はてなキーワード: 下痢とは
2週間ほど前、風呂に入ってる時に肛門になにか出来てるのを発見した
______痔だ、と。
恐る恐るネットで痔について調べてみると案外ポピュラーな病気だと書いてある
肛門科に行くべきか、いやまだ早計だ
そう思ってボラギノールのサイトへアクセスした、勿論スマホのシークレットタブを使った
そこには自分の痔がどう言ったもので、どのボラギノール(なんとボラギノールにも種類があった、ボラギノール素人の自分は大層困惑した)が適切なのかを調べられる簡単セルフチェックなるものが存在した
己のケツに関わる重大な設問だ、下手な誤魔化しや見栄は張らずに素直に答えた
赤い文字で書かれたそれに、一瞬頭が追いつかなかった
肛門から飛び出してはいないが、なんか腫れている、血は出ない、痛みは無い
これが痔じゃないなら、ケツにできるデケェニキビだとでもいうつもりか?冗談じゃない
自分がどれだけ愚かしい真似をしているのかは分かっていた
素人がネットの情報を鵜呑みにして医者にかからないなんて言うのは命が要らないと言っているようなものだ、愚かなことだ
生まれてから2○年、未だに幼少期にしかパンツを脱いだことがない自分にとって泌尿器科と肛門科はあまりにもハードルが高かった
そしてネットの膨大な情報の中から自分はひとつの可能性を見つけた
スキンタグは自然に治ることは無く、病院での手術で切除する、らしい
手術、切除
こわい。そんなことしていいの?ゆるされるの?
あまりのことにボラギノールのサイトに戻り、またセルフチェックをする
どうやら痛みがないことが普通とは違うらしいことを確認して、一旦冷静になるために風呂に入り清潔に洗った手で、ケツの出来物に触った
う〜ん、いた、い?かも?しれ?ない??
セルフチェックの痛みがあるの設問にYESと答えるとボラギノールの軟膏をオススメされた
直ぐにポチッた
そして無駄かもしれないと思いながらも毎日塗り続けた、用法用量はちゃんと守った。
祈るような日々だった。
日に日に小さくなっていく奴に、自分は安堵していた。
やはり痔!痔だったんだ!と。
しかし心のどこかでまだ疑ってもいる
奴は一体なんだったのか
36歳独身男。163cm/50kgの貧弱もやしなんだが、食費が家計を圧迫していてつらい。
政府統計によると30代半ばの独身(一人暮らし)男性の食費は4万円前後/月らしいんだが、
たいした給料もらってないのにその倍近くかかっている。
これだけ見ればどんな高級外食を繰り返してるんだと思われるかもしれないが、お高いレストランなんてまったく行かない。チェーン店ばかりだ。
たとえばパスタは乾麺400~500gを茹でて一食で食べてしまうし、
一人暮らしなのに米10kgが1ヶ月もたない。
回転寿司に行けば20皿~、マックに行けばバーガー4~6個は食べてしまう。
このせいでちょっと外食すると2~3000円はかかってしまう。
よくあるアドバイスで「腹八分目にしろ」ってのがあるが、これでも満腹より手前で止めてるんだ。
かといってフードファイターみたいな路線に振り切れるほどじゃない。
4kg5kgを一回に食べるのはさすがに無理だ。
代謝が良すぎるのか吸収効率が著しく悪いのか(ぜんぜん太らないので)、
ただただ「普通の人よりもめっちゃ食べないと足りない」人間なのだ。
食にまったく興味がないわけじゃないが、別にグルメってわけでもないし、
(いまのところ乾麺パスタくらいしか思いつかないが流石に飽きてきた…)
「これさえ食べれば大丈夫」って忍者の丸薬みたいなものがほしい……。
(追記)思ったよりいっぱいトラバやブコメもらっててありがたい。目についたものに返答します。
・嘘では?
嘘じゃないよ…
う~ん、小学生の頃から「余ってるぶん食べていいよ」って言われて残ったおかずおかわりで全部食べたりしてたな
・一日の食事は?
自炊パターンでざっくり一例だと、朝:野菜ジュースと菓子パンとマルチビタミンサプリ、昼:チキン南蛮弁当2個とサラダ、夜:牛乳とご飯3合にレトルトカレー2袋(カレーを節約しながら食べる)みたいな
・一般的な量にしたらどうなるの?
「足りね~」ってめちゃめちゃお腹へる。今のところダイエットも必要ないと思って長期的にやったことはない
・下痢がちでは?
毎日ウンコはモリモリ出る(下痢だったりユルかったりはしない)
・糖尿病では?
精密検査は受けてないけど会社で受けてる健康診断では尿で引っかかったことない
・胃下垂では?
俺はこれなのかなってなんとなく思ってる。村上春樹の本に胃下垂でめっちゃ食べる女の子出てきたよね
・寝てる?
・高血圧?
