には扱われない理由の1つではあると思う。あと奥さんの能力と)

ちなみに面白い時代はなかった。

マジレスするとビートたけしパイプがあるからでしょ?同様にビビる大木も「抱き合わせ販売状態ってどこかで見たぞ。カラクリはあるだろうにanonymousを叩くコメ意図わからんマウント取りたくて仕方ないのか?

コネです。だって爆笑問題事務所社長さん、めっちゃ美人じゃないですかー

⇒そうそう、信じるかどうかは別にして、こういうのが気になったの。べつに、太田テレビに出てるのが嫌とかいうのは全くなくて、単純に、お笑いとしてのクオリティが低い(と俺には感じられる)のにそれなりの地位に付いている理由が知りたいなぁと思っただけ。

僕も爆笑問題は好きではないけど、こういうのはなんというかダサいな単に。/ 「太田光面白いと言っている人を見たこともない」と「爆笑問題ファンから信者」として叩かれたもんですw」が矛盾

⇒たしかに、「見たこともない」は言いすぎたな。しかしよく考えたら、昔「ダウンダウン信者」とネット上で抗争を繰り広げていたのは「めちゃイケ派」や「笑う犬派」だった記憶が蘇ってきたので、「爆笑問題ファン」をわざわざここに挙げるほどみてない気は依然としてする。

太田面白さも理解しかねるが、「それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。」こっちの方が理解できない。

⇒賛成できるという意味での理解ではなく「世の中そんなこともあるだろ」っていう意味での理解です。

あの人は不思議な感じで、面白いと思った事がないんだけど「俺が見てないとこで面白い事言ってるんじゃないか」という謎の期待感というかハッタリがきいている。/テレビラジオっ子には分かるまいw

⇒なんか分かる気がする。

年寄り素人に「人間でいったら何歳?」って聞くネタがいつになってもツボ。

⇒そういう上手いボケを連発してくれる期待感がないんだよなぁ。

なんか思ったよりブクマがついて微妙ホッテントリに上がってて、太田さんに申し訳なくおもっておりますが、意外に「いや、面白いから」みたいなコメントがたくさんあったので逆によかったということにしときましょう。

2016-01-03

あれは漫才ではないと言う人たちって何が目的なのか分からない

お笑いの賞レースネタ番組の実況でたまにあれは面白いけど別に漫才ではないわと言う人たちが出てくるが意味が分からない。

よくある意見では俺が○○やるからお前が〇〇やってと言って途中でコントに入るパターン漫才じゃないって意見

去年の12月M-1トレンディエンジェルが優勝した時もまあ面白かったけどあれは漫才ではないという書き込み普通にあった。

本当に漫才じゃないのだとしたら漫才大会であるM-1トレンディエンジェルが勝ち上がってること自体おかしいと思う。

過去にもテツandトモM1の決勝に進んでいるのになんでしゃべくり漫才けが本当の漫才だと言い切れるのかが分からない。

漫才でも漫才じゃなくても面白ければいいじゃん。

それと漫才定義ってなんなのか誰か教えてください。

2015-08-12

ステマに騙される人の典型例 がんばれ情弱くん!

http://anond.hatelabo.jp/20150810235359

ディレクターの指示に応じてるだけだろ。

目の前で起きている現象は、「目の前にいる人物だけ」が起こしているわけではない。目の前にいる人物の背後にいるスタッフによって作られている場合が多い。

ネタ番組芸人ネタほとんどは作家が書いているし、

歌手歌詞メロディも、大御所以外はたいていディレクターとかの指示で変わってるから。変えさせられているから。

がんばれ情弱くん!

もっと学べ! この世界の理(コトワリ)を!

