はてなキーワード: ラークとは
内田先生のお話で好きなもののひとつに「ストカスティックなプロセス」というものがある。
それは、目的志向的に物事をこなすことを指す言葉であり、例としては、ハサミで紙を切る場合、バイクでカーブを曲がる場合などが挙げられるだろう。
ハサミで紙を切るときは、手元ばかり見ていると、真っすぐに切れない。
その先の、切り終わった自分を思い浮かべ、そこにハサミを進めていく。そうすると真っすぐに切れるのだ。
そんな感じで、物事を終えている未来の自分という幻想を持たないと、今現在ある仕事をこなすことができないという現象がある。
それを、内田先生は「ストカスティックなプロセス」と呼んでいるのだ。
さて、もう一方の「ゾルトラーク」とは、マンガ「葬送のフリーレン」に登場する魔法のひとつだ。
同マンガでの魔法の考え方には特徴があり、それは、自分が想像できない魔法は使えないというものだ。
例えば、水を操る自分を想像できれば、それを可能とする魔法が使えるし、何かを切る自分が想像できれば、それを可能とする魔法が使える。
そして、同マンガのアニメも最終回を迎えるにあたり、私は、それって「ストカスティックなプロセス」と考え方が同じだな、と最近気づいたのだ。
どちらも、将来に何かを実現する自分を想像して、実際にそれを成し得るという考え方ではあるわけだ。
そのことを私は、全く別方面から同じ考え方が出てくるってなんか新鮮だなと感じたのだが、
それと同時に、現代ではなぜ、そういう考え方が多方面で扱われるのだろうとも思ったのだ。
そういう考え方が、お話のひとネタだったり、ストーリーのギミックだったりし得るのは、
人々がその考え方を好ましく感じつつも、それが目新しさとして、人々の中にまだ定着してないからだろう。
でも、一方で、「コスパ」「ダイパ」と呼称して、目的以外にはリソースを振り向けない人々も居る。
そういう人は、目的志向的とは言えるわけだが、「ストカスティック」とはなんか違う感じがする。
いや、「ストカスティックなプロセス」が好ましく感じられれば、「コスパ」「ダイパ」も同じくらい好感を持てそうな気もするのだが…
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自律型囲碁ロボットが1/5囲碁の日から、高島屋、囲碁サロン樹林で先行予約開始
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棋士も自分の対局日をよしろーさんのTwitterから知ることもあるのだとか
https://twitter.com/yoshiro_kaba
囲碁の別名
信長・秀吉・家康に仕え信長より名人の称号を授かる。本能寺の変で信長の首を算砂が持ち出した説もある
最高が7段だった時代に実力13段と言われた。現代でも歴代最強の声もある棋士。段位制度の開祖
秀策がよく打っていた「秀策のコスミ」は、江戸時代と違ってコミのある現代碁ではぬるいとされ廃れていたがAIによって評価され復権した。
秀策曰く「この先どんなに碁が変化しても碁盤が19路である限りこの手が悪手になることはないだろう」
家元制の本因坊としての最後の跡目本因坊。終身名人制の最後の名人。
当時世界最強棋士・李昌鎬との意見会で李昌鎬含めアマチュアが見ても、どう見ても白のほうが良さそうに見える場面、李昌鎬が「黒は投了レベル」とまで言った局面を「黒のほうがいい」と断言。
33年経ったいまAIにかけてみるとたしかに藤沢秀行の感覚が優れていたことが判明した。
https://youtu.be/KRnedlmloqo?t=1964
中韓棋士を熱心に育成したため、中国には藤沢秀行記念館がある。
読売新聞が中国から連れてきた天才棋士。読売の嘱託棋士として紙面の対局企画で日本棋院棋士たちを次々と破った。
木谷實とともに「新布石」を生み、それまでの碁を一変させた。
棋戦中継
韓国の囲碁チャンネル。仲邑菫の対局は今後こっちで見れるようになる
1月2日~4日には🇯🇵仲邑菫(14)VS🇨🇳呉依銘(17)VS🇰🇷金恩持(16)の日中韓天才少女対決の新春特別企画が行われた
https://www.youtube.com/watch?v=qhz7ix0nGgo
藤沢里菜がタイトル挑戦常連の余を破りベスト8まで進んでいる、ベスト4になれば女性初
実は現代は囲碁の歴史上かつてないほど覚えやすい環境が揃っている
普通の囲碁(日本ルール)を覚えるならこれがオススメ。無料で広告もなし
なんとこのアプリ、開発費2000万を囲碁篤志家の全額負担によって作られた
https://www.asahi.com/articles/DA3S15626082.html
囲う囲わないという言葉に混乱してる人は純碁から入るのがいい。
囲碁は純碁の石で埋める過程を省略しているだけだというのがわかる
魔法に対して仮説を立て実験を行い観測し法則を見出し体系化する……とすればそれは科学的な魔法か
科学的手法が存在する世界では、観測できるものはすべて科学の対象となる、ってことか
別に魔法と科学が相反するものである必要はどこにもないのだろうけど
もし、魔法と科学が相反するものであるとするならば魔法はどのような性質を持つか
パルプンテとか
パルプンテの法則性を突き止めようと人生を捧げる魔法科学者がその世界にはきっといる
科学的手法とは別の魔法的手法とでもいうべき方法論がもしあって、それが科学とは相いれないのであれば対立するか
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『葬送のフリーレン』に「ゾルトラーク」という魔法が登場するが、この魔法は魔族によって「開発」され、人類によって80年間「研究」されたらしい
でも魔族同士って殺し合いしないよね?
利害関係だけで魔族社会が成立しているなら膠着状態だったり殺す機会をうかがってると思うけどそういうの無さそう。
かといって「こいつに逆らったら殺されるので面従腹背しとこ」っていうのをやれるんだったら力こそパワーな勇者たち一行に対して服従する魔族がいると思うけどそれもいなさそうだし、性懲りもなく人間社会襲おうとしている時点で人間以上に割り切れる洗練された理性が無いというのははっきしわかんだね。
そうなるとゾルトラークつくった奴族とかアウラ族とか限定された間にだけ生まれる同族意識とかあるんだろうか。
でもその設定があると魔族に情はないっていう作品のルールから反するから作品自体が破綻しちゃうね。仲良くなれちゃうもん。
そもそもどうやって自分の継承者(子ども)を増やすんだろうか。根っこから自分が完璧な存在と思っているなら子どもを用意する必要性を感じないから作るという発想にすら至らないのでは?
殺されないように人間の幼体をまねるというのはわかるけど、リスクマネジメントとして自分の分身作っておくって感じだとしたらその分身から自分の身が狙われそう。