はてなキーワード: 伊藤野枝とは
男女雇用機会均等法(1986)で「女性の社会進出」というフェミニズムの具体的課題が一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズムの売れっ子研究者達は社会における女性表象の批評や男性性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性の貧困というリアルなテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗(彼女はフェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このときも専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇・給与で)働く女性になれば、女性の生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃんと評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的にバカにしてる、みたいな。
「女性の貧困」というテーマについて地道に調査・研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達が上野千鶴子や小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブなフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌(模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム』栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。
あと、もうひとつ女性の貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカーの問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASHの要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方の女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。
いまは働く女性、専業主婦、セックスワーカー、みんなを支えるような「お金と労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治生まれで、山川均の妻で、戦後は労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子と平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性の労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前に家事と育児の社会化を主張し、60年代に日本の高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代に北欧の福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。
その彼女の名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場の女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム/女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄の精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性の生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。
あと「弱者女性と弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性と弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。