今だと機械学習のためのアノテーションみたいな人間の脳の機能をひたすらデータ化する単純作業(脳がついてて知的障害でなければほぼ誰でもできる)とかもあるけど、そういうのもどんどん減っていくだろうな。老人に限らず頭悪い人でもやれる仕事はどんどん減っていくだろうし、BIしかないんじゃ無いかなって思う。
白黒論争は統計的差別案件だと思うね。例えば同じ女が顔を白っぽく塗ったときと黒っぽく塗ったときでどちらが面接に通りやすいかみたいな。あるいは白人と黒人でどちらが警官に職質されやすいかみたいな。
周りの親もみてたけど、都内出身の方が中学受験が当たり前って感じで、受験させてた感じはあるよ。
中学受験経験者はその方がいいって実感持ってわかってるから、ほぼほぼ中学受験させてんじゃない?
海も山もあるからか知らないけど開放的と閉鎖的がちょうどよくバランスがいい。
確かに企業のマーケティングも静岡で行うって聞いたことがあるが、
平均的な日本人の良さがある県だと思う。
野球の上手さとか絵の上手さとかは生まれつきでかなり決まってることに異論を挟まないのに勉強だけは違うと思ってるのは支離滅裂な思考なんだよな。
たまたま生まれつき勉強がすげーできるから凡人の1年分の努力は1週間くらいで達成できて、余った時間を他の活動で全人格的に成長することに費やすことができるんだよ。
「数学が理解できるなら合理的な思考ができるというのは誤り」という思考自体がテンプレすぎてそういうとこだぞって感じ。
数学を理解するというのは、世の中を全て数学的に定式化して扱う(数学を全く分かってない人の言う「公式にあてはめる」というやつ)ということではない。数学的に扱える範囲とそうでない領域の境界を捉えられるということだと思うぞ。
例えばみずほ銀行の20万人月プロジェクトを無理矢理推進することが本当に合理的だったのか。どう考えたって一旦仕切り直して最初からやり直した方が良かったわけだけど、政治やサンクコストを優先してその決断をできない人たちが大多数だったのだろう。参加者全員が一定以上の思考力を持っていたなら、どう考えてもこのまま進めるのは自分にとって得にならないと少なくとも全員が理解できていただろう。その結果どういう意思決定になるかは分からないけど、今の現実とは異なるシナリオがあり得ただろう。
「今の若い人って…」そんなことを言い出したら「この老害はまた説教を始めるのか?」とか思われそうだけど、ちょっと違う。
今の若い人って昭和の時代と比較するとよほどストレスが多いのだろうと思う。
昔は良くも悪くも発散する機会は多かった。夜の校舎窓ガラス壊して回るようなことが身近にあったしね。
その分、割を食う人もいたわけだけど、それぞれである程度のバランスは保ってたように思える。
しかし今はどうだろう?
何かすればすぐ晒されて不特定多数に誹謗中傷や嫌がらせを受けるから、法的にあるいはモラルに反する大胆なストレス発散はリスクが大きすぎてできない。
これは表面だけ見れば健全な社会への進化途上ともとれるが、一方で個々人の内面は強く抑圧された不健全なものになりつつあるのではないか?
一応断っておくが、ちょっと道を踏み外して違法行為やモラルに反した言動でストレスを解放すればいいじゃんってことではない。
それらが封じられた若者に別の何かが必要な時代になっていると言いたい。
もちろん、若者といっても千差万別十人十色なので、自分で何かしら趣味を見つけたり友人と遊んだりして抑圧を無視できる人もいるだろう。
だけど昔からしたら全体的にストレスの材料は増えてるとしか思えないから、それをどこかで発散させてやりたいよな。
まあ、ストレス増大は若者に限った話ではないんだけどね。社会の発展と同時に様々な仕組みやそれに伴う感情も複雑化してるからどうしたってストレスは増える。