2020-02-18

人の醜さ

好きな人がいる。彼女と僕には旺盛な肉体関係があり、たまに気まぐれに恋人ごっこのようなこともする。僕は彼女を愛しているけど、彼女は僕のことは好きだけど愛していない。僕はいつもそのことで悩んでいるけれど、彼女は時々そのことでひどく落ち込んで口も聞かなくなる。そんな時僕にできること彼女の機嫌が治るのを待つことだけだ。ただじっと嵐が過ぎ去るのを待つのではない。宥め、励まし、謝り、自らをすり減らさなくてはその嵐は去っては行かない。

時々どうしてこんなことをしているのだろうと思う。彼女はあまり人間として不完全だし、その生き方はいっそ浅ましいとすら僕の目には映る。そんな彼女のために自分自身をすり減らす意味がどこにあるのだろうと、僕の中の冷静な自分が語りかけてくるのだ。

だがこの理性の存在はいつも無意味だ。僕は彼女を愛しているから少しでも彼女の傍に居られるようにする以外の選択肢は取れない。自動的なのた。どんなに自分が傷ついても辞めることはできない。そこには理性も理屈道徳も入る余地がない。

僕は今少しずつ死のうとしている。

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