大学の出身講座の教授群が全部他学科出身者に変わって3年。名前と場所は同じだが、中身は別物になってしまった。とはいえ、大学自体のカラーは未だに同じようなイメージで残っている。伝統風物詩も残ってる。
もっと凄いのは高校で、親父も同じ高校なのだが俺の時と校風は変わってないらしい。いま、従兄弟が同じ高校に通っているが、やはり同じ校風だそうだ。戦前からある古い高校とはいえ、公立校である以上は校長だって定期的に変わるものだし、先生だって異動するだろう。そもそも、その校風自体教師から見れば好ましいものじゃない。こういうものはどうやって受け継がれているのだろう?地域性とかも関係するのだろうか?
さて、最近企業が海外の学生をとるという。別にそれに反対はしないが、いわゆる企業カラーというのは、そういった場合にも受け継がれるのだろうか?海外における日本企業の優位性は(特に工業製品のおいて)、日本人のやたら几帳面とか不必要にマニアックという特徴から生み出される実績とイメージに依るものが多かったのではないか?
日本人が優れているという気はさらさら無いが、そういう特徴が有利に働いていたのは事実ではないだろう。非日本人が会社の中で主体となったときに、そのイメージは維持できるのか?もしくはそんなものがなくても互角に戦える、もしくは戦う覚悟がある企業がどれだけあるのだろうか。
日本人が優れているという気はさらさら無いが、 それをさらりと言えてしまう日本人が多すぎるのが、日本の凋落の原因でもあるんだけどね。 アメリカにせよ中国にせよ韓国にせよ「...
実際優れてないからなぁ。戦後の日本は本当に運が良かった。東洋の奇跡だよマジで。