はてなキーワード: 几帳面とは
3.恋愛 c.付き合った人数が0か1人
4.友人 b.交友範囲は狭い方
6.資産 b.500万以上
7.結婚 a.未婚
8.性格 a.わりと几帳面
俺、どう見てもダメ人間だろ…。
世の中には、色んな人がいると思うけれど。
30歳くらいの人は、チェックしてみて欲しい。
たぶん、男女とも使える内容になってるはず。
※自分に一番近いものを選ぼう
1.外見 a.美形orおしゃれ b.小ぎれいにしてる c.服には無頓着orブサメン
2.趣味 a.オタクではない b.ぬるめのオタク c.ハードオタク
3.恋愛 a.モテる方だと思う b.恋愛経験は人並みに c.付き合った人数が0か1人
4.友人 a.社交的で友人多い b.交友範囲は狭い方 c.飲みに誘える相手がいない
5.仕事 a.仕事は出来る方 b.仕事はほどほど c.仕事苦手orやる気なし
6.資産 a.1000万以上 b.500万以上 c.500万未満
8.性格 a.わりと几帳面 b.負けず嫌いな方 c.怠け者
自分(30歳・会社員・男)の場合は、
b.ぬるめのオタクで、b.小ぎれいで、c.付き合ったのが1人、c.飲みに誘える相手ゼロ、
c.仕事やる気なし、c.総資産は300万くらい、c.バツイチ、c.怠け者です。
そんなとりえの無い俺。
10年近く付き合った嫁に不倫されて離婚したのもわかる気がする。
ちなみに、今の恋人と長年付き合ってる人、結婚したらすぐ子供作った方がいいよ。
そうじゃないと、共通の目的が無くて、思いやりも薄れて行って、やがて空中分解する。
だって、恋愛やセックスの相手なら、新鮮な方がいいに決まってるじゃん。
これ、まめちしきな。
さて。これからの生き方、どうしよう。
オタクでも友達が多ければ幸せだと思うし、外見が悪くても恋愛経験があれば、
なんとかなりそう。
そもそも、仕事と資産がダメだと、この先不安だ。でも怠け者なんだよなあ。
30過ぎて、10年ぶりに新しい恋愛が出来るのかな?
そろそろ、どこかを変えないといけないのかな。
みなさんは、どうですか?
02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位でした。
マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。
年次別自殺者の推移を見てみると、1978年(昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。
同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性がマネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。
命あってこそ!
人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京・上野公園に小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産家ビル・ゲイツが幸福とは限らないのですから。
人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。
「自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。
スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。
ニッポン人の劣化
日本とアメリカは20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明の優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守も革新も哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本は今日の経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者は失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターやニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。
亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近のマスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者のひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本の高校生 自分は駄目」「検挙率 少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。
さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校、高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本の若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。
ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。
だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。
芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人のメンタリティーが、価値観をマネーに置く文明、人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。
とかよく年長者の方々は言うし、実際自分でも最近そう感じる。
だけども、だからといってどうすればいいんだべ…
確かに早いよ。なんか成人したあたりからすんげー早いよ。
「新刊発売まで一ヶ月待って」と言われたら、中学生の自分だったら発狂しそうなほど待つには長い時間だったけど今の自分にとったら「あ、なんだ一ヶ月か。なんか色々してたらすぐだな」とか思えるようになった。(それはそれで利点もあるけど)
分かってる。分かってるが、でもだからどうすればいいんだ?
「人生なんてあっという間だぞ!」と父は言うが、だからといってどうすればいいのか分からない
足掻いてみても時は止まらんし。
人生短いんだからやりたいことをやれって?
