「妄想世界」と「現実世界」を天秤にかけたとき「妄想世界」を選ぶ
のがオタクであった。
言い換えるなら
という条件でこれを定義することができる。
※現代で言うなら「公式が解釈違い」などと言い出すのが本来のオタクだ。
「オタクと誤解される人」
が現れ始めた。
仮にオタクモドキとしよう。
オタクの見た目というのは「現実世界への関心が希薄」という要素が表出したものであって本質的なものではない。
逆に見た目は家庭の経済事情などにも影響されるためオタク的見た目を持つものが必ずしもオタクではない。
だろう。
(その他、服装や化粧、友好関係(友達がいない、人の名前を覚えることができない、など)にもこの法則は当てはまる)
オタクモドキは
「オタクとみなされる」のはノーサンキューだが「オタクに恨まれる」のも怖かった。
当時、オタクは犯罪者予備軍と見做されており「怒らせれば何をするかわからない」という共通認識があった。
そこで
とオタクを持ち上げつつ自己がオタクであることは否定する戦略を取った。
こうした活動の成果として「オタク=ステータス」と見なす層が現れ始めた。
それが後のニワカオタクやイキリオタクに繋がるが、そこから先の歴史は現代人には敢えて言うまでもないだろう。
「オタクにさえなればアイデンティティが得られる」と誤解し暴走したオタクがネットや現実をお騒がせする。
(本来のオタクは良くも悪くも「現実世界への関心が希薄」であったがゆえに能動的に現実世界へ介入しようとはしなかった)
こうしてオタク文化は緩やかに自滅の道を辿っていくのは自明であるとして過言ではない。
こうした時系列を踏まえて上で言おう。
(さらに言えばクリエイターにもオタクではない人々が含まれる)
そうした線をふまえず理想と現実の相克を目指す人々(プロフェッショナル)をカジュアルに「オタク的」だなどと評価することは侮辱的ですらある。
はい、もうここで誤謬。 「妄想世界」と「現実世界」を天秤にかけたとき「妄想世界」を選ぶ のがオタクであった。 言い換えるなら 「妄想世界への関心が強い」かつ「現実世界へ...