腿とか踏んでもらったら痩せるかなー。
先々週末のこと。
新宿で用事があったので、近くで働く友人を晩飯と飲みに誘った。
いつもいっしょに行くビアバーがあったので、そこへ行こうと。
私は終業が遅く新宿に着くのが20時くらいになると時間は約束していた。
電気屋で買いたいものがあるし、見たいものがあると知らせていた。
まぁ、ヨドバシなんで閉店遅いしいっしょにぷらぷらしてたら1時間かかるくらいかなーって思ってた。
友人は終業が早く18時には新宿にいた。
それは知ってたから、遅くなってすまないと言う旨lineして、約束の時間通りには行くよと伝えた。
「いいよー、先に飲んでるから」
との返事。
この辺りでいっかい「?」となった。
買い物はいっしょに行ってくれないんだなー。まぁ、子供じゃないんだし、人の買い物に興味ない方が多いよね。と思い直した。
私が予定通りなんとか職場を離脱して向かう途中、写真付きで3杯目というメッセージが来た。
本当なら、このままビアバーに直行することを望まれてるのだろうなーと思いつつ、私はどうしても買わなければならないものを大急ぎで購入した。
店に着いた時には、友人はすでにお腹いっぱいでもう食べられないと言いつつも、半年ぶりの再会を喜んでくれた。
この時点で既に2時間居座っている。
仕切り直しということで一旦支払いをして、飲み直すことにしたのだが、友人は出来上がって酔っ払いの上機嫌。
私としては、いっしょに店に入って同じペースで飲みながら話をしたかったのだが、それは無理と諦めた。
待ち客もできている店で、既に2時間も居座っている友人とともにさらに長居するのも気が引けて、駆け足で2杯ほど飲んだところで「店を変えよう」と提案。
表に出たら小雨が降っている&結構飲んだのでしんどいと言って、友人は帰って言った。
しょうがないので、一人でたまに行くバーに行って、馴染みの人やバーテンさんと話しながら、カクテルをインスタにアップしたら「自分も行けば良かった!」とメッセージが来た。
書き出してみると、自分の器が小さいのが丸わかりなんだけど。
どこでどんなふうに言えば良かったのか、なんとなくうまく怒るタイミングが見つからずに、もやもやしている。
追記
ムキになってすまん。
誘う時には「自分は20時くらいに新宿に着く、ヨドバシで買い物がしたい」旨伝えてた。それでもよければと誘った。
それを不満に思われてたんなら、とっとと先に帰っているタイプだと思う。
自分以外にもこんな感じの人いるんだな。つられて、つい自分語りをしたくなったよ。
自分はこの元増田より2−3年下だが、うちも両親中卒だ。おかげで高校入るくらいまで大学というものがどういうものかさえよくわかっていなかった。それどころか勉強を親に教わった記憶がない。
なにしろ小学校の高学年の頃には、勉強に関してははっきりと自分の知識も能力も母親より上だと認識していた。親から勉強を教えてもらった記憶など、小学校以降ない。父親は父親で勉強のじゃまばかりしてくる。なにしろ家で勉強をしていると酔っ払った父親に家で勉強なんかするな目障りだと怒られる。
おかげで高校まではテスト前にちょっと復習するくらい(親が帰ってきたら止める)で、のびのびと過ごさせてもらった。
たまたま中学の成績が良かったので、ろくに勉強もせずともぎりぎり大学進学できる程度の高校に入れたのが僥倖だった。その高校が公立で家から自転車で通える範囲だったのも幸運だった。貧乏な家だったので電車通学が必要だったり私立だったりしたら止められていただろう。
その高校に入って2年目くらいでようやく気がついた。このままじゃ面白そうな職、面白そうな仕事にはつけないぞと。世の中にある面白そうな仕事ー弁護士、大企業のエンジニア、作家、官僚、パイロット、建築家ーそういった物の多くは大学を出ていないとスタートラインにもたてないらしい。はずかしながら高校生の半ばまでそんなことさえ知らなかった。
そこから必死になって勉強した。勉強してないのは飯食ってる時間、眠っている時間、部活の時間くらい。それ以外は全部勉強にあてた。3年になって部活が終わってからは飯、勉強、飯、勉強、飯、勉強、寝る、の毎日。おかげで高3のころには県でも上位の成績を取れるようになっていた。
