6年生の卒業式のための横断幕を作らなきゃいけなくて、先生はいなくて生徒しかいなくて、誰もなにもしないし、適当に何か決めてよって言われたから、腹立って風神雷神の絵をそこに描いた
あとから先生がこれは卒業式の横断幕じゃないだろって言って色紙で花を作ったりして貼ったりしてなんか桜とかツクシとか出来てた
「妄想世界」と「現実世界」を天秤にかけたとき「妄想世界」を選ぶ
のがオタクであった。
言い換えるなら
という条件でこれを定義することができる。
※現代で言うなら「公式が解釈違い」などと言い出すのが本来のオタクだ。
「オタクと誤解される人」
が現れ始めた。
仮にオタクモドキとしよう。
オタクの見た目というのは「現実世界への関心が希薄」という要素が表出したものであって本質的なものではない。
逆に見た目は家庭の経済事情などにも影響されるためオタク的見た目を持つものが必ずしもオタクではない。
だろう。
(その他、服装や化粧、友好関係(友達がいない、人の名前を覚えることができない、など)にもこの法則は当てはまる)
オタクモドキは
「オタクとみなされる」のはノーサンキューだが「オタクに恨まれる」のも怖かった。
当時、オタクは犯罪者予備軍と見做されており「怒らせれば何をするかわからない」という共通認識があった。
そこで
とオタクを持ち上げつつ自己がオタクであることは否定する戦略を取った。
こうした活動の成果として「オタク=ステータス」と見なす層が現れ始めた。
それが後のニワカオタクやイキリオタクに繋がるが、そこから先の歴史は現代人には敢えて言うまでもないだろう。
「オタクにさえなればアイデンティティが得られる」と誤解し暴走したオタクがネットや現実をお騒がせする。
(本来のオタクは良くも悪くも「現実世界への関心が希薄」であったがゆえに能動的に現実世界へ介入しようとはしなかった)
こうしてオタク文化は緩やかに自滅の道を辿っていくのは自明であるとして過言ではない。
こうした時系列を踏まえて上で言おう。
(さらに言えばクリエイターにもオタクではない人々が含まれる)
そうした線をふまえず理想と現実の相克を目指す人々(プロフェッショナル)をカジュアルに「オタク的」だなどと評価することは侮辱的ですらある。
今時ジャンプでヒットさせるなら女読者にウケないとだめだろうけど
しのぶは女性ウケ、みつりは男性ウケ狙い、ってあからさまなんだよな
「主人公とヒロインを恋仲にしてしまうと女読者に嫌がられるけど
妹なら『主人公が必死で守ろうとするけど絶対に恋人にはならない』設定に出来るから」
「戦闘能力ゼロの足手まといヒロインは今時ウザがられるから」って計算だろうし
逆に善逸は男だからこそあのヘタレ性格でも許されてる感じがする
あれ女だったら女読者から袋叩きだろ
「女はモラハラ強者男性の味方をし、優しくて無害な弱者男性ばかり攻撃する、よって女はクソ」というのがインセルの主張だったと思うけど
「なんしよーん?」じゃないの?
オタクの負け豚の遠吠えが心地よい
何をどう取り繕おうが今後日赤のアニメ漫画コラボはポスター出せずにキョドりながら我々の顔色伺いながらやることに変わりはないし
どれだけ言葉を重ねてもポスター引っ込めたままってのが最大の戦果なんだよ
次に備えて景品にも手が届いたしな
ファイアーエムブレムとかのシミュレーションゲームってメモリ2KBで実際どうやって実現してんの?
大抵は単語レベルでは標準語なので、結局どこの訛りなのかがわからない
こういうのはままある
芸能人とか声優とか、ふと出たちょっと不思議なイントネーション
「これどこの訛りだ?」と思ったら気になって気になってしょうがない
イントネーションの話は出てこない
例えイントネーションが出てきても、爺婆のきつい訛りの話であることが多く
ほしいのは「この地域の人達が標準語で喋ろうとしたらどういうイントネーションになるか」なんだ
暇があったら辞典作りたいなー
そういうのも作りたい
親が毒親だったら?