やりたいことなあ……
そりゃまあ一応やりたいことは無くは無いよ。様々な制限を度外視して思うままに語ってみるなら、豪遊生活したいとか思うよ。世界一周してみてーとか思うよ。他人に凄く注目されてみたいよ。
んでも、そんなこと現実問題出来ないし。
そんなん、そんな大きなことじゃなくて、もっと小さいことだよ、って言われたら、ぶっちゃけ特にない。
そのレベルになると、「やりたいこと」というより「やりたくないこと」が上がる感じ。食事の支度もしたくねーし働きたくもねーし、家でダラダラオタク趣味にのめりこんで、時々自分のサイトでも更新してみたり、ニコニコにUPする動画作りでも時たまやってみたりとかしたい、みたいな感じになってくる。
んでもそんなこと今してたらそれこそ老後どうすんだって話で。そもそもその間どうすんだって話で。
そんな感じで、いくら「人生なんてすぐすぎるぞ!あっという間だぞ!」なんていわれたって、「んなこた知ってるよ。でも、だからどうしろっていうんだ」としか言いようがない。オッサンたちは偉そうにそんな事言うけどさ。いい事いってるつもりなのかもしれねーけど。そんなん薄々分かってきてるよ。でもどうしようもねえんだよ。「マジで好き勝手やりまくって、50で死ぬ」なんて覚悟もねえし。いや、本当言うとそうしてみようかという気は少しはあるけど、でも50になった俺の気が変わったらどうする?やりたい放題やって、後に何も無い状態で、「さあ、20歳の頃に決めた年になったぞ。死のう」だなんて本当に思ってくれるのか、未来の俺は。もしそう思えないとしたら、どれだけ悲惨な事になるやら目も当てられない。
でもだからといって働いてわずかな時間で趣味を少しばかり楽しんでそれで人生終わっていくなら
それが「嫌だ!!嫌だ!!」ってわけじゃないが、「なんか意味ねーな」って感じはする。
今死んだって同じじゃねえ?みたいな。
じゃあそれなら最後に死ぬ前にありったけの金で遊んじゃう?ってそんなことした後で俺が死に切れないチキンであることは俺が一番よくわかってるんだが。
大体やりたいことなんていったって、本当にやりたいのかなんてわかんねえよ。
今突発的にそう思ってるだけかもしれないし、もしかしたらすぐ飽きるかもしれねーし、天職めいたものが実は他にあったりするのかもしれないだろ。本当は全ての可能性をそうやって検証したいけど(俺は変な所で几帳面なため)そんなん無理だろ。とすると「やりたいこと」なんていうのも環境と運で決まることであってだな……この先全ての人生を捧げるに値するのかなんて全然わかんねえ。そんなん学生が分かるわけない。「○○になりたい!」とか思うのは、大抵の場合、「テレビで○○を見て憧れて」「本で読んで憧れて」とかだろ。ていうか社会生活してないんだからそういう理由くらいしかないわけで。そんなんで捧げる覚悟決めちゃっていいのか?って俺なんか思うんだけど、結構皆さっさと決められてるのはすげえ。例えば16歳の時立派な警察官の話を読んで、警察官になるよ!とか言ってる奴だっているわけだ。現に俺の友人にいるんだけど。そいつには言わないけど、俺はひそかに思ってしまうわけ。「じゃあお前、16の時その本読んでなかったら警察官になるって思わなかったわけだよな?逆に言うとその本読んだから思ったわけだよな?その本がお前の将来を決めてしまったんだぞ?その本だけでお前の将来決めちゃっていいの?」とか思っちゃうわけ。ていうかなんで皆そういうことを思って迷わないのか不思議なわけ。「って一生迷ってるわけにもいかないじゃん」って、まあそりゃそうなんだけどさ。それにしたってなんでそんな迷いが無い感じなの?俺は上のような事を考えるだけで大袈裟な話発狂しそうになる。この人生の、「帯に短し襷に長し」ぶりがもう腹が立って仕方ない。人生腐ったふりしていじけてすごすには長すぎる。かといってやりたいことやるには短すぎる。もうその「人生」自体に腹がたつんだよ、俺はどうしようもできないから。人間ってシステムっつーのか、この生命体の仕組みに腹が立つわけよ。いっそ何も考えず犬のように生きられたらいいのに、中途半端に自我とかあるからうざったい。ある種、生まれてきた時点で望みは叶わないって決定しているようなものだ。このジレンマっつーか、なんつーのか、俺はもう物凄い八方塞感を感じている。
すぐすぎるなんて分かってるけどじゃあホントどうすればいいんだ。
オッサンたちだって、んなこといってるけど、じゃああんたら若い頃にそう気がついていたとして、何か出来たのかよ?
どうせ気付いても何も出来ないなら寧ろ気付かないほうがいいのかもしれないな。
空しいっつーか腹が立つっつーか、色々とやりきれない。畜生。
それと同じような事を書いてる人がいたな確か。
URL忘れちゃったけど。
そんでその人は、「そもそも、食器洗いや料理をする男性というのは、その時点である程度神経質であったり几帳面であったりするのに対して、女性の場合、どんな女性であっても(面倒くさがりやや、横着な人や、おおざっぱな人でも)ほとんどの人が食器洗いや料理をせざるを得ない場合が多い。そのサンプルの違いを分かっていなかった。そういうことにおおざっぱな男性というのは、そもそも料理や食器洗いといった家事をしないのだ」という結論に至っていたが、俺もその通りであると思う。
まあそれがただしいとも限らないが、何にせよ、あんまりそうやって横着にぱっぱと結論決めてしまうもんじゃないよ。
