2010-07-12

文化食文化というわかりやすさ

仕事の関係で海外で暮らしている。現地では数少ない日本人駐在員という立場で、社員の数は日本人より現地人のほうが多い。当然、現地で暮らすわけだから現地の文化を受け入れてやっていくしかないということはわかっている。腹が立つこともたくさんあるけれど、日本人几帳面すぎるんだと思ってある程度は我慢している。そんな中でただ一つ納得いかないことがある。

それは、ご飯をよく食べるかどうかで現地の文化を受け入れられているかを判断されること。俺は基本的に日本食以外のご飯が好きじゃない。そりゃあ接待とかだったら「美味しいです」なんてにっこり笑顔で言えるぐらいの常識は備わっているが、こっちに来てそこそこ経つのに同僚の前でまで我慢して現地食を食べたいとは思わない。できれば飯抜きでいいくらいだ。俺がちょっとでもご飯を残すと、現地の社員は「またおまえは食えないのか?いい加減慣れろよ」なんて言ってくる。

俺と反対にもう一人の日本人駐在員はなんでも食べる。ばくばく食べる。だから現地社員も俺とそいつを比べて「ほら、こいつはちゃんと食べてるだろ」って言う。しるか。まあ、納得いかないにしろそいつがご飯をしっかり食べてるのはすごいと思う。でも俺は食べたくてもダメなんだよ。別に努力しなかったわけじゃない。

いや、ここまではいいんだよ。俺はご飯が食べれない。あいつはご飯が食べられる。どっちが現地の文化を受け入れているかって、この時点ではそりゃあ俺じゃない。だが、そいつはご飯以外の文化を受け入れているとは言い難い。だから俺は納得いかない訳だ。具体的に例を出すと、交通機関の使い方。俺はなんでも使う。電車でもバスでもタクシーでも、経費と相談して効率のいい乗り物を選択している。ところが飯はばくばく食べるそいつは通勤にすらタクシーを使ってる。しかも経費でだ。理由を聞くと「地下鉄は混んでるし、バスは乗り方がわからん」と言う。他にもたくさんある。

とまあ、ここでどれだけ言おうが、文化といえば一番わかりやすいのが食文化だ。それに順応しているかどうかで判断されるのは仕方無いのかもしれない。これからも俺は文化を受け入れられていない人間で、あいつは文化を受け入れている人間という評価になるのだろう。本当にくだらない悩みだ。でも、ただ悲しかったから書いた。

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