三浦瑠麗は元々嫌いだったので最初はそうでも無かったんだが、段々引いてる自分が居る
新しく問題発言でもしたのかと思ったらそういう訳では無く昔の発言が問題と言うのも引っ掛かっているが、それはいい
問題は、次に似たような事が起きた時にどう思うかだ
ある人物がCMに起用されて、それに対し不買運動によって降板やCMの削除に追い込む、という行為が正当化されるのはどういう場合だろうか?
まず、気に入らない人物がCMに起用されている時に個人的に不買を行う事は完全に自由だと思う、当然だ
ただ、周囲やネットに呼び掛けて集団的に不買を運動として行う事は、どうなのか?という疑問が有る
それも完全に自由な気もする。周囲に呼び掛けても同意する人だけ不買する訳だから、特に問題は無いのではないか
ただ、例えばフェミニストとして有名な人がCMに起用されて、同じような運動が起こった場合を具体的に想像してみると、感情的にはそれに対する反発がある
または、政権批判を行う人でもいい
そう言う人が同じような目に遭った時に、自分は肯定できるか、そう考えてみると心の中にモヤモヤがある
けれどもすぐに「一緒にする・しないは本質的な問題ではない」という考えが来る。問題は「どのような条件なら不買運動を正当化できるか」だ
一緒では無くても条件に該当するなら、同じように正当化はされてしまう
なら三浦瑠麗とその他を区別出来る様な条件を考えればいい、「レイシスト」という条件は格好だろう
ただ、そこでまたモヤモヤがある、何故私は「条件はレイシストである」と決められるのだろうか?
今私は自分に都合の良い結論(「三浦瑠麗のみ不買運動は正当化される」)に導く為に、逆算して条件を決定している
そう言う権限が誰にでも有るなら、私以外の人間は別の条件を設定し、それによって例えばフェミニストや政権批判者への不買運動を正当化する事も出来てしまう
そもそも、そういう条件決めは論点先取であり、単純に自分に甘いだけではないのか?
何も期待してない本当の独り言なら残すけどウケを狙ったのに全く反応がなかった奴は恥ずかしくなって削除してる
ただのガイジですやん
しわがれた声のお婆ちゃん、陽気な黒人、本人がいってるのか不明な「〜だぜ☆」とか「イェーイ」みたいなノリノリ
あれって、本人に確認してあててるのかね
っていうか老若男女問わず、頼りにされる。
「ちょっと難しいコーディングなのでレビューお願いします」とか「設計書を書いたので意見を聞かせてください」とか「休憩しながらでいいのでオンライン会議に出てほしい」とか。
チャットの着信が鳴りっぱなしだよ。
中身は以前と何も変わらないのに。よほど実物が臭いんだろうな。
屋根はあったので厳密に炎天下ではないが、屋外のステージイベントがあった。
大人のファンも多いが、どっちかというと子供というかファミリー向けの内容で、小さい子連れも多かった。
ステージ前の座席に入るには朝から整理券を配布され、開演1時間前に番号順に並ばされるシステムだったが、問題はその場所と待ち時間。
会場近くの日陰もない炎天下。そして開演ギリギリまで入場できず、動けない。
時は流れてその2年後、同じ主催の、似たようなイベントが、今度は屋内のホールで行われた。
ホールの手前にわずかなロビーがあり、その手前でチケット確認して入場というシステムだった。
入場した人が座席に向かえば、余裕で収用できるのだが、やはり開演ギリギリまでホールに入れてもらえない。
段々とロビーが密になっていく。追い討ちをかけるように開演時刻遅延のアナウンス。
座る場所もなく、狭いロビーに人がごった返す。またも子供も多いのになんて仕打ちだ、と思った。
この2回、私は地方からそのイベントのために遠征してたのだが、待ち時間や密をなんとも思わない主催側の感覚に納得できず、もう二度とこのイベントのために遠征はしないと決めた。
それにしても、私と同じようにあの空間で待たされた人々は平気だったのだろうか?
東京では、娯楽を享受するためには待つことも密も致し方ないという感覚が普通だったのだろうか?
それともあのイベントは、感覚が麻痺した人が多数派なのだろうか?
「婦人科始めてですかーついでに卵巣も簡易的に見ちゃいましょー処女ですかーあ、そうなんですねーじゃあ肛門にしましょー」って、肛門に棍棒みたいなもの突っ込まれて卵巣の写真撮ってもらった。
綺麗に映ってた。