2014-02-11

お笑いを見れば見るほど元気がなくなってくる

オンバトなどのネタ番組は欠かさず見ているくらいにはお笑い好き。

去年のthemanzaiはほぼ全組大爆笑だった。

最近バラエティを見ているとその話題がネガティブものばっかりで元気がなくなってくる。

老後の不安や、結婚できない話、芸能界で生き残るための話、そういうのだらけだ。

もちろんそれを話している人の腕は超一流なので、見ていてすごい面白い

だけど、夢がない。格好良くない。

楽しいバラエティ番組を見ているのに、悲観的な考えを植え付けられている気がしてならない。

本当に暗い世の中だからこそ、お笑い芸人だけは楽天的でいて欲しい。頼むよ。

2013-06-12

何でも「二番目に好きなこと」がうまくいくヒントなのか

少し前に、テレビ業界の人に言われた事がある、お笑い芸人が今テレビに出るには「二番目に面白い」がこないと出られないと。

勿論、「面白さ」が一番にきていて、テレビに出ている人は沢山いるが、もうそれは出尽くしており且つ、ネタ番組が無い今日業界では、それを超える、真新しさとか面白さが無い限り、出てこれないということらしい。

占いだったり、スピリチュアルだったり、頭がよかったり、歌がうまかったり、絵がうまかったりする芸人さんがテレビに出ているのはそういうことらしい。

なんか特技があって、その上で「お笑い芸人」だから面白いですよっていう+αがないと今は出られないと。

恋愛でも一番好きな人とは結ばれない。なんてよく言われるけど、確かにそうだなって思う。

相手を思うあまり、嫌われたくないから優しくしすぎて、重苦しく取られたり、本来の自分が出せずに、そのギャップ良心の呵責に苛まれるたりするからだ。

から、「二番目に好きな人」と上手くいきやすい。一番目に好きな人いるから、二番目にはそんなに干渉しないし、嫌われてもいいという余裕があるからありのまま自分がでる。

No.1にならなくてもいい、もともと特別な Only oneってそういう意味なのかね

2013-05-07

Gunosy炎上はイキり過ぎが原因なんだな

おれみたいな場末スナックのような職場エンジニアやってた人間からすると、もう神々しいわけですよ。

東大エンジニアが、スーパークリエータ認定うけてとか。

もうね、こっちが軽自動車で走ってる横をボルボル君で颯爽と抜き去っていく。

だんじり山車の上でソイヤ、ソイヤやってるのをこっちは羨ましそうに見ているのです。

で、こんな凄いサービスは早速登録だ!と使ってみたところ、みなさんお書きのように

はてぶのまとめみたいな感じの情報しか集まってこない。

アルゴリズムがどうのこうの、長い目で見てやれのどうのこうの、いや結果でしょ?結局。

来ねぇんだよ、おれのところにピザが!あつあつのチーズとろとろのピザが来ないの!

あんだけイキられたのに送られた来た情報がもう1日前に見た情報ってこういうこと?

カビカビチーズピザなんか誰が食うんだよ。もうピザネタはいいや。

これはね、期待してドアを開けたら写真全然違うデリヘル嬢が立ってたときと同じ衝撃なわけですよ。

全然ルックス違うじゃねーかって苦情の電話したら、写真写りがとかスーパースカウトスカウトしてきたから間違いないとか言われてる訳です。

少し興奮してしまいました。上2行は忘れてください。

すでに見たページなんて二度と開かないわけだから、おれの興味あるページなんて一生わけるわけないじゃん。

これはね、すでに昨日買って読んだ週刊誌を次の日にまた買って読むかって話なんですよ。

これはね、年末のM−1で見せられたネタを新春のネタ番組で再度見せられて笑えるかって話なんですよ。

これはね、上司が酔って何度も同じ話をしてくるのにうなずきながら、そうなんですか?すごいですね。と言えるかって話なんですよ。

ボクはね、やさしいからそうなんですか?すごいですね。って言っちゃうんですよ。何度も何度も聞かされて、周りもあいつが相づち打つから

上司が機嫌良く話をするんだって目でこっちを見るんです。おれまで戦犯にされてるんですよ。

少し興奮してしまいました。上5行は忘れてください。

おれたちは凄いんだということを全面に出した限り、中途半端に凄い事やっても評価されないってことなんだろうな。

せめて彼らが軽自動車で営業に来ていれば、状況も変わったかもしれない。

人は自分より下の人間を見る事で自尊心を保つって言いますからね。

おれは軽自動車今日もあおられっぱなしです。

2009-04-15

「ロウ・クオリティ」の時代

今、コンテンツ産業が大きな地殻変動に見舞われている。

出版は老舗の雑誌が次々と廃刊し、テレビ視聴率低下によって広告離れが起き、音楽は久しくミリオンが生まれていない。

一方、ネット世界に目を向けてみるとニコ動youtubepixivtwitter等々、様々なサイトが盛り上がりを見せ、大きなうねりを生み出そうとしている。テレビ等の既存メディアとは対照的だ。