こういった場合、見落としてる裏の条件が大抵いくつもある。そもそも今回の場合男のサンプルはお前一人、女性のサンプルはお前の彼女だった三人、とかなりの偏りが見受けられる上絶対数がそもそも少なすぎる。
なんつーかお前だけじゃないけど、結論急ぎすぎな奴多すぎだ。
個人個人の性格として置いておくのがそんなに怖いのか。何かを偏見の目で当てはめておかないとそんなに不安か?ちょっと健全じゃないね。こういう事を考えてしまう人間というのは精神が不健康なんだよな。大丈夫かよお前。
Aは悩んでいた。バッジを外すか外さないかを。先日学校からいじめバッジというのが全生徒と全職員に配られた。それをつけている者はいじめをしませんという証であり、それをつけていない者はいじめをされているという無言のメッセージを意味するらしい。Aは悩んでいた。それというのもAはいじめを受けていた。いじめといっても、ドラマなどで見るような人格を崩壊されかねない重度のいじめなどではなく、昼になったら購買にパシらされたり宿題がある日はノートを渡されてそれを仕上げてくるなどの軽い行為だったから、それがいっそうAを悩ませていた。
今の状況は我慢できない程ではない。でも今の状況はとても嫌だったし、そのせいで学校が全然楽しくなかった。そんなことがなかった中学一年生の頃を思い出すと悲しくなった。その頃は学校が楽しくて大好きだったAは胸が痛んだ。そしてそれがAを決意させた。バッジがどれ程の効果があるのはわからないし、外したらどうなるのかもわからない。現在の状況に耐えられないことはないんだから、このまま甘んじてるのが賢いのかもしれない。でも、それは嫌だ!それに嫌な思いをしてこのまま学校を嫌いになるのはもっと嫌だ!Aは学ランからバッジを外した。
翌朝Aは時間を遅らせて学校へ行った。バッジのない学ランを人に見られるのが怖くて人と会わないように時間を遅らせたのだ。朝のチャイムがなる少し前に教室へ着いた。やはり見られるのが怖くて背中を曲げて胸を隠すようにして教師が来るのを待った。教師は真面目な人物であったのでその後鳴ったチャイムと時を同じくして入ってきた。教師はいつものように挨拶を済ませて点呼を取る。いつも通りの日常。でも自分だけが非日常。バクバクする胸を押さえながらAは順番を待った。いつもはすぐに来る順番がいつもの何十倍にも感じられた。そしてようやくAの順番になった。「Aー。」教師の声に小さく返事をする。「…はい。」折角外してきたのに胸を張れない自分が嫌になる。でも怖い。バッジを外すという意思表示が怖くて仕方がない。だから胸を張れずにいたのだが、几帳面な教師は何か気付いたようだった。「ん?A?バッジはどうした?」心臓がますます大きく鳴り上手く言葉が出てこない。「…え?…あの…その…」言いにくそうにしてるAを見て教師は続けた「まさかいじめられてるのか?」いじめられている。自分からは言い出しづらい言葉だ。まるで自分が劣っているのを公言するようで。でも今のままは嫌だった。このままの状況が続いて大好きだった学校が嫌いになるのはもっと嫌だった。だから勇気を出してバッジを外した。あと少しの勇気を。勇気を振り絞るんだ。「…はい」と言おうとAが口を開きかけたとき大きな声が教室に響いた。
「忘れたんだよな?A?」Aをいじめてる同級生だった。「Aのやつ忘れっぽいからなー。」「本当、本当。Aは忘れっぽいからなー。」他のいじめてる同級生達が続けた。「そうなのか?A」問うてくる教師に違うんです。いじめられているんですと言おうとしても口が動いてくれない。いじめてる同級生達の声を聞いた瞬間から体が萎縮してしまっている。「そうに決まってますよ。そうじゃなかったらAがいじめられてるってことになるじゃないですかー。」「本当だよ。俺たちクラスメイトがいじめをしてるってことじゃん。」「うわー、傷ついたー。そうだよな?な?みんなもさ。」いじめてる同級生達はおちゃらけた様子で語り、クラスメイトに話を振った。いじめについて知ってるクラスメイトがほとんどだったが、それに同意したように嫌そうな顔をしていた。直接はしていないものも、それを咎めなかった自分達もいじめているのと一緒だと暗に言われたようなものだから、面倒だ、余計なことをしやがって、あんたが勝手にいじめられていたんじゃない、皆そんな顔をしていた。Aはそんな皆の顔を見て諦めた。泣きそうになったのでもなく、悔しかったわけでもなく、諦めた。「A、どうなんだ?」機械的に聞いてくる教師の声は遠かった。そしてAも機械的に答えた。「すいません。忘れただけです。」
自分の小学校は一学年一クラスしかなかったから六年間ずっと同じ34人(途中転校生はいたけどね)だった。
中学は二手に分かれたけど規模自体は似たようなもの。ヘタしたら高校まで12年間同じクラスなんてヤツもいたかもしれない。
体育館もプールも図書室もなく、給食もないのでみんな弁当持参。弁当を用意できない生徒のために、クラスごとに日直がオーダーを取って近くのパン屋さんに仕出ししてもらっていた。
自分は母親が元から父親のために弁当を作っていたので毎日弁当持参していて、年に一度母が風邪を引いたりした時パンの注文をするとものすごく珍しがられた。
反対に、毎日パンを注文してる男の子がいた。そのTくんはパン屋さんが休みの金曜日になるとコンビニでおにぎりを買って食べていた。6年間ずっとその調子だった。
