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はてなキーワード: グリッドガールとは

2018-02-03

誇りがあろうが望んでやろうが、消える仕事は消える。

やってる本人が「好きでやってる、誇りを持ってやってる」ことが、その職業が生き残ることには繋がらない。誇りを持って頑張ってたって、人力車観光スポット巡りにしか生き残れないし、電話の交換手は消えた(特殊回線だと生き残ってるらしいが)。

身体障害者就職先として、自分身体を「奇妙なもの」と見世物にするサーカス見世物小屋があったが、あれは「身体障害者は奇妙なもの、珍しがって怖がるもの」「自分一人で何も出来ない身体なのだから、人に見せることしかできない」という「常識」があった時代から成立してたもの。「身体障害者は誰でもそうなる可能性があるもの」「手足が不自由でも技術や道具を使えば普通仕事はできる」となれば、普通に働けばいいわけで、「人に身体を見てもらってお金をもらう」という商売は成立しなくなる。

まあ、ミゼットプロレスは逆に、その身体性だけでなく技術を見せる方向で復権してるわけだけども。『水曜日のダウンタウン』でミゼットプロレスラー活躍してたのは痛快でしたね。

「美を商売にして何が悪い」って悪いことなんか一つもないわけです。「誇りを持ってその仕事をやってる」こともいいことです。

ももう、この世の中は「見た目がきれい」なだけでお金をもらえるほど楽な世界じゃないと思う。

女子アナは、きれいで賢くてニュース読めてバラエティも出来て当たり前。アイドルは、可愛くて演技出来て歌えて踊れてトーク面白くて当たり前。モデルも、ファッショニスタ情報発信力があって当たり前。ミスコンだって、今は知性や表現力を問われてる。

しかし、グリッドガールは、主催者が「そういえば、何でスタート前にサーキットをウロウロするだけのきれいなお姉ちゃんに金払ってんだろう」と思ったら、それまでの存在じゃないかな。それ以上の存在価値が無ければ、「見た目が華やか」なだけのお姉ちゃんに払う金なんて真っ先に切り捨てられるものだ。不況になったら、社員のお嫁さん候補としての高卒お茶汲みOLがいなくなったみたいなもんで。

スタート前のドライバーに対するアシスタント業務とか、メカニックの最終チェックが出来るとか、チアガールみたいに金が取れるショーが出来るとか、そういう「華を添える」以外の存在価値アピールすれば、「この人たちは可愛いから突っ立てるのではなくて、こういう仕事があるから外せないんだよ」って生き残れたと思うんだけど。

anond:20180203135715

概ね同意します。

グリッドガールについては

anond:20180201213833

ちょうどこんな告白が上がってきていたので、国外がどうだったかはわかりませんが似たようなこともあったでしょうし、まあなくなってよかったんだろうなと思ってます

いちネトフェミの思うグリッドガール問題

たぶん自分はいわゆるネトフェミで、

フェミニズム的な考え方に共鳴はしているが

いわゆるフェミニズム思想潮流の中に自分位置付けられるほどは勉強してない。

で、グリッドガール問題について思うことを語る。

そもそもフェミニズム問題なのか?

F1公式の発表は以下だ。

we feel this custom does not resonate with our brand values and clearly is at odds with modern day societal norms. We don’t believe the practice is appropriate or relevant to Formula 1 and its fans, old and new, across the world.

私たちは、この慣習が世界中の、これまでのそしてこれからファンにとって適切だとは思わない。」

らしい(特に英語に堪能ではないので間違ってたらすまない)。

この台詞を言わせたのは「フェミニズム圧力」「騒ぎ立てた人権屋」なのか?

F1運営組織はそんなに脆弱立場が弱いのか??

