はてなキーワード: グリッドガールとは
やってる本人が「好きでやってる、誇りを持ってやってる」ことが、その職業が生き残ることには繋がらない。誇りを持って頑張ってたって、人力車は観光スポット巡りにしか生き残れないし、電話の交換手は消えた(特殊な回線だと生き残ってるらしいが)。
身体障害者の就職先として、自分の身体を「奇妙なもの」と見世物にするサーカスや見世物小屋があったが、あれは「身体障害者は奇妙なもの、珍しがって怖がるもの」「自分一人で何も出来ない身体なのだから、人に見せることしかできない」という「常識」があった時代だから成立してたもの。「身体障害者は誰でもそうなる可能性があるもの」「手足が不自由でも技術や道具を使えば普通の仕事はできる」となれば、普通に働けばいいわけで、「人に身体を見てもらってお金をもらう」という商売は成立しなくなる。
まあ、ミゼットプロレスは逆に、その身体性だけでなく技術を見せる方向で復権してるわけだけども。『水曜日のダウンタウン』でミゼットプロレスラーが活躍してたのは痛快でしたね。
「美を商売にして何が悪い」って悪いことなんか一つもないわけです。「誇りを持ってその仕事をやってる」こともいいことです。
でももう、この世の中は「見た目がきれい」なだけでお金をもらえるほど楽な世界じゃないと思う。
女子アナは、きれいで賢くてニュース読めてバラエティも出来て当たり前。アイドルは、可愛くて演技出来て歌えて踊れてトークが面白くて当たり前。モデルも、ファッショニスタで情報発信力があって当たり前。ミスコンだって、今は知性や表現力を問われてる。
しかし、グリッドガールは、主催者が「そういえば、何でスタート前にサーキットをウロウロするだけのきれいなお姉ちゃんに金払ってんだろう」と思ったら、それまでの存在じゃないかな。それ以上の存在価値が無ければ、「見た目が華やか」なだけのお姉ちゃんに払う金なんて真っ先に切り捨てられるものだ。不況になったら、社員のお嫁さん候補としての高卒お茶汲みOLがいなくなったみたいなもんで。
スタート前のドライバーに対するアシスタント業務とか、メカニックの最終チェックが出来るとか、チアガールみたいに金が取れるショーが出来るとか、そういう「華を添える」以外の存在価値をアピールすれば、「この人たちは可愛いから突っ立てるのではなくて、こういう仕事があるから外せないんだよ」って生き残れたと思うんだけど。
グリッドガールについては
ちょうどこんな告白が上がってきていたので、国外がどうだったかはわかりませんが似たようなこともあったでしょうし、まあなくなってよかったんだろうなと思ってます。
いわゆるフェミニズムの思想潮流の中に自分を位置付けられるほどは勉強してない。
F1公式の発表は以下だ。
we feel this custom does not resonate with our brand values and clearly is at odds with modern day societal norms. We don’t believe the practice is appropriate or relevant to Formula 1 and its fans, old and new, across the world.
「私たちは、この慣習が世界中の、これまでのそしてこれからのファンにとって適切だとは思わない。」
この台詞を言わせたのは「フェミニズムの圧力」「騒ぎ立てた人権屋」なのか?
