はてなキーワード: 性愛とは
一般論として「Aの権利には興味が無いけど、Bの権利には興味がある」というのは普通の人間なら当然なのよ。普段の生活で何を主張するにもいちいち「アフリカで餓死する子供」や「中東で戦争に巻き込まれる難民」のことを言及しなければ説得力を失うということは無い。「特に言及していない」ということを責められるのもバカバカしい。誤読可能性のない適切な言語化というのも、それなりの教養がなければ難しいし、教養とはある種の特権構造によって裏打ちされるものでもある。「バカは意見を言うな」というのも傲慢だよね。
「女性の権利、とか興味無い」「LGBTの権利、とか興味無い」までは仕方ない。フェミニズム運動を続ける上で「でも男性の権利には興味無いよね?」とか言われても困るよね。
そこまではいいんだけどさぁ、「子供の権利とか興味無い」はちょっと危ない匂いがするよね。どうしても。
「ロリコンの権利」というのは間違いなくあると俺は思うし、「犯罪がー」とか言うならそんなもん全ての対人性愛者が一緒だろとも思うのよ。レイプカルチャーの責任を「ロリコン」に全部押し付けて「俺は関係ない」ってツラしてる対人性愛者の態度って「ノットオールメン」の一種だよね。そういう連中はどんどん批判していけばいいと思うし、批判していくべきだと思う。
でもさぁ、「それってもしかして、子供と自由にセックスさせろってこと?」と勘違いされても文句言えないようなクソザコ言語化能力で「物申した」気分になられても呆れるしかないよね。
市川猿之助さんを追い詰めたのは誰か。
もちろん未だにゲイを面白おかしく報道する日本のマスメディアとそれに扇動され好奇の目で芸を消費する日本社会それ自体だろう。
猿之助さんは独身の成人であり、どのような恋愛や性愛を楽しんだとて余人に後ろ指を指される筋合いはない。
共に舞台芸術を作り上げる人の輪というものは一種独特の熱をはらむもので
稽古上がりや打ち上げの際にアルコールも入れば一般人には馴染みのない関係性も生まれる。
もちろんそれが嫌だったという人の声は聴かれなければならないが
殊更に猿之助さんだけ悪辣な加害者として面白おかしく書かれる必要があったか。
猿之助さんが痛ましい自死を図った原因は遺書を読むまでもないし
何度不倫をし家族を裏切っても社会から許され続ける人間が梨園にはいくらでもいる。
中年になっても老人になってもセックスの相手に事欠かない理由はきっと肉体的魅力だけではない。
彼等のケースでも明らかに知名度や社会的パワーや金銭が背景になっているのに、
それをハラスメントと呼ぶかどうかは暗黙の社会合意によって極めて恣意的に運用されている。
未だに同性婚を認めるの認めないのという地点で議論をしているような日本だ。
伝統芸能を背負って立つ猿之助さんは特定の相手と会いを育むことも家庭を持つことも出来なかった。
寂しさに負けず仕事の場にパッションをぶつけたりクローズドな営みを持ったりしていても結局はこのように晒され自死を決意するところまで追い込まれてしまう。
「〇〇ハラスメント」だ「加害者」だ「被害者」だという口実は沢山作るが、
つまりは男が男を愛したというその一点を問題としていることは誰の目にも明らかだろう。