私はどちらかというといじめられっこの部類に入っていて、T君もクラスではマイノリティに属してた。
ある日クラス委員の男の子が私の弁当を取り上げて、Tくんの目の前に置いた。
「おまえいつも弁当食うの遅いし、残すんだからTにやってもいいよな」
Tくんは机の上の私の弁当を薙ぎ払うように叩き落した。もう20年近く前のことだが私は忘れない。
私の大好きなほうれん草の玉子焼きが足元に落ちてきたのも。
多分6年間のうちに一度か二度だけ、Tくんがお母さんに作ってもらった弁当を持ってきたことがある。
やっぱりクラス委員のやつが「お、Tめずらしく弁当持ってきてるじゃん。ハンバーグうまそう」と言って、メインのおかずだったハンバーグ(多分冷食だった気がする)を取り上げて一口で食べてしまった時の、Tくんの顔を私は忘れない。
Tくんは私をよくバカにしてからかって、隣の席になった時は私の机に机をごつんごつんとぶつけて「こっちくんなよ!」と言うことがあったけど、席順で回ってくる日直の日、夕焼けが見える教室で最後の片づけをしながら「いつもごめんな。でもこうしないとあいつらに仲良くしてもらえないんだ」とうつむきながらぽつりとこぼしたことを私は忘れない。
「あいつら」はクラス委員のグループだった。Tくんはその中の一人とよく昆虫や電車の話をしていた。
Tくんには年の離れた兄と姉がいて、授業参観は彼らが来てた。若いお父さんお母さんといわれてもおかしくないくらいの年かさだった。
几帳面というか神経質で、字のきれいな子だった。成績はクラス委員のヤツと多分同じくらいだったはずだ。
Tくんは遠くの中学校へ進学した。
同窓会にTくんは来ないだろう。
私は「行かない」と言った。クラスの女子はみんな優しかったけど、私はあの時も今も伝えたいことがうまく伝えられなくて空回りしてた。「変わった子」だった。学校が大きければ比率が同じでも「変わった子」は一人じゃないんだって気付いたのは高校に入ってからのことだ。
「あいつらに会いたくない」と遠回しに言ったら「でも今会ったらきっと違うよ」と明るい声で返ってきた。
違うんだ。あいつらにはいつまでも、あの愚かな、私の弁当を取り上げ、Tくんを追い詰めたヤツらでいてほしいんだ。そうじゃなきゃ私はあいつらを許さなくちゃいけなくなる。自分のやったことなんてきっと忘れてるだろうけれど、でもあいつらが「いい人」になってしまったら私はどうすればいいんだ。
万が一しでかしたことの一つくらいは覚えてて、「ごめんな」なんて言われたら、謝ってこられたら私は許さなくちゃいけなくなるじゃないか。怒りに任せてぶん殴ったら、気を済まさなくちゃいけないじゃないか。私は気を済ませたくなんかないんだよ。
吉田秋生の「櫻の園」に出てきた部長の言葉に私は心から共感する。
だから私は同窓会には行かない。
愚痴にちょうど良いかもしれないので匿名ダイアリーを利用してみる。
自分はぬるいヲタで非コミュで、ヒッキーじゃないけどほとんど外に出ない。外がまったく怖くないというのは嘘になるかも。
数少ない地元の友人たちは散らばって、最終的にメッセンジャーとかでつながってるのはイタい人間だけ。ちなみに地元の友人にヲタと言える人間はいなかった。田舎であまりツールが無かったってのもあるかもしれんが。
ただその中でアニメとか観る奴がいるんだけど、そいつが俺とは違ってコミュ系。
小さい頃からかなり社交的で、軽い人間というのとも違うんだけど、かなりテキトーな奴。
どちらかといえば几帳面(ネチっこい)なヲタである俺からすればかなり嫌なことなんだけど、アニメとかを1日で数十話とか平気で観て(俺にはそんな集中力ない)「あの作品は良かった」とかって”分かる奴ぶる”性格だから困る。
ちなみに作品の細かいところとか聞くと「あんまり覚えてない^^;」 顔文字つき。こういうシーンで汗をかかれても腹が立つだけなんだが。
まだ若い自分達からして、オッサンがやることに妙に憧れをもつ奴で、それらも結局”形から入れば自分もああいうカッコいい男と思われる”っていう思考回路が備わっているらしく、昔からタバコ(金ピーとか重いの)吸ったり「ビールは缶じゃなくてサーバーがうまい」とか十代で言ってみたりする困った人間だった。
いまは就職(バイク会社)して、プライベートももっぱらバイクにご執心らしくて、2,3年前は時々ネトゲ(パンヤとかね)をやって楽しんでたのに、夜にちょっと遊ぼうとか誘うと「もう遅いから」とかって付き合い悪くなってしまった。つかここまで書いてて思い出したけど3,4年前ぐらいまで2年ほどはMMORPGの廃人プレイヤーだったのに、彼。
昔は逆に当時不登校の俺が0時以降にメッセンジャーで話しかけられて面倒で「もう遅いから」って断ってたのに、立場逆転。
まあイタいと思っている相手が遠ざかるという意味では望ましいんだけど(相手も逆に同じコトを考えているかもしれんが)、それでも友人関係をぷっつり切っていないのは、いまのところ実生活とネット両方あわせて友人が彼しかいないから。稀に遊び相手やちょっとしたことを話せる相手(会話も好き勝手なことを言ってくる彼に俺が相槌うつだけなので決していい意味ではない)が彼のみなので。
そして、たまに話しかけてもバイクに興味がない自分にはあまり反応しなくなった今(DQNではないがどちらかといえば何も考えずに生きている人間なので、その辺は分かりやすい)、ちょっと本格的に関係を見直す時期にきているかもしれないと感じた。