どうも私にはそうは思えない。

F1というブランドをどう運営していくかという考えのもとに

主体的に下された決断のように、私には読める。

じゃあフェミ関係ないっていうのかよ

間接的にはあると思う。

まり、「modern day societal norms」の醸成に影響しているという点において。

だがそれは必ずしもフェミニズムイコールではない。

ここを勘違いしているブコメ言及記事が多いように思う。

ここから憶測だが、F1公式の考える「modern day societal norms」にしたがった自分達のあり方が何なのか、というと、

性別と年齢とに関わらず誰もが参加できる「the glamour and spectacle of the Grand Prix」なのだと思う。

そのためには、美しい女性をずらりと取り揃えるという行為

客層を限定するメッセージを発しすぎるという判断なのではないか

それは、フェミニズム関係ない、単純な商業判断だ。

(女性だって美しい女性を見るのが好きだと感じる人は多いだろうが、単純にターゲット問題だ。)


フェミニズムは「女性性的魅力」を認めないのか

こう考えているブコメが多数あったが、私はそうは思わない。

認めないのは

性的魅力を、本人の自由意思に基づかず要請されたり搾取されること」で、

目指す理想の世界

「その人の性的なことを、社会による強制圧力を一切感じずに取り扱える世界

だと思っている。

現にセックスワーク従事する女性の権利擁護フェミニズム範疇だ。

私は、その人が完全に自分自由意思に基づいてするのならば、

たとえば性行為を対価にお金を稼ぐ自由尊重されてしかるべきだと思っている。

もちろん、若さと美しさを披露することで対価を得ることも当然、市場原理保証されてしかるべき自由だ。

フェミニズムが、それらの行為自体を悪と見なしているように見えるのは、

それらが本当に自由意思で行われているか、疑わしいことがあるからだ。

たとえばセックスワークに望んで従事している、と笑顔で言い切る人がいたとして、

その影には本当にたくさんの要因が含まれることがある。

それはわかりやすものを挙げてしまえば貧困であり、教育であり、環境であり、

その人個人の性体験であり、社会的な「性的魅力の取り扱い」に関する要請であり、

そしてそんなカテゴリワード意味をなさないほどに、個人のいりくんだ感情と生育かもしれない。

何が自由意思で何が暗黙の強制なのか、

そこに明確な線引きをすることなどできない。

フェミニズムの名のもとにずかずか入り込むことは許されない。

それでも、その人になにかを強制するものがもし何かあるならば。

もしあるなら、ひとつでもなくなってほしいと願わずはいられない。

それが起きる社会についてかんがえるし、

それをさせている何か、誰かがいないかと考える。

私にとってのフェミニズムはそういう、自由と抑圧について絶えず考え悩む姿勢のことだ。

私は、私個人経験から、性にまつわることの有形無形の「自由意思以外」を感じとってきたので

理想の世界があればいいのにな、と思っている。

仕事を奪われたグリッドガールについて

私は「その女性が、自ら望んでグリッドガールとして働くこと」それ自体には一切の批判はない。

だが、同時に「グリッドガールという役割を作り出す社会のもの」には疑問を投げ掛け続けると思う。

逆にいうならば、グリッドガール自身が、自分達の美しさと若さブランド価値寄与するのだと堂堂と言ってくれるなら、

そしてそこに内面化された抑圧ではなくて彼女たちの自由意思を信じることができるなら、

多いに祝福すると思うし、私が本当に望むのはそうした社会だ。

グリッドガール弱者なのか

小人プロレスにまつわる都市伝説になぞらえ、

「それしかできないかわいそうな女性仕事を奪われた」という構図で話したがる人がいる。

まず第一にこの話が「人権団体」の働きかけによるものだとはどこにも書いてないし、

第二に、グリッドガールは「それしかできないかわいそうな子達がようやく得た仕事」ではない。

しろオーディションを経て勝ち抜いた女性たちだ。

彼女たちが美と若さを売り物にするための市場ひとつ消えてしまったのは事実だ。

グリッドガールを夢見ていた女の子がいたら気の毒だとは思うが、

小人プロレス都市伝説になぞらえて語るものでもまたないのではないか

だが同時に、グリッドガール弱者ではない強者だ!ともいえない。

「美しさを競い続け、選ばれ続けるために努力し続け、そしてその先に待つものがなにか」という問題について踏み込むとき

そこには「誇りをもって美しさから対価を得ていたのに、フェミニスト仕事を奪われたかわいそうなグリッドガール」という弱者像とは別の

