「異文化に寛容であれ」は「異文化に不快感を抱くことは悪」というニュアンスになりうるだけであって、別にならないし、異文化は「そもそも」不快だということも決してないし、寛容というものが訳語であって語源を辿れば我慢の意味になるというのはそうだとして、また仕方なく受け容れる態度の意味がありうるというのもそうだとして、それでも寛容と訳されたのはそれなりの文脈と定義があったからじゃないのって思うし、結局例えの意味合いで使えば「我慢」よりも「寛容」の方が解釈の幅が広がるし、実際に「寛容」という言葉から解釈してるんだから間違ってはいないんじゃないのとも思うし、「異文化に対して我慢しろ」なんて言えばそれこそ解釈の幅が狭くなるし、それだけ更なる言葉が必要になるわけだから「寛容」でいいじゃん。
toleranceは我慢、忍耐、耐性と訳すべきで、「自分にとって不快でも他人の権利なら我慢しよう」くらいの意味にとらえた方が良かったんじゃないか。 例えば「異文化に寛容であれ」と言...
「異文化に寛容であれ」は「異文化に不快感を抱くことは悪」というニュアンスになりうるだけであって、別にならないし、異文化は「そもそも」不快だということも決してないし、寛...
そういえば、差別しないみたいな意味で「~への理解を求める」なんて言い方もされるけど、理解を英語にするとunderstand、そしてstandっていうのは立つ・立てるだけじゃなくて我慢する...