血圧は低め(75・95くらい)
・病気では?
去年の暮れに、両親が離婚した。
薄々そうなる気はしていた。二人の間には会話もなかったし、一緒に何かをするという事が絶えて久しかった。
だけど、今か、と思った。
その年に始めた仕事が軌道に乗り、うつ病の治療も安定し、ここ最近では一番、元気だった。
その日は、月に一度の実家に帰る日だった。誰もいない実家の、自分の部屋に入って、デスクの上に、それはあった。
「お母さんとお父さんは、離婚しました。お母さんには、支えたい人が別にいるからです」
口で言えよこの野郎、と思った。言葉の代わりに、涙が溢れだした。
脳みそがパニックを起こしている気がした。書いてある文字がちっとも理解できなくて、頭に入ってこなくて、全部水滴になって落ちていった。
●
母のことは、よくわからないなりに、大好きだったと思う。
小さい頃からちょっとそりが合わなくて、よく反抗した。よく怒られた。よく泣かせた。
同族嫌悪、と言えばいいのだろうか。近すぎるから、同じだから、気持ち悪くて、心地よかった。
わたしはどちらかというと感性は父に似ており、本を読んだりゲームをしたり、小説を書くのが好きだった。
母は、街を歩くのが好きだった。手芸をするのが好きだった。お菓子作りが好きだった。
どれもこれも、子育てのために我慢していたから、私は彼女のことを「無趣味のひと」だと思っていた。ずっと。
そんな母が、ふらりと一人で出かけるようになったのはいつのことだったろうか。
増えた白髪を茶色に染め、ほうれい線に化粧を乗せ、元気に家を飛び出す背中を見送るようになって、どれくらいが過ぎただろうか。
そんな母と化粧の話をするのは楽しかった。服の話をするのは嬉しかった。やっとすきなものの話ができる。これからたくさんしていける。ずっとずっと、そう信じていたのに。
母は、家を出ていった。
●
飲む薬が一気に増えたし、涙が止まらないせいで仕事にも行けなくなったけど、元気だった。
わたしには、父が、弟が、パートナーがいる。結婚だってしたいし、子供だってほしい。来年のウルトラマンが楽しみでたまらなくて、予定はヒーローショーで一杯だった。
二月に入って、調子が悪くなってきた。
微熱が下がらない。検査をしても異常なし。横になる時間が増える。
頭がぼーっとして動かない。薬を変えたからだろうか。本が読めなくなる。
胃が鈍く痛い。食欲もない。下痢の日が続く。水は飲まなきゃ。
イライラする。他人といるのが苦痛。相槌さえうてない。パートナーに申し訳ないな。
最後に小説書いたのはいつだろう。母はあの手紙で私に「書け」と言った。だから書き続けないといけないのに。あれは遺言だ。遺言は守らなきゃ。守らなきゃ。
吐きそう。
三月になって、実家に泊まることになった。二月はしんどくてそんな余裕がなかったから、年始ぶりに父に会うのは楽しみだった。
父は飲み会ということで、一人で夕飯をなんとかしないといけなかった。誰もいない家に人でいるのも何だか寂しくて、せっかくだしマックでも食べようかな。そう思って私は、近所を散歩することにした。
やめときゃ、よかったのに。
店を見た瞬間、涙が出てきた。
そうだ。ここは、母とよく行ったスーパーで、母によくナゲットを買ってもらったマックだ。
わたしは立ちすくむ。両腕で自分を抱きしめる。気を抜くと口から何かが飛び出しそうで、自然と口呼吸になった。
親子連れがわたしの横を通っていった。母と娘だった。わたしは目が離せなかった。
釣られるように、わたしも店に入る。座席に座って、ネットオーダーをする。
涙が止まらない。子供の甲高い声が頭に突き刺さって、気分が悪かった。
ハンバーガーの味は分からなかった。胃からせりあがってくる何かに蓋をするみたいに食べた。泣きながら食べた。
そして、逃げるみたいに実家に戻った。
新居に戻れば、よかったのに。
わたしはベッドに倒れこんで、おかあさん、おかあさんと泣いた。
もうおかあさんと化粧品を買いに行くこともないんだろうな。
もうおかあさんと並んで料理をすることもないんだろうな。
もうおかあさんとテレビを見て笑い合うこともないんだろうな。
もうおかあさんに、抱きしめてもらうこともないんだろうな。
だけど、これから帰ってくる父にも、遠方に住む弟にも、仕事中のパートナーにも、誰にも、メッセージを送ることはできなかった。
ひとりで、眠りに落ちるまで、泣いた。
●
翌朝、腫れぼったいまぶたをこすりながら、父におはようと言った。父はわたしを見て何も言わなかった。だからわたしも、何も言えなかった。
あいかわらず体調は最悪で、熱っぽかったし、腹痛もあった。頭の中は真っ白で、身体がふわふわとしていた。吐き気だけが鮮明だった。