toleranceは我慢、忍耐、耐性と訳すべきで、「自分にとって不快でも他人の権利なら我慢しよう」くらいの意味にとらえた方が良かったんじゃないか。
例えば「異文化に寛容であれ」と言うと「異文化に不快感を抱くことが悪」みたいなニュアンスになるけど、異文化なんてそもそも不快なものなんだから、一旦はその不快さを受け止めた上で「異文化を受忍しよう」と言えばすんなり受け入れられる人も今より多かったのでは?
Permalink | 記事への反応(2) | 01:48
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そういえば、差別しないみたいな意味で「~への理解を求める」なんて言い方もされるけど、理解を英語にするとunderstand、そしてstandっていうのは立つ・立てるだけじゃなくて我慢する...
「異文化に寛容であれ」は「異文化に不快感を抱くことは悪」というニュアンスになりうるだけであって、別にならないし、異文化は「そもそも」不快だということも決してないし、寛...