だがしかし、言ってしまえばネットコンテンツはどれもこれも素人の提供する予算クオリティも低い代物である。

長らく映画ファンの間では邦画がつまらない理由は「ハリウッドに比べて予算が少ないから」と言われてきた。

何故、既存メディアの提供する潤沢な予算で作られたプロコンテンツよりも、ネットコンテンツが支持されるのだろうか。

ネットコンテンツの中には、企業制作予算のかけられたコンテンツ存在するが、それらも不思議と支持されていない。何十分の一、何百分の一の予算で作られたyoutube動画の方が支持される。

この現象を紐解くために、低調な既存メディア内において、根強く支持されるコンテンツに目を向けてみよう。

そうすると人気バラエティや人気お笑い芸人に対して、「脱力」だとか「ゆるい」だとかのキーワードが頻出していることに気づく。

二つとも、元はマイナス意味を持っていた。「脱力」は「落胆」と同義だったし、「ゆるい」の場合は、例えば「ゆるキャラ」は当初は嘲りの目線が多分に含まれていた。

それがここにきて、プラス意味に転じているのだ。

ここでは「脱力」「ゆるい」を総じて『ロウ』と呼称しよう。

今、世の中で支持されているものはそのほとんどが『ロウ』なものだ。

お笑いネタ番組キッチリと構成されたコントを見せるものから、数秒の一発ギャグを次々と見せるという『ロウ』なものに変化したし、別の潮流の『すべらない話』も人がいてただ面白い話をするだけ、という『ロウ』なものだと言える。

深夜バラエティゴールデンに行って失敗するのは、『ロウ』なものから予算のかけられた『ハイ』なものになってしまったから、と言える。

そして、『ロウ』なものが何より一番溢れているのは、そう、インターネット世界だ。

素人の一個人がお金をかけずに作った動画なんて、「ロウ」としか言いようがない。

テレビよりもネットが支持される理由がここにある。

では、何故『ロウ』が人々の心を惹きつけるのだろうか。

その答えは、コンテンツ産業の中でいち早く不況に見舞われていた出版業界を見ればわかる。

出版業界では90年代半ばから「出版不況」と言われるようになったが、既に80年代には「活字離れ」と言われる現象が起きている。

活字離れ」という状況下で、それでも数百万部売れるベストセラーは、「文章力がない」「素人が書いたようだ」と書評家が酷評するという奇妙な現象が起きていた。

ここでも『ロウ』が支持されるという状況が立ち現れたのだ。

評論家中島梓は著書『ベストセラー構造』にて、「私にも書けるかもしれない、というアマチュアの親しみやすさ」が支持される要因だ、と分析した。

四半世紀経過した現在、まったく同じ分析が下されたネットのヒットコンテンツがある。『初音ミク』だ。

ネットには『ロウ』が溢れている。『ロウ』の「アマチュアの親しみやすさ」が人々を惹き付け、「私にもできるかもしれない」と思わせる。その思いは初音ミク等のソフトウェアサポートし、発表する場所はネットが与えてくれる。そうやって生まれたコンテンツを見た人がまた同じ思いに駆られ……ネットはそうやってぐるぐると回り続ける。

地デジはおそらく失敗するだろう。何故なら双方向を視聴者からのリアクションしか想定していない。ネットの双方向は、互いに作りあい刺激しあうことだ。

一億総クリエイター社会では、受信機は同時に送信機ではなくてはいけないし、コンテンツを見る場所は同時にコンテンツ発表できる場所でなくてはならないのだ。

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