科学リテラシーを権威主義だと言うのはそんなに間違っていないが、その結論のために「偉い人」とか「信用に値する専門家」とかを槍玉に挙げるのは科学の表面しか見えていない、底が浅く説得力に欠ける論だ。
現代の科学というのは「論文に対して査読が行われて出版される」という科学的方法によって成り立っているのであり、専門家とかはその登場人物に過ぎない。
よって、科学リテラシーとは明らかに、科学的方法そのものに対する理解である。科学の業界において専門家が信頼を得るプロセスや、どのような結果が科学的に正しい結果と見なされるかということ、それ自体に対する理解が科学リテラシーだ。
これは「必要ならば追試できる」ことも当然に含むし、科学的方法というプロセスが正しく機能しているかどうか確かめるには論文を読み漁ればいいのだが、一般市民が実際にこれを行うのは指摘の通り難しいので、その意味で権威主義という言い方は一理ある。個々の専門家の権威ではなく、多くの専門家により実施される科学的方法というプロセスの権威。これが科学の権威だ。
余談だが、このように科学の方法全体を権威と見なすと、STAP細胞のような事例を以て科学を否定したくなるかもしれない。
しかし、それは例外だし、結局は科学の方法論によって正された。
STAP細胞のような事例を使って科学そのものの権威を否定する主張をするのは、「犯罪が1件起きたから警察の権威は失墜した」というのと同じくらい突飛な主張だ。
余談その2だが、確かに科学リテラシーは科学という権威に対する理解と信仰のことだ。
しかし、「どの専門家を信じればいいか分からない」ならともかく、「科学というプロセスそのものを信じていいか分からない」という主張は、裏を返せば「自分が教えられている科学というのは嘘っぱちかもしれない」という主張である。それを主張するのは勝手だが、人はそれを陰謀論と呼ぶだろう。