社交的な彼を通じて薄く交流のあった別の友人グループたちも、見事にバイク一色に染まっているので皆が皆同じようにDQN寄りになってしまっているし。困りものです。
それ以外にmixiで地元の友人探してみたら皆バイクバイクって馬鹿の一つ覚えみたいに日記で盛り上がってるし。数少ないマイミク登録した奴までそんなだから、金も勇気も必要もなくて免許なんかとったことない俺からしたら免許のことを日記にかかれてもどうコメントしたらいいか分からないんだよ。
オマケに(これはまぁちょっと想像すれば分かることだが)中学時代は服とか女とか部活とかスポーツとかしか興味なくて、車が好きで種類とか多く覚えてた俺のような輩をバカにしてた奴が、いまになって「バイクはHONDA」とか、よくわからんバイクの名前とか愛称とかをふんだんに織り交ぜて得意げに、そして楽しげに語っている。そしてそれに色んな仲間がこれまた充実した感じでコメントしたりしてコミュニケーションをとっている。なんという理不尽。
そう、充実しているのだ、奴らは。これぞまさしくリア充。
俺のような人間と、彼らのような人間がいてこそ使える、かつ最高にしっくりくる言葉だね。
彼らのような人間を俺は勝手に下等なDQNと思っているけども、彼らの活動の内容とは関係なく、仲間たちと楽しそうに過ごしている様子を知ると、海の底にでも沈められたかのような悔しさと鬱が襲ってくる。
だからと言って、はいどうぞと友人を据えられても、自分の望むような関係ができるだろうかと自信がなくなるし。
結局自分は自分のことしか考えてない自己中心的な人間なんじゃないかと悩み始め、無限のスパイラルになりかねん。
で最終的には、何も考えずに生きている彼らのようなDQNであるほど楽しく生きられる理不尽な世界だということが明確になるだけ。
さっきだって、数ヶ月ぶりにネトゲで遊ばないかと誘ったら断られた挙句、仕事先の先輩から年上の女をゲットしたとかなんとか自慢が始まって、青春時代を共にすごした俺の記憶には女性と関わる所など微塵も残っていない彼が「……今回はね、本気で狙ってるのよ」とか「色々教えてもらってます、むふふ」とか「いろんなテク持ってるらしいのよ」とか「コスプレすきそう」とか意味の通らないことを自慢げに語ってくるのを聞くと、それこそ長い付き合いで慣れたはずの彼の言動なのに、殺意を覚えずにはいられんかった。それ以降の俺の言葉は見ようによってはトゲがあったかもしれない。精一杯隠そうと努めたのだけど。
で、注意深くその女性とのことを探っていくと、調子にのってペラペラしゃべった。
聞いたことをまとめた結果、結局紹介されて知り合って、1度か2度その女性の自宅に行った、というだけらしい。
もし筆おろしでもしたのなら、本能の赴くままにまずそのことを俺に自慢してくるはずなので、そのあたりを考慮して考えると、せいぜい知り合ってちょっと経った、ぐらいの関係と推測できるし、何より付き合っているような口ぶりだったけどそんなのはまだ先の先なのではないかと言ってやりたかったワン。
まあ結局何が言いたいかっていうと、今さっきメッセンジャーで話した彼の愚痴なんだけど、ひいては非コミュ系の社会というシステムへの、どうあがいても弾かれ、コミュ系の何気ない言動や行動が無条件にストレスになってしまうという絶望感をね。どう見てもオナニーみたいな文章なんだけど。
愚痴って書いたこと無いけど、一旦カキ始めるとキーボードを叩く手が止まらないもんだ。ほんとオナニーみたい。
また何か書きたくなったら書こう。
マイナス方面のアピールも同様にムカつき度が高い気がする。
青春時代が暗かったり、休日家の中にひきこもっていたりする事は一般的にはマイナスな事例のはずなのだが、敢えてそれを極端にすることで「誰よりもダメな俺/私」「誰よりも不幸な俺/私」というマイナス方面で突出し、「平凡な奴らと違う特別な自分」となろうとする。
変わってる俺/私アピールは、要するにギャップに注目させる事で「平凡な奴らとは違う特別な自分」になろうとしている。一番基本的なのは「男/女なのに○○(勿論ここには一般的に男/女がしないような事が入る)」という生まれ持った性別に対するギャップ、そして「中学生なのに○○(ここには一般的に中学生がしないような事が入る)」のように年齢に対するギャップ(これは「若いのに○○」というタイプが多く、逆の「中年なのに○○」はあまり見かけない)。細かいことをいうとどれだけでも作れる。A型なのに几帳面じゃない、程度でもアピールする人はする。
これらのアピールは、何故するかというと、一貫して「平凡な奴らとは違う、特別な俺/私」というアイデンティティを作りたいからである。なぜこの種のアピールでないとそれが出来ないかというと、彼らは結局、能力的に平凡だからである。初めから何らかの能力に秀でた者は、わざわざこの種のアピールをすることなく、ただその能力のみで周りからチヤホヤされ褒められ「あなたは私達とは違う、特別な人だ」と認めてもらえるからだ。一番簡単なものに美人・イケメン、がある。彼らはもともと顔がいいので、特別変な特徴やキャラクターを自分につけずとも、ただ「美人、イケメンである」というだけで周りから「特別」視される。
ではそもそもなぜ「平凡じゃない、特別な自分」でないとアイデンティティが作れないのか?平凡な人間のままではアイデンティティが作れないのか?
