http://anond.hatelabo.jp/20160226001849
『鍵の掛かったTwitterのアカウントをどうやって、会社の人間が盗み見ることができたのか』
そんなことは不可能だと思ったから、精神病の方をみんな疑ったのだ
https://huffduffer.com/foxrugby/304003
https://huffduffer.com/foxrugby/304003
パンティーからビラビラはみ出るくらいビラってる子はオシッコびちゃびちゃ汚マンコさんなのよ(*^^*)パンティーもシミだらけ\(^o^)/
このビラビラをクパァしないとびちゃびちゃになる女って衛生面で包茎の男と似たような存在ってこと?これからビラクパァ女子って呼んでもいい?
ミニマリストや断捨離の実践家の人に対して「ようするに貧乏なだけでしょ(プ」って定型の反応があるけど、そもそもミニマリストのブームの先駆けになった米国では、リーマンショック以降にメンタル不調になったり、それで職を失ったエリート白人とかが「貧乏でも人生楽しめないわけじゃないじゃん?」みたいな(米国的な成金主義の)カウンターカルチャーとして始まったんじゃなかったっけ? そりゃミニマリズムにハマるのは貧乏人が多いだろうさ。そもそも、貧乏をいかに楽しむかって前提があるんだもの。
本場の米国でもミニマリストの意味は変質化していて、今では都市部在住の若いプチブルどもが「部屋を整理整頓(decluttering)してシンプルに高級家具だけでコーディネートする」みたいな意味として使われているけどさ。日本でも「ゆるりまい」氏を筆頭に、ミニマリズムを家具を少なく(しかし)高級家具に入れ替える運動か何かと履き違えてる向きはある。
「この人」の元増田です。
自分も興味あります。鬱病の状態でどうだったのか、その後どうやって仕事できる状態まで持っていったかとか、ぜひ聞かせていただきたいです。あともし良かったら仕事についても。
日本という国は「恥」の文化です。そういう文化がはぐくんだ「空気」が強い同調圧力を生んでいます。本音が言えない文化とも言えるでしょう。
『嫌われる勇気』という本がありますが、『本音で生きる』では、それをホリエモンが簡単に読み解いてくれたように感じました。
ウツの人にとって『嫌われる勇気』は、自分が責められているようで読むと症状が悪化しそうです。
しかし、この『本音で生きる』は、責められているように感じず、もっと自由に、本音で生きようよ、と勇気をもらえます。
補足するなら、
(1)今に生きること、過去や未来ではなく、現在に関心を持つこと。
(2)!ここ!に生きること、今、目の前に存在しているものだけを問題とし、 目の前に存在しないものは取り扱わないこと。
(4)不必要なことは考えないこと。むしろ、直接味わったり、見たりすること。
(5)他人を操作したり裁いたりせず、また言い訳したり自己を正当化したりせず、 自分の気持ちを率直に表現すること。
(6)楽しいことと同様、不愉快なことや苦痛に対しても身をゆだね、 それを経験すること。
(7)「.・・・すべきだ」 「・・・であるべきだ」という、自分以外の人から 発せられる命令を受け入れないこと。偶像礼拝をしてはならないこと。
(8)自分の行動、感情、思考については自分が全責任を負うこと。
(9)あるがままの自分を良しとし、それに徹すること。
それと認知の歪みをチェックすることで、ウツやウツ予防になると思います。
(1) 全か無か思考
(3)心のフィルター
(5)結論への飛躍
心の読みすぎ(読心術)
先読みの誤り
(7)感情的決め付け
(8)すべき思考
(9)レッテル貼り
以上に気を付けていると良いと思います。
幼少から楽器を習っていたこともあり、大人になった今でも仲間と楽器片手に演奏を楽しみ、ここ10年位はネットの発達で、演奏動画も楽しく拝見している今日このごろ。
しかしその演奏動画で、確かに技巧的にはメチャメチャ上手いんだけど、音作りが残念な人が何人もいて、ずっと気になっている。
問題となるのは、インストではなくボーカルの曲の「弾いてみた」動画で、主にギター、まれにピアノの演奏。
「お前のソロじゃねえ」
「お前は主役じゃねえ」
ということに尽きる。
ギターの場合、とにかく必要以上にジャカジャカパラリラ弾くことで、確かに技を見せつける目的は実現できているのだろう。
でもそれ以前に、お前のギターが歌の邪魔してんじゃん気づけよってか気にならないのかよ?どんだけ不見識なんだよって思うわけで。
その曲の主役は誰なんだ?そこでギターの立ち位置はどうなってる?音楽ってそういう感覚が大事なんじゃねーの?と言ってやりたくなる。
ピアノについてもギター同様、不必要に元気過ぎで、これまた歌聴こえねえという感じ。
そして個人的には、ネットだけでなくリアルで自分の楽器に伴奏を付けてもらった時にも同じ気持を味あわされていたり。
付けてもらった手前、強い事は言えなかったが、内心「この野郎よくもやってくれたな」という感じで、腸が煮えくり返る思いだった。
それに強い口調では言わなかったものの、合わせの練習の初回から控え目に注文はしていて、それでもしまいには「音量というか、そもそもの音質として弱い音が求められる所だし・・・」とまで言わされる羽目になり、そこまで言ってもなお本番まで一切メロディに遠慮のない音作りで、頼むからそういう気圧される音で弾くなよーという結果になって涙目である。
ちなみに自分がやっている楽器は、むしろ合奏ではメロディを取ることが殆どだけど、それだって歌が主役の時は、楽譜からして歌を盛り立てる合いの手として書かれているし、それを汲んで出るところ・後ろに回るところのメリハリとか、色々工夫するよ?それと比べてお前のそれは何なんだ?と。
何よりお前のギターもピアノも、自分の楽器のしょぼい演奏の数百倍は上手いのだから、そこだけ気をつければ感涙モノの名演奏になると思うんだけどなあ・・・みたいな感じ。
仮に犯罪者の心境と環境の因果関係を、何らかの技術で証明できるようになったとする。
そして、ある犯罪者の心を追うと、「高校でリア充がわいわい騒いでいるのを横目で見ていて、自分の境遇が悪いと感じたルサンチマン」が犯行の原因であると確定できたとする。
そのときそのリア充を罰するべきなのか。そのリア充は「悪い」のか。
一方、「クソみたいな親の元に育てられて心が歪んだ」ことが犯行の原因であると分かった犯罪者がいるとする。
そのときそのクソみたいな親を罰するべきなのか。そのクソみたいな親は「悪い」のか。
もし、一方が悪くて一方が悪くないとしたら、その違いはなんなのか。法的に基準を設けることはできるか。
よくわからない。