元彼女へ。
お誕生日おめでとう。
別れてからまったく知らないけど、きっと多分優しい人と結婚して子供もいるんだろうな。
幸せになー。
そのときの相手ではなくて別の料理がうまくてかわいい子つかまえてぼちぼちやってます。
ただ単にちょっと最近大変だったからカレンダーを見てふと懐かしくなっただけなんだ。
だから変に思わないでね。
楽しかったよね。
門限に間に合うように首都高を30分で横断して送り届けたり、
あなたの家の最寄の駅前で牛乳屋さんのトラックとすれ違いが自信なくて思いっきり寄せて止まったら側面こすられて、
謝りに降りてきた運転手さんに「ああいいよいいよ」って言いながらタッチペンで補修したり。
あの時乗ってたライトグリーンのセダンの生まれ変わりに今は乗ってます。
正直言ってあなたは顔は最高ではないし、ちょっとバカぽいとこもあったけど、
Education at a Glance 2008: OECD Indicatorsでは、日本38%に対して、ドイツ35%、メキシコ31%、トルコ28%。
よって、「女性の大学への進学率はOECD諸国の中では日本は最下位」というのは誤り。
「OECD諸国の中で男性の大学進学者数が女性を上回る国のうち、大学型高等教育機関への進学率の男女差が最も大きいのは日本」なら正しい。
「沖縄にも○○があるの?」「沖縄でも○○なの?」などと言うと
「当たり前でしょ!」などと
自分の出身県がすごい田舎で東京の人から「○○県にも○○があるの?」と聞かれても、
「あるよ~どれだけ田舎だと思ってるの?」で笑い飛ばすのが普通の感覚だと思うの。
「本土ではこんなもの食べないから無理だよ~」とか言ってもやっぱり怒る。
一方で日本が同じような調子で外国人から誤解?を受けたり、あるいは貶められたりしたとしたら、
怒らないと思うんだよ。少なくとも母親は怒らない。
でも沖縄に偏見を示したり沖縄が本土とは違うのではないかとか言ったりすると怒る。
普通の日本人は、自分の出身県や出身地方が日本人から偏見を持たれてもジョークとして笑って済ませて、
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/1305705.htm
1.学校教育総括
どんなに優れた画質で保存できたとしても、外部にエクスポートする手段がないようじゃ、記憶装置としては致命的じゃね?>目と脳と神経
最近ネットやってると度々目にするコレ、思想的なことや意味についてはとりあえず置いとく。
ネット右翼を略すならほかになんか他に言いようがあると思う。(じゃあ代替案をだせとか言わないでね)
そもそもこんな言葉を多用する人間が日本人なのか?と勘繰ってしまうほど響きが嫌。
それこそ在日の工作員が好き好んで使ってるっていうか、文化の根本(言語)から侵略しようとしてるような気さえする。
「日本はいつからこんな国になってしまったんだ」っていう身近な問題としてこういったなんでも4文字で略すのやめてほしい。
響きが嫌だといったけど、逆に「まじキチ!」とかはいいと思うよ。
今じゃみんな誰もがポケットにバッグの中に自分だけのカメラを持っている。
それは携帯電話であったり、リンゴマークの付いたスマートなフォンだったり。
あるいは、1000円程度で買えていちいち自分でフィルムを巻き上げなきゃいけないカメラかもしれないし
何千万画素なんて想像つかない画素数を売りにしているフィルムなんて使わないカメラかもしれない。
なんにせよ、みんながみんな専用のみんなのためのカメラを持っている。
そんなみんなは一体なんのために、律儀にファインダーや小さなドットで描かれた液晶を覗いて
今日も露出や画角にWBをいちいち確認して、愛しい愛しいあの娘に笑顔を強要してシャッターを切るのか。
我らの慈悲深き神様なんていう存在は、有難いことに僕らに「目」と「脳」と、あとまぁ色々くれた。
僕らに備わった「目」というやつは、あらかじめ二つも用意されていて、
そのうえダイナミックレンジはとんでもなく広く、真夜中でも僕らにキレイな夜の街を見せてくれたりする。
「脳」つうのは、右とか左とかあったり中枢があるらしいが殆どはいまだに神のみぞ知るってやつらしい。
それでもすごいのは、あの日見たあの日常を目をつぶれは思いだせるとかいうやつがいるってことか。
そして、「目」と「脳」は電子が移動するスピードで情報を伝える「神経」でつながってたりする。
例えば高専で5年間ハンダを握って暮らした僕が、その貧弱な技術で必死にカメラの配線を行ったとしても、
きっと「神経」のどっかがこと切れる前に壊れてしまう。
酒とかタバコとかにおぼれて溺死すんぜんのやつなんてわからないが、
この「神経」つう巧妙な回路は大体100年近くもつらしいから驚きだ。
ここらで「話をもどそう」と切り出さなければ、一向に執着地点が見えてこないので
恥をしのんで切り出させてもらう。
そんな、現代のCMOSを超えるセンサを持っていながら、SDなんちゃらを超える記録媒体をもっていながら
富士山に登って、日本一高いその頂上でシャッターを切れれば僕らは満足するのか
バイクで旅に出てどこともしらないもう行けないかもしれない場所でファインダーを覗ければ満たされるのか
大切な人の大切だという安っぽい誕生日会で笑っているあの娘にカメラを向けることができれば嬉しいのか
一生一緒にいるかもわからない「嫁」という存在と笑顔か分からない顔でカメラを握れれば幸せなのか
娘や息子なんていう命とかの尊さなんかをフィルムに収められれば僕らは幸福になれるのか
カメラを握って薄暗い部屋の中でディスプレイに映し出される自分が撮ったであろう写真をにらんでいる僕は
満足もできない、満たされない、幸せは忘れた、幸福なんて匂いすら嗅いだこともない。
いつもいつも、僕の高性能な「目」でとらえて電子となり「神経」を駆け巡って「脳」で処理された
あの景色にあの日常は、どんなカメラもレンズを通しても再現できない。
いつも虚しくなる
するといともたやすく、とんでもなく美しい景色を見つけられる
興奮するんだ
これを撮るためにいままで生きてきたんだと
頭がくらくらする
もう一度落ち着くためにタバコをふかす
あとは簡単だ
馬鹿でもできる
ほらできた
今日こそできた
小さな液晶で確認する
絶望する
焦るな
絶望する
あんなにあった時間がもうない
朝日があんなにきれいだった街をいともたやすく汚くする
昼間なんて白とびでなんにも映らなくてもいい
この目を超えるレンズをさがしてるんだ
ヤフオクにはなかった
あるのは自分の中だけだ。助けてくれ