……そんな事はないはずなのに、それでも多くの平凡な者たちがこのアピール道を通っていく(自分含め)。
恥ずかしいが正直に言えば、自分は平凡な人より変わってる人の方がいい、と感じている。
しかし何故そう思うのか、なぜ自分は平凡なままでは耐え切れないのか、そこがわからない。
結局、能力をアイデンティティにしていたとしても、それを上回る能力の持ち主がいれば、そこで彼彼女のアイデンティティは崩れていしまうわけで、「他人と変わっているところ」をよりどころにしようとすると、ごくごくごくごく一部のトップ層以外、いつかは崩れてしまう運命にある。
アイデンティティなんて無理して作るもんじゃないのではなかろうか。
しかしだとするとなぜ自分含め大勢の人が、そのままでいた方が楽にすむにもかかわらず、頑張って「他と違う自分」へと走るのか。
……個性を大事にと口うるさかった教育のせい?いや、まさか……
■高校時代、漏れは電車で学校に通っていたんだけれども登校時はいつも同じ電車、同じ椅子に座って通学していた。
いつも35分間退屈の極地を体感しながら同じ風景を眺めつつ登校していたんだけど、そんな事を2年間続けていたある日、ある踏み切りで女の子がいつも同じポジションで電車待ちしている事に気づいた。
…ショートカットでほっぺたが赤い子。(くらいしか覚えていない)
制服の特徴から友人が言うには山のふもとの集落から線路を挟んだ向かい側に通学しているであろう公立高校の子らしい。
■「いつも同じ場所に居る几帳面な面白さ」とこの電車登校の35分間の恐ろしくヒマさも手伝って、毎日それとなくその子を「ああ、今日もそこにいるな」程度の確認をするのが日課のようになった。
■しかしながら3ヶ月たつとやっぱ飽きる。同じ場所に居るだけだから(;つД`)
それもあり、ある日「まあ、面と向かってる訳じゃないしだからな」とばかりにいたづら心が手伝っていつも石のようにボーっと電車待ちをしてるその子に手を振ってみたらその子は(゜Д゜)という顔をしていた。
ちと愉快だった。
そんな事も忘れてた次の日、その踏切でその子と遭遇すると今度はその子が手を振り返してきた。
予想外の反撃に今度は漏れが(゜Д゜)となった。
■で、その日以来、電車が踏み切りとすれ違う5秒程だけれどその子と変な挨拶がはじまった。
漏れのほうは毎日「よっ!」と手で挨拶したりテンション高い時は馬鹿高校生らしく変な顔したり。
その子は軽く手を上げたり連れの子や仲間が居る時は目で追ったり笑顔で返したり、だった。
でも、今思うとあの頃は絶対にテレパシーがあったと思う。「髪切った?」「うん、髪切った」みたいな事をあの5秒で会話してたから。
雨の日や雪の日もその子はいつもそこにいて漏れもそこにいて1年ちょっとそういうことが続いた訳なんですが結局、漏れが高校を卒業して大阪に出てしまったりゴタゴタしてその「挨拶」はしゅうりょう(;´Д`)
■…のですが、半年くらいたってパスポート更新の為に帰省して大阪に帰る際に「いつもの時間に電車」に乗り、「あー半年なのになつかCヽ(`Д´)ノ」とかおもっていたらあの踏み切りで彼女に再開。(どうも一つか2つ下みたい)
漏れ:(゜Д゜)!!元気か!
彼女:(゜Д゜)!!元気だ!!