「美しさを対価にお金を稼ぐことの苦しさと弱さ」は浮かんでくる。


「殴られる弱者」のパロディで楽しむ人たち

美しいグリッドガール嫉妬に歪んだフェミニストが叩きあうという構図をお望みのかたはたくさんいるようだった。

フェミニストは「男性強者から女性弱者」を守りたいと叫んでいるのに、

ほんとうはグリッドガールを抑圧する「強者なのだ!という転倒の痛快。

そこにあるのは、普段社会女性」の構図でフェミニズムが叫んできた構図のパロディである

そして、その争いは「男性」でも「社会」でもない、

フェミニストという醜いモンスターグリッドガールという美しい虐げられた弱者ならば

自分達に関係なく、そして美しく弱いものを心置きなく応援できて、

普段から気にくわなかったフェミニストたちを存分に叩けるのだ。

きっとさぞ楽しいのだろう。

から特に声明には書かれていないフェミニストは引きずり出され、

さら関係が疑わしい「人権擁護団体」(誰なのかはよくわからない。架空のそういう人たち)を叩き、小人プロレスを引き合いに出している。

そういう人たちがたくさんいる。

グリッドガールがなくなることが正しいとおもうか?

からない。

F1判断は正しいものか?

からない。

スポーツにおける「添え物の女性」には価値がないとおもうか?

簡単には結論が出せない。

けれど確信しているのは、上記のようにみにくいプロレスを望む人の声にのせられて、ファイティングポーズをとる必要はないということだ。

私は、できれば自由について話したい。

自由について、美しさや若さや性を売る自由について、その価値市場について、それが売り手にとって苦しみをもたらさないための社会について。

それがいくつもいくつも積み重ねられて、次の「modern day societal norms」の話ができることを真剣に望んでいる。

女の性的価値が激減する傾向の社会

女性社会進出によって女の発言力が増えていけば、こうなることは初めから分かっていたことだよね。

F1グリッドガール廃止も、少し前に話題になったコンビニからエロ本撤去問題も根は同じこと。

女性社会進出改革が何をもたらしたかというと、女も学歴や職歴を身につけて自立できるようになった、ということではない。

女は学歴と職歴があって「当たり前」の価値観社会になったのだ。

この約30年間で変わったことは、女の生き方多様化したわけではなく、頭のいい女しか認められない社会になったということ。

今までの男社会の片隅で、社会の最底辺としてドブの中で生きてきたブスな女にとってはいい話かもしれない。

レースクイーングリッドガール?)って批判に負けて無くしたの?

なんかあんまそういう感じがしないっていうか

無くすほど批判されてたら多分話題になってるはずだけど見てないか不思議な感じ

この界隈常に追ってるわけじゃないからなんかあったのかもしれないけど

2018-02-02

anond:20180202180621

ご指摘ありがとう

ひとつおことわりしておきますが、フェミニズム女性服装露出自体批判はしていないんですよ。

女性からという理由で、露出を無理強いされたり、逆に隠すことを無理強いされることを批判している、というのはフェミニズムが生まれから今まで、ずっと変わらないはずです。

フィギュアスケートスポーツにおいて服装は本人の意向尊重されているはずで、その限りではどんな服装であろうと異論はありません。

グリッドガールについてはフェミニスト団体から直接抗議があったものなのか、それとも企業忖度なのか、また他に理由があったのか詳細がわからないので何とも言えませんが、フェミニズムにおける女性服装についての考え方はそんな感じだと思います

フェミニストスポーツ

女子競技衣装は、あれはいいのか?みたいなのあるよね。

最近新体操フィギュアスケート肌色と同色の部分が多くて、

裸に装飾だけ付けてるように見えるレオタードが多いけど、どうなの?

というか身体ラインぴったりなレオタードそもそも大丈夫なの?

ジャージじゃだめなの?

陸上ビーチバレーは、あそこまで布部分少なくしなくてもよくない?

日焼けも体に良くないし長袖長タイツにしなよ。

ゴルフスカートやめたら?

芝を読むときとかチラリと見えそうだよ。長ズボンにしなよ。

ロードレース自転車)なんで男性用よりレーパンの丈が短いの?わざわざ短くする必要なくない?

膝上くらいの長さにしたら?

そういうところにフェミニスト言及しないのなんでかなと思った。

女性らしさを武器にするような格好や職業や絵を無くしていきたいんでしょう?

女性がやりたくてやってることが結果的男性を喜ばせることになるのも

許せないんでしょう?

