シャチは、音韻的に チャチ に通じるところがありますので、避けた方が良いでしょう。
チャチな人間、すなわち、心が狭く、出来の悪い安っぽい人間になりかねません。
すぐに子どもができた。
それは喜ばしいことなんだけど、名前をキラキラネームというか、
なんていうか、微妙ネームなんだけど「シャチ」にしたいと言っている。
「昔の人で、ウシとかいたでしょ?シャチだって変じゃないよ?」
とこうおっしゃる。
いくら弟が言っても止める気配がないので、増田で意見を募って、
姉に見せたいと思う。
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<追記>
たくさんのご意見ありがとうございます。
漢字の質問がありましたが、カタカナで「シャチ」が第一候補だそうです。
<追記2>
ただ、姉に言っても、
「そのいじめをはねのけるような、強い子にならなくてはいけない」
と言うのです。
このご報告です。
いくつかブコメやトラバを頂いて、「もしかして、あの注意書きでは伝わってなかったのでは!?」と思い至った。
というのも、給湯室の排水口は蓋-ゴムパッキン(?)-網カゴという構造になっている。
https://www.sekisuiheim-owner.jp/maintenance/summer/images/004/point01_pic01.jpg
(こんな感じの構造。これで言うと「バスケット」にネットを付けている。)
だから放置してもそうそう詰まることはないし(掃除は面倒だけど)、自分たちが使う時だけネットをする意味もないんだよな…と考えたところで、
あ、そうか、職場のカップ麺野郎もこの増田を読んでくれた人と同様、ここの排水口の構造を知らないのではないか、
排水口ネットを換えろと言われてもピンと来なくて放置しているのではないか、と気付いたわけです。
そこでもう少し丁寧に、
カップ麺の残り汁を捨てた後は
とメモを置いておいたところ効果があり、それ以降は一度も汚れたネットを交換する目には遭っていない。
「自分の知っていることは相手も知っているとは限らない」というよくある話でしたが気付けてよかった。ありがとうございました。
「アンロックという能力が、泥棒専門のスキルのようだと嘲笑されている」
「私の能力が、アンロックという泥棒専門のスキルのようだと嘲笑されている」
「泥棒専門のスキルのようだと日常的に嘲笑されている中で、私の能力であるアンロックを(行使した)」
「日常的に嘲笑されている中で、アンロックという泥棒専門のスキルのような能力を(行使した)」
みたいな感じじゃないの。
当然その可能性を真っ先に感じてそれとなく近づいたけどまず日本語話してる。
おそらく体の硬さでしょうね。
あぐらで座っても、正座で座っても、股関節が十分に柔らかければ、骨盤の傾きはほぼ同じなので
前傾姿勢になるのがキツくなることはありません。
正座ならお尻が高め、あぐらならお尻が低めになるだけです。
おそらく増田さんは、あくらをかくと、骨盤はやや後ろに倒れてしまうので、
その状態から、背中だけで前傾姿勢をとる羽目になり、きつく感じるのではないかと思います。
いやー、寒いっすよね。
カナダグースってとこのダウン。
これ腕に特徴的なエンブレムがついてるからよく目につくんだけどさ、
これをまちなかでやたらと目にする。
ローカル人も多いだろう円山クラスとか(ここはもともと小金持ちおおいか)発寒イオンとか、果ては貧乏な人が多そうな元町イオンにまで出没するのよ。
おれ、そんな高い服買えない!
この街では平均以上のお給料貰ってるつもりだったけど、いつの間にか置いて行かれたの?
カナダグースすげぇな。
左派リベラルとか思想信条を位置づけられるような立場じゃなくて単なる「アベ嫌い」じゃないの?
アベ批判したいけどじゃあ民主党支持してたアホか!と批判されたくないから
どっちも叩くことで自分は間違ってないといいたいだけ
それでも
・電車通勤の場合「遅延、事故、間引き、何があっても間に合うように早く家を出ろ」
・自動車通勤の場合「事故、渋滞、何があっても間に合うように早く家を出ろ」
理不尽の1つだが、民法の危険負担の原則(債務者主義)に近似していることがわかる。
…と結論付けるのは早計。
民法の危険負担に関する規定は、当事者双方が「対等」である双務契約を前提とした規定である。
すなわち、会社(使用者)と社員(労働者)というはじめから対等でない関係には直ちには適用できないのだ。
結局のところ、何の不利益(遅刻による評価下落、有休扱いにして遅刻を帳消しにする場合有休を浪費することになる、など)も受けないでおこうとするなら、会社のいいなりにならなければならない隷属関係は揺るがない(´Д`)
通常の倍以上時間がかかるにもかかわらず出社を求められ、無事出社できても雪がひどくて仕事にならず、1日の大半を雪かきだけですごす日があるとさすがに何やってるんだと惨めな気持ちになる。
2000年代前半から2000年代後半の小泉-安部路線-ネトウヨから民主党政権までの時代ってまじでネオリベラル思想の大流行だったんだなと感じる。
小泉が色々破壊するとか言って郵政民営化はもろにネオリベラルな考え方だ。
そしてその勢いのまま公務員の給料削減など緊縮を目指した民主党が政権を奪取したわけだ。
でも、最近になってリベラル関係の基本を勉強しなおしてると、このあたりのやり方が完全にネオリベラリズム、つまり右翼の好む経済政策であることがわかる。
左派を名乗っていたはずの民主党が経済政策で右派的行動をとり、見事に失敗して結果として右派的経済政策は駄目だということが知れ渡るようになって安部が左派的な経済政策をとることになった。
そしてその民主党はいまだ自分達が右翼であることに気づかずに(左派)リベラルを名乗り続けてる。
ネオリベラルの潮流が民主党によって破壊されたことに左派リベラルの俺は喜ぶべきなんだろうか。
それとも悲しむべきなんだろうか。
まるで喜劇だ。