みたいな感じでこれが彼女と話した最後だった。
■で、帰省してその電車に乗った際にあの踏み切りの全く変っていない光景を見てふつふつとそういうほほえましい事があったのを思い出した(;´Д`)
あれからもう凄い年数が経過した訳だがあの子は元気なんだろうか。
きっとあの笑顔で笑ういいお母さんになって向こうに見える集落のどこかで幸せに暮らしてるんだろうな、と思った。
■それに比べてこの漏れは(;つД`)ペドで魔改造して幼女好きでさくらたんの制服を買って何するつもりなんだ(;つД`)死のう(<全部ダイナシだ)
http://anond.hatelabo.jp/20070522115438
性格って、言葉で正確に表現できないものの一つですよ。
「意外と几帳面だけれどそうでない一面もある」なんて書いたら、多くの人は当てはまっちゃう。
血液型は占いの類と一緒。人生を楽しむためのネタの一つとお考えクダサイ。
ソースを失念して探しているんだけれど、未だに見つからない、でも興味深い話。
ある大学で性格テストを行いました。「●型はxxである」と一般的に言われているモノを差し替えて「▲型はxxである」というウソの前提で、まずは血液型を当てるテストを行い(これはダミーなので当たったかどうかはどうでも良い)、その後で「▲型はxxである」という一覧を見せたところて「それは自分に当てはまる」と思う人が圧倒的に多かったのです。
それくらいいい加減なモノです。
本当にひどいサークラって訳じゃないと思うけど。
俺は大学の時、結構硬派な文科系の部にいて、彼女はその同級生だった。
部の男女比は女の方がやや多いってぐらい。
で、まぁ俺を含めて男どもは女に免疫がなくて、女のちょっと思わせぶりな態度にもあっという間に勘違いしちゃうような奴らばかりだった。
彼女は1年の時は全然ぱっとしなくて、隅っこの方で一人でいる事が多いような感じだった。
最初俺は別に下心とかあった訳じゃなく、そいつをなんとかみんなの輪に入れてあげようっていう親切心から、色々話したりして、結構仲良くなった。
で、服装もださいし、化粧もしてないし、女っぽさを出す事が苦手なような感じに見えていたんだけど、時折見せる女性らしい部分になんか反応しちゃったんだよな。
で、1年の終わりに告ったんだけど玉砕。
かなり落ち込んだけど、しょうがない事だし、同じ部で険悪になるのも他の人に迷惑だし、カッコ付けたがったってのもあって、表面上は仲のよい友だちで過ごしていたんだよ。
2年になったら彼女がどう言う訳か1年男子に人気になってちやほやし始められた。
ちょっと図に乗っているなって感じたけど、問題起こした訳じゃないし、恋愛事についてそいつと話すのは振られた手前できなかったんで気にしないようにしていたし、そいつもおだてられたりからかわれたりするのは楽しいけど、恋愛はするつもりないらしかったから、未練がまだある俺も心配まではしてなかった。
で、どうもその辺りから暗かった彼女が明るくなり始めて、そのせいか同級生の間でも気に入る人がでてきたようで、彼女と仲よい俺に色々情報を聞かせてくれなどと言うやつも出てきたりして、でも、まぁそこは素直に知っている事は教えるし、ウソついて騙したりしないようになんて日々が続いていた。
彼女とは恋愛話しをしないようにしてたんだけど、風の噂で何人かの部員を振ったなんて事を聞いた。
2年の終わりに時期部長を決めるって事になって、俺がなることになった。
別にリーダーシップがあるわけでもないし、どちらかと言うと女々しい方だったんだけど、なんかそういう流れになってしまった。
で、副部長になったやつは、すごい生真面目で几帳面でって男だったんだけど、そいつが彼女に振られたという男の一人だった。
彼女の方は相変わらずちやほやされて調子に乗って、俺から見ればそりゃ勘違いするだろうよって行動をして、可哀想な男を増やしていっていた。
俺が部長になったばかりの時に、たまたま2人だけで飲みに行く事になって、今思うとそれがたまたまなのか分からないけど、そしたら彼女が酔いつぶれてしまった。
その姿が妙に女っぽくて、眠っていた思いが出てきてしまった。
で、家へ送っていく最中、ドキドキしていて、まぁ、しばらく酔い覚ましたりしている内に、なんとなく、また告ってしまった。
そしたら、返事もなしに急に抱きついてきて、で、まぁそこでチューしたりして、そんなこんなでつき合う事となったのでした。
舞い上がっていたけど、一応部長なので、体面と秩序を守る為に、つきあってまぁす、みたいな顔はしていなかった。
特に彼女に振られた男どもに嫉妬されないように気を使っていた。
で、俺でなくても誰かとつき合えば、誰彼構わず図に乗って思わせぶりな態度を取らなくなるだろうと思っていたんだけど、一向にそういったことをやめやしない。
注意するのも嫉妬しているみたいで嫌だったけど、振った副部長にまでボディータッチしてたりするのを見ると、俺や彼女の為というより、副部長の気持ちを考えろみたいな事を言ったりした。
その返事が「でも彼だって喜んでいるんだからいいじゃん」ってもので、俺はまったくもって始終カリカリしていた。
ある時、部活の後デートの約束をしていて、でも、2人そろって部室を出るのは恥ずかしいのと、嫉妬防止の為に、先に出ているとこっそり告げて、外で待っていると一向に出てこない。
どうなっているんだと部室に戻ると、彼女はシンパに囲まれてきゃあきゃあと騒いでいる。
