はてなキーワード: 科学リテラシーとは
科学が権威主義……のところには同意しかねるけど、わし自身は科学リテラシーなるものを発揮したときに結果的に権威主義的な態度が顕現しうることに対して特に反論する気ないねん。そういう部分はまああるけどそこに一元化するのは乱暴だよ、くらい
あくまでも「とりあえず」「今のところ」という保留付きでならね。
しかし、その権威ある知見に対して十分に説得力のある反論が提示されているのであれば、そちらの方も検討することをやぶさかとはしないという柔軟な態度もとても大事だよ。そういうのも科学リテラシーの一部をなしている。(いわゆる科学的態度とでも言うべき心的態度)
別に科学リテラシーなんて大層なもん無くても、自分の中のこれまでの常識から外れてたら一回疑えばいいんじゃないかい。まっとうな研究(技術)なら今までの分野の常識と新たな差分はちゃんと書いてるし、それが筋道立ってない・理解できない・書いていない・なんか胡散臭い場合は基本信じなくていいよ。普通の研究者・技術者であれば、分野外の人に届くような話のときはそこを理解できるようにするのに一番気をつかうし、それでもわけわかんないときはたいがいまっとうな話じゃないよ。
科学リテラシーを権威主義だと言うのはそんなに間違っていないが、その結論のために「偉い人」とか「信用に値する専門家」とかを槍玉に挙げるのは科学の表面しか見えていない、底が浅く説得力に欠ける論だ。
現代の科学というのは「論文に対して査読が行われて出版される」という科学的方法によって成り立っているのであり、専門家とかはその登場人物に過ぎない。
よって、科学リテラシーとは明らかに、科学的方法そのものに対する理解である。科学の業界において専門家が信頼を得るプロセスや、どのような結果が科学的に正しい結果と見なされるかということ、それ自体に対する理解が科学リテラシーだ。
これは「必要ならば追試できる」ことも当然に含むし、科学的方法というプロセスが正しく機能しているかどうか確かめるには論文を読み漁ればいいのだが、一般市民が実際にこれを行うのは指摘の通り難しいので、その意味で権威主義という言い方は一理ある。個々の専門家の権威ではなく、多くの専門家により実施される科学的方法というプロセスの権威。これが科学の権威だ。
余談だが、このように科学の方法全体を権威と見なすと、STAP細胞のような事例を以て科学を否定したくなるかもしれない。
しかし、それは例外だし、結局は科学の方法論によって正された。
STAP細胞のような事例を使って科学そのものの権威を否定する主張をするのは、「犯罪が1件起きたから警察の権威は失墜した」というのと同じくらい突飛な主張だ。
余談その2だが、確かに科学リテラシーは科学という権威に対する理解と信仰のことだ。
しかし、「どの専門家を信じればいいか分からない」ならともかく、「科学というプロセスそのものを信じていいか分からない」という主張は、裏を返せば「自分が教えられている科学というのは嘘っぱちかもしれない」という主張である。それを主張するのは勝手だが、人はそれを陰謀論と呼ぶだろう。
一種の権威主義とも言えるけど、「権威だけ」を盲信しているわけではない点が違う。
科学分野は他の専門家による検証が比較的容易なため、専門家を名乗る人はテレビ番組などでも発言は慎重になるので肩書は信頼性の指標にはなる。
だからこそ悪意のある専門家でも、「◯◯は◯◯の効果が期待できると言われています」というような、
検証されても逃れられるように断言しない言い方を多用してミスリードを狙う。
また、専門家の主張に対してそれは、仮説として言ってるのか、事実として言ってるのかの峻別は素人でも認識する必要がある。
つまり主張のフォーマットを意識して、仮説か、事実か、ミスリードを狙っていそうかを見極められる程度の能力が一般人が持つべき科学リテラシー。
例を挙げると「空気感染してる可能性がある」という仮説と「空気感染するというデータはない」という事実は矛盾しないし「空気感染するというデータはなくマスクの効果は期待できない」はミスリード。飛沫感染だとしてもマスクは有効なので、
意見が割れてるとかではなく専門家の間でも検証中という話だから判断を保留している。保留しても何の実害もないしね。
追記: ごめん正確には単に論文の内容を理解できないから、判断保留。ってだけだわ。結局オープンな議論に何年耐えたか、ってことでしか俺には判断できない。
違うんじゃない?
知識はもしかしたら教科書レベルでもいいのかもしれん。教科書に乗っているってことはまあ、数十年レベルでの検証に耐えたんだろうということは論理的に推察できる。
インターネットのおかげで調査しやすいけど、調査した結果の情報が正しいかどうかも判断するには知識と論理的推論の能力が必要になる。
科学リテラシーは個人の限界を超えて無限に役に立つものではない。
権威主義というか、これまで正しいことを言う実績を積み上げてきた人が
ここへきて間違ったこと(現時点では根拠のないこと)を事実として主張する可能性が低い
という、確率論だよ。
科学分野は社会学や政治学と違って他の専門家による検証が比較的しやすいから、実績の正しさは信頼性が高い。
また素人向けのテレビ番組での解説も、検証が容易なものが多い。
そのあたりを理解した上で、この人の主張が正しそうと考えるのが科学リテラシー。
そういう考え方を科学リテラシーがないと言うのでは?
「役に立つ」って前提で最初の増田を書いたわけじゃないんだけどな。