図書館ではライトノベルはヤングアダルトとしてその辺りと一緒に扱われてるけど、本屋でライトノベルとヤングアダルトを一緒に陳列してるところとかまずないから。
広義のラノベとして扱われるメディアワークス文庫とかのキャラ文芸なら角川文庫とかに近い棚に置かれることはあるけど、狭義のラノベと一緒に置かれることはまずないから。
コロナウイルスでまんま思い込みに基づくデマ垂れ流してるの本当頭悪すぎてイライラしてくる
多分、頭良い人と話す機会すらなくて、自分の頭の中だけで自分はインテリと同じような立場でものを語れると思い込んでるんだろうな
マジでどうかしてる
俺わりと見た目で何カップか正確に当てれるけど
じゃあ「もはや体の一部と言っていいほど履いていて気持ち良いパンプス」出してみろよってんだ。
勿論「フォーマルのマナーを遵守出来る」やつでな。つまりプレーンで余計なストラップとか無しでヒールもあるやつでな。
存在しねーけどな。
いくら金積んだって、根本的に足に負担をかける形だからなあれは。
男は金積めばそれが手に入るんだからいいよな!
あー男が羨ましい妬ましい。
詳しくは割愛するが、日々の努力の甲斐あってこの1年でCカップ→Fカップまでサイズアップした。
いやいやいや!誰より自分のおっぱいのサイズを知ってるのは、わたしだし!?!
ドセクハラを愛想笑いで流しながら、心の中で何度そう叫んだことか。
そんなモヤモヤも忘れかけていた今日、ダラダラと仕事を続けた徹夜明けの朝、
―そうか、男どもは本当のCカップを知らないのだ―と。
繰り返すがこの1年間、バストアップのことばかり考えていたわたしは、
日々、グラビアアイドルの美しい乳を眺めてモチベーションにしたり、
おっぱいに関するネット記事や掲示板を読み漁ることを日常的にしてきた。
グラドルの乳は、当然ながらため息が出るほど美しい。
ようやく大きくなってきたのに、どうしてー!?(泣)
「乳盛り職人」と呼ばれる方々の見えない努力があることを知った。
ヌーブラやガムテープ、パッドなどを駆使し、美しく撮影できるように、
とにかくグラドルの乳を盛って盛って盛りまくる。
だから、グラビアで見ている乳は、実際のサイズとは到底異なるそうだ。
さて、活躍中の多くのグラビアアイドルは、大体がEカップ以上。
中途半端なCカップのグラドルというと、ほぼ存在しないに等しい。
グラビアでつくられた幻想のEカップを、本物のEカップと思い込む。
「彼女にするなら、こんなEカップが良いなんて贅沢は言わない。
実際のCカップを見たことがない癖に、頭の中で勝手にCカップをイメージし、
なんとも捻くれた事実。
これが、バストサイズに関する男女間の価値観相違のねじれの正体だ。
「実は日本人の平均サイズであるCカップが、最も理想とされているんです!」
わたしは改めて聞きたい。
寝る前の時間は部屋を明るくしないほうがよいとのことなので、せいぜい明るめの暖色小玉電球的な照明しかつけてないのだが、これだと本が読めない
好きな人がいる。彼女と僕には旺盛な肉体関係があり、たまに気まぐれに恋人ごっこのようなこともする。僕は彼女を愛しているけど、彼女は僕のことは好きだけど愛していない。僕はいつもそのことで悩んでいるけれど、彼女は時々そのことでひどく落ち込んで口も聞かなくなる。そんな時僕にできることは彼女の機嫌が治るのを待つことだけだ。ただじっと嵐が過ぎ去るのを待つのではない。宥め、励まし、謝り、自らをすり減らさなくてはその嵐は去っては行かない。
時々どうしてこんなことをしているのだろうと思う。彼女はあまりに人間として不完全だし、その生き方はいっそ浅ましいとすら僕の目には映る。そんな彼女のために自分自身をすり減らす意味がどこにあるのだろうと、僕の中の冷静な自分が語りかけてくるのだ。
だがこの理性の存在はいつも無意味だ。僕は彼女を愛しているから少しでも彼女の傍に居られるようにする以外の選択肢は取れない。自動的なのた。どんなに自分が傷ついても辞めることはできない。そこには理性も理屈も道徳も入る余地がない。
僕は今少しずつ死のうとしている。
東京オリンピックの招致にアンダーコントロールという嘘をついて大成功してしまった。
この成功体験が嘘をついても喜んでくれる人がいればいい、となり、さらには嘘をついてもいいと本人の頭の中でだけなってしまった。
こうして嘘をつく人が出来上がった。
例えば誰かが法に触れようが、
モラルのない行動をしようが、
カジノを新しく作ろうが、
胸の大きいポスターを掲げようが、
楽器ケースに忍びこもうが、
それはあなたには何一つ関係ないよね。取引どころか会話すらしたことないよね。
そのくせ近所の人に挨拶一つすらしないよね。
妻との間にはこれまで4回子供ができましたけど