はてなキーワード: 語源とは
Jubileeって曲知ってますか?
どなたも、チオビタの牧歌的なCMで耳にしたことがあると思う。
語源をヘブライ語のヨベルに持つ言葉で、歓喜、記念日、祝祭とかそういう意味。
Jubilee 歓びとは 誰かが去る悲しみを 胸に抱きながらあふれた 一粒の雫なんだろう なんで僕は戻らないんだろう
この部分だけ抜き出してどうこういうのは野暮くさいとも思うけれど、どうしてもこの部分が胸に引っかかる。
心地いいんだと思う。響くんだと思う。でも「誰かが去る悲しみ」からあふれるものが、どうして「歓び」なんだろう。
「誰か」との出会いがもたらしてくれた、素晴らしい何らかを胸に、僕がこの先にまた進める歓び、ということなんだろうか。
「あふれた雫」は、その出会いに対する、後になってからしみじみくる感動、とか、そういうものなのかな。
自分はなんて安直で短絡的な考えしか(そしてそれをうまく言語化すること)できないんだ、と絶望しながらもいつもこの部分でいつも泣きそうになる。
この、どうしてなんだろうというクエスチョンが浮かんでいるのに、理屈じゃ説明できないけど泣きたくなるくらいに心が動いてるこの現状!
このバランスのままでいるのがいいのかもしれない。案外これが心地いいのかもしれない。
だけどだけど、周りの人がどんな風にこの歌とか言葉を受け取るのか、とても知りたい。
「異文化に寛容であれ」は「異文化に不快感を抱くことは悪」というニュアンスになりうるだけであって、別にならないし、異文化は「そもそも」不快だということも決してないし、寛容というものが訳語であって語源を辿れば我慢の意味になるというのはそうだとして、また仕方なく受け容れる態度の意味がありうるというのもそうだとして、それでも寛容と訳されたのはそれなりの文脈と定義があったからじゃないのって思うし、結局例えの意味合いで使えば「我慢」よりも「寛容」の方が解釈の幅が広がるし、実際に「寛容」という言葉から解釈してるんだから間違ってはいないんじゃないのとも思うし、「異文化に対して我慢しろ」なんて言えばそれこそ解釈の幅が狭くなるし、それだけ更なる言葉が必要になるわけだから「寛容」でいいじゃん。