だが、それが父親には余計気に食わなかったらしい。親戚の話によると中学の頃まで父親の成績はけっこう良かったのだが、その父親(私の祖父)がアル中でろくに働かないせいで進学を諦め、中学をでるとすぐ働き出して弟妹達を高校まで行かせたそうだ。泣ける話だ。だがそのルサンチマンであたりちらされる子供にとってはとんでもない災難だ。
家で勉強しているのを見つかると怒鳴られる、酒をかけられる。夜中に泣いて家を飛び出したことも何度もある。毎日家に帰りたくないと思っていた。何ヶ月も父親と口を聞かないこともあった。そのうち不憫に思ったのか叔父や叔母が仲介に入ってくれて、物理的な嫌がらせは止まったが、それでも家で顔を合わせると「誰の金で食わせてもらっていると思っていやがる」などの嫌がらせの言葉が飛んでくる。3年の夏休み頃、一時的に成績が落ちたのを挽回しようと家で勉強していたら家業の手伝いをさせられた。たのむから勉強させてくれというと「お前が勉強するための金はどこから出ていると思っているんだ?」という答え。その後なるべく家では顔を合わせずにすむようにしつつ勉強を続け、成績ももどり、どうにか東大に入った。(嘘だろうって?そう思うんなら勝手にそう思ってろ。しょせん増田だ。)
高校最後の一年くらいはこの家から早く出たいという気持ちが、将来ひとかどの人間になりたいと思いと同じくらい強くなっていた。家を出ることができて心の底からほっとした。東大に入ったことよりもそちらのほうが嬉しいくらいだった。その後大学院まで進学し、外資系に就職し、今は海外からこの増田を読んでいる。
元益田と同じように両親をうらんでいるか?ときかれれば、恨んではいるが仕方がなかったことも理解していると応えるしかない。それは当時から同じだ。自分の学歴コンプレックスから優秀な子供の邪魔をし芽を摘む一歩手前まで行ったことは今でもゆるせないが、同時に、自分より劣る弟妹を高校に進学させるために中学を出て働き出したというエピソードには一人の人間として畏敬の念を抱かざるを得ない。
高校の時以降、親を頼ろうと思ったことなど一切ない。その点ではまったく恨んでなどいない。ただ、恵まれた同級生たちをみて、自分の親が彼らの親のようだったら、自分ももっと素直に育っていたのだろうか、同じように青春や人生の幸せを感じ取れたのだろうかとつい詮なきことを思い浮かべ悲しくなるくらいだ。高校をでてからはろくに実家にも帰らなかったが、初孫にあたる息子を連れて行った時は、本当に喜んでいた。その姿をみて毒気が抜かれた。自分が生まれた時もこんなふうに喜んでいたのだろうかなどとさえ思った。
その父親はその後病気になり後遺症で口さえ聞けなくなった。たまに一時帰国時に入院先に見舞いにいっても、言葉にならない声を出すばかり。ただ目には喜びがうかんでいる。子供の時には仲の良い親子だった。その頃の気分になっているのだろうか。それとも俺のことなど無視して孫達に会えたことが嬉しいのか。話が聞けないので、それはわからない。
皮あげるね😊
気付いたらもう秋アニメもあと数回って時期になってるけどそういやまだひとつもみれてない。
決してオタやめたとか言うわけじゃない、ごちうさだって何回かみにいったし(何回も、とは言えない程度でしかないが)ガルパンはまだ行けてないけど早くいきたい。
仕事が忙しいと言うわけでもない。
学校が忙しいと言うわけでもない。
なんだろう、精神的な疲労?
………………
…………
……
そういや最近アケゲーよくやるようになったな……
アクリルの分厚い毛布。
ボロがでるからやめてあげようぜ
俺もだいたい同じような境遇だけど普通に親を憎んでいる。ただ憎みつつも親は選べないので諦めている。
勉強の仕方については先生を頼ればよいと思うのでそこは親のせいにしなくてもいいと思う。ただ予備校に行くことが出来なかったりは明らかにアドバンテージの差があるのはこの世の不条理のひとつではあるとしみじみ思うときはある。
個人的にそうだったらよかったなって思うのが親が家で本を読む文化の中で育ちたかったこと。親はテレビ見るのとゲームをするのしかしていなかったから大人が家で勉強したり本を読んだりすることを知ったときに驚愕した。
自分もたまたま勉強しないでも頭がいいタイプだったから国立にいけて有名なメーカーにいけたけど、そのポテンシャルがなかったら今のような生活は遅れてなかった。最終的にどっちの方が幸せなのかはわからないですけどね。
ムーミンボウルが欲しいとか色々あるかも。
いくら何でも早すぎるだろ
本気にするなよ
「片」と「け」で区切ってKKというのは相当苦しいと思う