どうも私にはそうは思えない。
間接的にはあると思う。
つまり、「modern day societal norms」の醸成に影響しているという点において。
ここからは憶測だが、F1公式の考える「modern day societal norms」にしたがった自分達のあり方が何なのか、というと、
性別と年齢とに関わらず誰もが参加できる「the glamour and spectacle of the Grand Prix」なのだと思う。
客層を限定するメッセージを発しすぎるという判断なのではないか。
(女性だって美しい女性を見るのが好きだと感じる人は多いだろうが、単純にターゲットの問題だ。)
こう考えているブコメが多数あったが、私はそうは思わない。
認めないのは
「性的魅力を、本人の自由意思に基づかず要請されたり搾取されること」で、
目指す理想の世界は
「その人の性的なことを、社会による強制や圧力を一切感じずに取り扱える世界」
だと思っている。
現にセックスワークに従事する女性の権利擁護はフェミニズムの範疇だ。
たとえば性行為を対価にお金を稼ぐ自由は尊重されてしかるべきだと思っている。
もちろん、若さと美しさを披露することで対価を得ることも当然、市場原理に保証されてしかるべき自由だ。
フェミニズムが、それらの行為自体を悪と見なしているように見えるのは、
それらが本当に自由意思で行われているか、疑わしいことがあるからだ。
たとえばセックスワークに望んで従事している、と笑顔で言い切る人がいたとして、
その影には本当にたくさんの要因が含まれることがある。
それはわかりやすいものを挙げてしまえば貧困であり、教育であり、環境であり、
その人個人の性体験であり、社会的な「性的魅力の取り扱い」に関する要請であり、
そしてそんなカテゴリワードが意味をなさないほどに、個人のいりくんだ感情と生育かもしれない。
そこに明確な線引きをすることなどできない。
フェミニズムの名のもとにずかずか入り込むことは許されない。
それでも、その人になにかを強制するものがもし何かあるならば。
もしあるなら、ひとつでもなくなってほしいと願わずにはいられない。
それが起きる社会についてかんがえるし、
それをさせている何か、誰かがいないかと考える。
私にとってのフェミニズムはそういう、自由と抑圧について絶えず考え悩む姿勢のことだ。
私は、私個人の経験から、性にまつわることの有形無形の「自由意思以外」を感じとってきたので
理想の世界があればいいのにな、と思っている。
私は「その女性が、自ら望んでグリッドガールとして働くこと」それ自体には一切の批判はない。
だが、同時に「グリッドガールという役割を作り出す社会そのもの」には疑問を投げ掛け続けると思う。
逆にいうならば、グリッドガール自身が、自分達の美しさと若さがブランド価値に寄与するのだと堂堂と言ってくれるなら、
そしてそこに内面化された抑圧ではなくて彼女たちの自由意思を信じることができるなら、
多いに祝福すると思うし、私が本当に望むのはそうした社会だ。
「それしかできないかわいそうな女性が仕事を奪われた」という構図で話したがる人がいる。
まず第一にこの話が「人権団体」の働きかけによるものだとはどこにも書いてないし、
第二に、グリッドガールは「それしかできないかわいそうな子達がようやく得た仕事」ではない。
彼女たちが美と若さを売り物にするための市場がひとつ消えてしまったのは事実だ。
グリッドガールを夢見ていた女の子がいたら気の毒だとは思うが、
小人プロレスの都市伝説になぞらえて語るものでもまたないのではないか。
だが同時に、グリッドガールは弱者ではない強者だ!ともいえない。
「美しさを競い続け、選ばれ続けるために努力し続け、そしてその先に待つものがなにか」という問題について踏み込むとき、
そこには「誇りをもって美しさから対価を得ていたのに、フェミニストに仕事を奪われたかわいそうなグリッドガール」という弱者像とは別の
「美しさを対価にお金を稼ぐことの苦しさと弱さ」は浮かんでくる。
美しいグリッドガールと嫉妬に歪んだフェミニストが叩きあうという構図をお望みのかたはたくさんいるようだった。
フェミニストは「男性=強者」から「女性=弱者」を守りたいと叫んでいるのに、
ほんとうはグリッドガールを抑圧する「強者」なのだ!という転倒の痛快。
そこにあるのは、普段「社会と女性」の構図でフェミニズムが叫んできた構図のパロディである。
フェミニストという醜いモンスターとグリッドガールという美しい虐げられた弱者ならば
自分達に関係なく、そして美しく弱いものを心置きなく応援できて、
普段から気にくわなかったフェミニストたちを存分に叩けるのだ。
きっとさぞ楽しいのだろう。
だから、特に声明には書かれていないフェミニストは引きずり出され、
さらに関係が疑わしい「人権擁護団体」(誰なのかはよくわからない。架空のそういう人たち)を叩き、小人プロレスを引き合いに出している。
そういう人たちがたくさんいる。
グリッドガールがなくなることが正しいとおもうか?
