はてなキーワード: 与謝野晶子とは
戦争に反対することは無条件で良いこととされてきた。
日本が戦争をしている最中に世の中の風潮に逆らって戦争に反対した人は立派な人と言われていた。
与謝野晶子の君死にたまふことなかれとか、国家の存亡よりも個人に寄り添うことがいかに難しい時代だったかとか。
ドラえもんでさえ、タイムマシンで戦時中に行ったとき、この戦争は日本が負けてすぐ終わると言って睨まれる回がある。
だが、ウクライナ情勢ではそういう主張をすることは許されなくなった。
悪のロシアを倒すまで国際協力して徹底抗戦すべきという意見が正しいとされ、
降伏でもなんでも戦争を早く終わらせるべきという意見は徹底的に叩かれる。
自意識が肥大化して自国家の都合のいいところとだけ合体してる人、それをネットで開陳してる人ってことでいいんじゃないかなー。
自国家を冷静に見るとアラが見えてくるからそこは見ないし知ろうとしない。自国文化もやたら振りかざすけど詳しくないし、大事にもしないし。
だから短歌を35文字以内などと言ったり、沖縄の基地反対のテントに漢和辞典があったから中国人が絡んでるって言いだしたりするし(百田尚樹)、
「はたらけどはたらけど」を宮沢賢治の歌だと書いちゃったり(高須克弥)、
北方領土のためにロシアと戦争しないのかとのたまって怒られた時の丸山穂高に、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」をもじったエールを送っちゃったり(石井苗子)するんだよ。
日本の伝統的な風景をイメージさせたら田んぼと桜と富士山と鳥居くらいしか出てこないようなタイプ。
肥大した自意識が何に同化するかで名づけは変わってくるんじゃないかなー。それが自国なのがネトウヨだと思ってる。
自意識が肥大化するきっかけはどんな人にもあるし、どんな属性を持っているかではなく「何を拠り所とするか」で決まると思ってるので。
男女雇用機会均等法(1986)で「女性の社会進出」というフェミニズムの具体的課題が一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズムの売れっ子研究者達は社会における女性表象の批評や男性性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性の貧困というリアルなテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗(彼女はフェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このときも専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇・給与で)働く女性になれば、女性の生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃんと評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的にバカにしてる、みたいな。
「女性の貧困」というテーマについて地道に調査・研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達が上野千鶴子や小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブなフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌(模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム』栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。
あと、もうひとつ女性の貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカーの問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASHの要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方の女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。
いまは働く女性、専業主婦、セックスワーカー、みんなを支えるような「お金と労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治生まれで、山川均の妻で、戦後は労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子と平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性の労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前に家事と育児の社会化を主張し、60年代に日本の高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代に北欧の福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。