こっちはアイコンタクトで待っているんだぞと言う事を伝えたつもりだったんだけど、どうにも伝わっていない。
すっかり頭にきてしまった俺は外に連れ出して、俺の事を放っておいてみんなにちやほやされるのを選ぶならつき合っている意味ないね、なんてことを言うんだけど、なんか言い訳ばかりして口先だけで謝る事すらしない。
副部長の事についてもそういった思わせぶりな態度はかえって傷つけたりするんだということを言っても理解してくれないし、こりゃもうダメだと思って、1年以上も密かに思い続けていたのにつき合って1ヵ月ちょっとで別れてしまった。
別れてしばらくした後、その噂を聞き付けた女子部員たちが俺を飲み屋に呼びつけて、さんざんぱら彼女の悪口を言う訳。
しまいに「部長はいい人なのになんで彼女とつき合ってたのか全く理解できない」とか「お前が彼女をのさばらしていたんだ、部長なんだからなんとかしろ」とか、「彼女が部長とつきあったのは、権力を手に入れたかったから」とか、いや、俺に言う事じゃないだろって事まで、どんどんエスカレートしていった。
でも、まぁ俺としてもできる限りの事はしようとは思うんだけど、どうも俺じゃダメだよなんて感じで、結局「部長も苦労してたんだね」と酔っ払いながら同情されたりしていた。
その時、なんか、女って怖いなぁって思ったよ。
すさまじい悪口だったもの。
そこで仕入れた情報によると、女子部員と男子部員の仲が彼女のせいで見えない緊張関係にあるらしい。
なんとなくしか気付いていなかった俺は、冷静でいるつもりだったけど、すっかり浮かれていたんだなぁって思ったよ。
その後、俺と彼女は疎遠、というより俺が一方的に避けてたり、副部長に惚れる女が出てきて、その娘とつきあうようになったりして、彼女のちやほやブームも去り、女子部員の不満のはけ口として悪口を真剣に聞いていたりしているうちに、部にも落ち着きがでてきた。
そんな中、彼女が本当は何を考えていたのかわからないけど、しつこく彼女にくっついて回っているある後輩一人にやたら仲良く接するようになり、その後輩はすっかりのぼせ上がっているのが見え見えになっていた。
で、後輩が自分の家に彼女を呼んだらのこのこついていって、そんなんだからってんで押し倒したら、激しく抵抗されて、結局強姦未遂みたいな騒ぎになって、もう大変だった。
その時、彼女が俺とまだつきあっていたとしても余計に安心してその後輩の家にいちゃってたと思うし、俺に対して悪いとはこれっぽっちも思わなかっただろうなって、今は思う。
俺が彼女をのさばらしていたってのは多少あるとは思うから、そのままだらだらと付き合いを続けていたら、本当にクラッシュするような事が起きたんだろうなって思う。
本当に女に免疫なさすぎだったなぁ、俺らは。
いったいどうなっているんだ。
ありのまま今起こったことを話すぜ
申告をしなきゃいけないので書類を書いてたんだ。
何十枚という書類があって番号が振ってある。
何の別表だかわからないが別表って書いてあるんだ。
[1]って書いてあるやつを見る。
俺はそんなに几帳面じゃないが1番ってかかれてたら1から始めるだろ?
おきまりの名前を書いた後に項目1があるんだ。
項目1には別表の4の38の1を書けと書いてある。
しかたないので別表1を後回しにして別表4に飛んで、埋めていく。
別表4を埋めるのに別表8だの、14だの、6だの17だのの数字を書けって書いてあるんだ。
ようやく終わって2番目の項目をみるだろ?
36又は37って書いてあって、
36を見ると34+35って買いてあって、
34を見ると30の22%って書いてあって、
30をみると1の金額又は・・・とか書いてあるんだ。
どんだけゲームブック好きなんだよ!!
で、そんな感じで埋めていくんだが、そんな項目が延々と別表1だけで47ある……
しかも2セットあって、別表ではない本表みたいのも16枚2セットあるんだ。
ワシの税務申告書は108式まであるぞ!!
表を書いている途中で、間違いに気が付いたり、決算の科目に不安を感じて問い合わせたりすると全部が振り出しなんだ。
しかもいちいち用語が意味がわからない。
もうね吹き上がりますよ?
どんなスパゲティですか?
一体なんのための税金ですか?
一体どれだけの人のどれだけの時間を無駄にすれば税金を集められますか?
一体これをどれだけのコストを掛けて確認して管理できるのですか?
一体なんなのですか?
滅びろ!!!!
ちょっとアレな感じのホームレスの人がさ、よく街なかで段ボールの上に背を丸めて座り込んで、何か小さなノートに書込みしてるの見るじゃない?あれ何書いてるのか気になるよね。先日、そんなホームレスの人が立ち去った後にさ、ノートが落ちてるのをみつけたんだ。それで拾い上げて開いてみたの。
どうも日記らしいんだけどね。几帳面に日付けとか小見出しとか書込んであるの。で、ノートの下には"<次のページ 前のページ>"って逐一書込んでる。あれ?って思ってページの上とか右の方見たら「最近の記事一覧」とか、「最近のトラックバック」とか書いてあるの。うわー手書きでブログごっこやってるのか、と思って見てったら、コメント欄もあるんだよ!何ページも炎上してる日も!「でも全部同じ筆跡やん…」と呟いて、ふと背中に視線を感じてふりむいたらホームレスがじっと自分を見てた。怖くなってノートをその場に置いて、走って逃げた。