わからない。
わからない。
けれど確信しているのは、上記のようにみにくいプロレスを望む人の声にのせられて、ファイティングポーズをとる必要はないということだ。
私は、できれば自由について話したい。
自由について、美しさや若さや性を売る自由について、その価値と市場について、それが売り手にとって苦しみをもたらさないための社会について。
それがいくつもいくつも積み重ねられて、次の「modern day societal norms」の話ができることを真剣に望んでいる。
ご指摘ありがとう。
ひとつおことわりしておきますが、フェミニズムは女性の服装の露出自体を批判はしていないんですよ。
女性だからという理由で、露出を無理強いされたり、逆に隠すことを無理強いされることを批判している、というのはフェミニズムが生まれてから今まで、ずっと変わらないはずです。
フィギュアスケートやスポーツにおいて服装は本人の意向が尊重されているはずで、その限りではどんな服装であろうと異論はありません。
グリッドガールについてはフェミニスト団体から直接抗議があったものなのか、それとも企業の忖度なのか、また他に理由があったのか詳細がわからないので何とも言えませんが、フェミニズムにおける女性の服装についての考え方はそんな感じだと思います。
最近の新体操やフィギュアスケート、肌色と同色の部分が多くて、
裸に装飾だけ付けてるように見えるレオタードが多いけど、どうなの?
というか身体のラインぴったりなレオタードはそもそも大丈夫なの?
ジャージじゃだめなの?
陸上やビーチバレーは、あそこまで布部分少なくしなくてもよくない?
ロードレース(自転車)なんで男性用よりレーパンの丈が短いの?わざわざ短くする必要なくない?
膝上くらいの長さにしたら?
そういうところにフェミニストが言及しないのなんでかなと思った。
女性らしさを武器にするような格好や職業や絵を無くしていきたいんでしょう?
女性がやりたくてやってることが結果的に男性を喜ばせることになるのも
許せないんでしょう?
時代にそぐわないんでしょう?
がんばろうフェミニスト。
グリッドガールのように、これらもみんな滅ぼそう
そうね。
今まで日本ではみんな黒塗りもなんの違和感もなく受け入れてきたわけだし、セクハラも女性が我慢するか上手くかわすのが正義ってことになってたわけだからな。
それがここにきて日本にもやっとフェミニズムやポリコレの思想が入ってきて、それはおかしいよねってみんなが気付き始めて、
そんな風潮の中で世間への印象が悪いからグリッドガールやレースクイーンをもうやめようって企業が判断するのも自然なことだし、企業が自分で判断したことだからそれはフェミニズムは関係ないって言うのはおかしい。
これはまさに、男の目線から見た女の身体の性的価値が暴落し始めたということだよね。
女性の社会進出によって女の発言力が増し、相対的に男は社会的強者ではなくなってきている。
いやだから、そういう女性は専属でそこにいるわけじゃなくて、大体モデルエージェンシーとか芸能事務所とかコンパニオン派遣会社とかに所属してて、そこから派遣されてくるの。
グリッドガールとかレースクイーンとかがなくなっても、他にも仕事が回ってくるから。
ずっとそればっかりやってるんじゃなくて、他にも色々やってるうちのひとつなの。
F1からグリッドガールという職業が消えるようで。同じような論理で、グリッドガールだけではなく、企業がスポンサーとなって高い美貌を持った女性が商品を宣伝するという職業が消えていくのかもしれない。
これまではたぐいまれなる美貌がある人は出自に関係なく人前で美貌を見せる仕事につくことができたし、ついている人はそれなりに一目置かれていたと思う。企業がバックに要るというだけで、変な人が絡みづらいし、絡まれても守ってもらえただろう。
そういった機会を使えることで、大幅な階級上昇もできたかもしれない。
その手の仕事を全部無くしたら、これまでそれで生活していた人は、生活できなくなるわけでしょ。
まず今回F1運営が廃止すると言ったのは「グリッドガール」であって「レースクイーン(英語だとPromotional Girl)」ではない。
ここは押さえて頂きたい。従ってF1全体から女性が消えるわけではなく、チーム、スポンサーに属する女性プロモーション要員は継続して残る。これ前提。
グリッドガールっていうのはF1のスタート前にゼッケンボードを掲げて車の横にいる係。各国のASN(日本で言うJAF)の仕切りで雇われたり配置されたりする。
これはある時期に死亡事故が多発して、せめて最後は美女の顔が見たいというドライバーの要望(?)によって配置されるようになったと言われている。
恐らく運営側が「時代に合わない」というのはまずは死亡事故が激減(無くなったわけではない)し、そのようなニーズがまず無くなったというのと、
実は昨今F1運営にも大きな人事異動があって「あの人と違うことがやりたい」という意識も作用しているものと思われる。
また、その変わりようも英国人OUT米国人INなので、自由に開かれたF1!みたいな事をシンボリックにやろうとしているように思える。
なんかアメリカ人の考えそうなことでしょ?