その彼女の名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場の女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム/女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄の精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性の生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。
あと「弱者女性と弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性と弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。
男グセの悪い奔放なフェミニストと、家父長制フェミニストが対立している。
どんどん性表現を行い、好きな男を他人から奪いながら寝て、社会的にも、やりたいように力でのし上がっていく。これが、与謝野晶子、市川房枝など、日本の伝統的なフェミニストである。一言で言うと元気でエネルギー溢れる黒いマッチョのゴリラである。現代でも、瀬戸内寂聴や、北原みのり、はあちゅう女史などにその傾向が見られる。
ところが、今はてなで見られるようなフェミニストは、それとは全く異なる。性的な表現や肌の露出を嫌い、社会や男性からの保護を希望し、困難さの責任は自分にはなく、自分より高齢の男性にあるとする。より正しいルールと、高い倫理観を好み、それに従うことを望む。これが笑えるのは彼女の発想が、実際はどう見ても保守派的である点である。
このように、フェミニストを自称する人々の中身が、革新派テロリストから、ゴリゴリ保守派に、いつのまにか、変質してしまったことが、議論のねじれの原因となっている。
日本では個人の名前は「石川麻呂(いしかわまろ)」や「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」といったふうに長い訓に漢字を当ててきたが、嵯峨天皇のころ遣唐使であった菅原清公の進言によって、男子の名前は漢字で二文字か一字、女子の名前は「○子」とするといった、漢風の名前の使用が進められ、定着した。
具体的な後世に残った事績としては、それまで和風だった人名のつけ方を唐風に改めたことが挙げられる。男子の場合「坂上田村麻呂」の「田村麻呂」のような形式から「菅原道真」の「道真」や「藤原基経」の「基経」といった二文字訓読みか「源融(みなもと の とおる)」の「融」や「源信(みなもとの・まこと)」の「信」など一文字訓読みという形式にし、女性の名前の「○子」という形式にすることは彼の建言によって導入されたものである。
まず単純に、名前の二文字目が「子」で固定されると、必然的に読みは三音になりやすい。
男性名だって、「○太」とか「○斗」といった形式だとだいたい三音で、二音や四音は少ないもんな。
で、貴族の実名に付けられるこの「○子」はいちおう庶民にも広まったらしいが、
室町時代からはそもそも女性に「実名」をつける風習がなくなり「通称」だけを持つようになった。
つまり「松」とか「亀」みたいな二音の簡単な名前がつけられて、
「お松さん」とか「お亀さん」とか呼ばれるようになった。
この傾向は江戸時代まで続いたけど、
貴族の名付けである「○子」は庶民の憧れだったので一気に増加する。
最初のうちは「〜〜氏」「〜〜女史」みたいなのと同じ敬称として扱われていて、
本名の「松」や「亀」に「子」をつけて「松子」「亀子」とか呼んでいたらしい。
それがだんだん本名として最初から「○子」と名付けられるようになった。
もとが二音、「子」を付けて三音、というのがここで増えていったわけだ。
明治安田生命 | 名前ランキング2018 - 生まれ年別名前ベスト10 - 女の子
「○子」のピークは1956年と言われていて、そこから「○美」が増えていったらしい。
なんでこの時期に「○美」が増えたのか分からんが、
高度経済成長時代に入って社会の雰囲気が変わったのもあるだろうし、
そのちょっと前から「由美子」「久美子」「恵美子」「美代子」「美智子」などと「美」入りの三字名の人気があったから、
1953年入団の宝塚歌劇団40期生あたりから「○美」が増えている気がする。
「当時、こういう名前がかっこいいと思われていた」という傍証になりそうだ。
(もうちょっと遡ってみたら33期生だけ特異的に「○美」が多いな…何かあったんだろうか…)
1970年代に入ると「美香」「美穂」「香織」「恵」「愛」などがランキング上位に登場してきて、
ようやくバリエーションが増えていったという流れ。
一方で、男性のほうのランキングを見ると、思ったよりも三音の名前が多い。
「清」「正」「茂」のような一字名はもちろん「正治」「和夫」「達也」なんかも三音。
四音の名前は「○一」「○郎」「○介」「○平」などの形になる。
これらはだいたい「生まれの順番を表す字」か「官位名に由来する字」なので、
女性名に見られないのは納得。
武士の時代が長く続いたなかで男性名だけが多様化していったのだと言えそうだ。
ちなみに「○郎」の由来は「○子」と同じく嵯峨天皇な。
社会的地位の低かった女性は人名接尾辞のバリエーションが少なかったからだ、
と言えるのではないか。
具合悪い。だって内蔵の内側が剥がれ続けるんだよ。つらいよ。いたいよ。ねむたいよ。そしてものすごく陰気。生理前〜排卵日にかけて、実に二週間くらい……つまり一ヶ月の半分……ってことは一年の半分は具合が悪いので、それはマジですごく人生に不利なのではと自己評価が下がる。でも負けたくない。情報を集める。「昔の女性はひっきりなしに子どもを産み続けたので、産まない女性に比べ生涯の生理の回数がとても少なかったのです」みたいな話が出てくる。あ〜、そういえば与謝野晶子、十二人生んでるわ。