時代にそぐわないんでしょう?

がんばろうフェミニスト

グリッドガールのように、これらもみんな滅ぼそう

anond:20180202122255

そうね。

今まで日本ではみんな黒塗りもなんの違和感もなく受け入れてきたわけだし、セクハラ女性我慢するか上手くかわすのが正義ってことになってたわけだからな。

それがここにきて日本にもやっとフェミニズムポリコレ思想が入ってきて、それはおかしいよねってみんなが気付き始めて、

そんな風潮の中で世間への印象が悪いかグリッドガールレースクイーンをもうやめようって企業判断するのも自然なことだし、企業自分判断したことからそれはフェミニズム関係ないって言うのはおかしい。

フェミニズムひとつ勝利であるし、女性仕事本来そういうものではない、ってことでよくないですか。

F1グリッドガール廃止意味とは

これはまさに、男の目線から見た女の身体性的価値暴落し始めたということだよね。

女性社会進出によって女の発言力が増し、相対的に男は社会的強者ではなくなってきている。

その結果何が起こるかというと、上記の通り女の性的価値が低くなる。

女の性的価値は、男の評価次第で変わっていく以上は、当然の帰結である

anond:20180202080006

いやだから、そういう女性専属でそこにいるわけじゃなくて、大体モデルエージェンシーとか芸能事務所とかコンパニオン派遣会社かに所属してて、そこから派遣されてくるの。

グリッドガールとかレースクイーンとかがなくなっても、他にも仕事が回ってくるから

ずっとそればっかりやってるんじゃなくて、他にも色々やってるうちのひとつなの。

大丈夫から落ち着いて。

表面では社会正義をうたい、実質は風俗に突き落としたよね

F1からグリッドガールという職業が消えるようで。同じような論理で、グリッドガールだけではなく、企業スポンサーとなって高い美貌を持った女性商品宣伝するという職業が消えていくのかもしれない。

これまではたぐいまれなる美貌がある人は出自関係なく人前で美貌を見せる仕事につくことができたし、ついている人はそれなりに一目置かれていたと思う。企業がバックに要るというだけで、変な人が絡みづらいし、絡まれても守ってもらえただろう。

そういった機会を使えることで、大幅な階級上昇もできたかもしれない。

その手の仕事を全部無くしたら、これまでそれで生活していた人は、生活できなくなるわけでしょ。

美貌だけで採用となる昼の仕事を奪われたら、夜の仕事に向かわざるを得ないよね。

anond:20180202000708

2018-02-01

anond:20180201180822

https://f1-gate.com/vandoorne/f1_40738.html

現役ドライバーの反応が来たので置いておきますね。

”ストフェル・バンドーン 「グリッドガールがいなくても平気!」”

anond:20180201174108

脇田だが凄いタメになったわ。

そういう事情か。

ヤンキーがらみなら

グリッドガールの有無で売り上げの差はこれこれ~~」

グリッドガール手配するコストに見合う集客効果ないよね」

「じゃけん廃止で」

みたいなパリパリビジネス最優先なプレゼンしてたカモなどと妄想しちゃった。

anond:20180201172852

まず今回F1運営廃止すると言ったのは「グリッドガール」であって「レースクイーン英語だとPromotional Girl)」ではない。

ここは押さえて頂きたい。従ってF1全体から女性が消えるわけではなく、チーム、スポンサーに属する女性プロモーション要員は継続して残る。これ前提。

グリッドガールっていうのはF1スタート前にゼッケンボードを掲げて車の横にいる係。各国のASN(日本で言うJAF)の仕切りで雇われたり配置されたりする。

これはある時期に死亡事故が多発して、せめて最後美女の顔が見たいというドライバー要望(?)によって配置されるようになったと言われている。

恐らく運営側が「時代に合わない」というのはまずは死亡事故が激減(無くなったわけではない)し、そのようなニーズがまず無くなったというのと、

実は昨今F1運営にも大きな人事異動があって「あの人と違うことがやりたい」という意識作用しているものと思われる。

また、その変わりようも英国人OUT米国人INなので、自由に開かれたF1!みたいな事をシンボリックにやろうとしているように思える。

なんかアメリカ人の考えそうなことでしょ?

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