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2023-12-07

anond:20231207193628

家康三河に良い思い出ぜんぜん無いと思うで

若い頃はずっと駿府に住んどって今川の一門衆としてチヤホヤされて

三河に戻ってきたと思ったら家臣たちが揃って一向一揆に寝返るし

せやから遠江制圧したらさっさと三河から引き払ったんやろ

浜松城遠江)派と岡崎城三河)派の派閥争いで信康殺しとるしな

2023-06-03

東海オンエアを観光伝道師に任命し続ける岡崎市役所絶望している

岡崎市民(女性)です。

こういう意見本来なら市役所に直接送るものだと思うが、あまりにも岡崎市役所地元企業らが腐敗しており、送っても無駄だろうと諦めているので記録目的としてネットに書くことにした。


言いたいことはタイトルの通りである

東海オンエアといえば女性蔑視丸出しなコンテンツ提供しているYoutuberで、過去にもその方向で何度か炎上している。


特にひどかったのは2020年の「痴漢練習動画事件だ。

メンバーたちは「痴漢はバレなきゃ犯罪じゃない」「バレなければ痴漢をしてもいい」という性犯罪を促進する発言を繰り返し大炎上した。

絶対痴漢をしてはいけません」というなけなしの注釈も、「痴漢をしたら社会的死ぬから」という加害者の身を守る理由から来ていたこからして、保身のためのタテマエだったことが伺える。


そのほかに女友達妊娠させてしまったという相談に対して「子供は堕ろせ」と簡単に言ってのけた過去もあるらしい。

ちょっと検索すれば彼らが女性関係ネタ不適切発言をし続けてきた情報が大量に出てくる。


こんな思想集団広告塔に任命するなど、民間企業であれば絶対にやらないだろう。「ミソジニー性犯罪への助長に荷担している」と企業イメージが悪くなるからだ。

なのに岡崎市役所は堂々とやっている。

それも7年間もやり続けている。

あきらかにおかしい、間違っている!と声を大にして言いたい。


このように異常なことを堂々とやり続けているのは「地元にとって利益があるから」と容易に想像がつく。

東海オンエアは大人Youtuberだ。事実岡崎には東海目当ての観光客がたくさん来て莫大な経済効果をもたらしている。

商業ビルの壁には東海スプレーアートが施され、町中にはメンバーイラストが描かれたマンホールが、飲食店観光案内所には彼らの等身大パネルが、国道一号線沿いには集合写真の巨大看板が設置されている。


町じゅうが東海オンエアを持ち上げ、彼らのご利益にあずかろうとしているのだ。

女性蔑視や性犯罪助長する発言により、その裏で不快な思いをしている女性たち」という犠牲を生み出しながらも。



私は痴漢被害者だ。

初めて痴漢に遭ったのは中3の夏、岡崎花火大会の夜だった。

親に買ってもらったかわいい浴衣を着て、わくわくしながら友人らと花火大会へ繰り出した。

岡崎城のすぐ近くにある橋を渡っていたときだった。向こうから来た高校生大学生ぐらいに見える男の集団に「かわいいね」「一緒に花火をみにいこう」と呼び止められた。

私と友ら人はしつこく言い寄ってくる彼らを無視して先を急いだが、彼らは私たちの前に立ちふさがり「かわいい!すっごくかわいい!」「無視しないでよ」「一緒に遊ぼう」と言って、抱きついたり肩や腰に腕を回してきた。

当然抵抗して暴れた。すると彼らは腹が立ったようで、私の髪と浴衣の帯をつかんで思いっきり引っ張ったのだ。

怖かったしショックだった。

私たちは手を取り合い、人混みをかきわけながら走って逃げた。背中から男たちが「ブス!」「ブーーース!!」「ギャハハ!!」嘲笑する声が追ってきた。

無我夢中だったので下駄が片方どこかにいってしまった。

人混みをぬけたところでほどけた帯を友人に整えてもらい、その足で交番に向かった。

男性警察官事情説明すると、彼は乱れた浴衣で息を切らしている私たちをにやにや見ながらこう言った。


「かわいかたから触りたくなっちゃったんだねぇ」


……どうしてそんなことを言われるのか理解が追いつかなかった。

なんでこの警察官は私を助けてくれないだろう?

結局まともに取り合ってもらえず(それ以上の事情聴取や調査などもされないまま)、早く帰りなさいと交番を追い出された。


そのとき絶望と怒りは書かずとも伝わるはずだ。

他人に、それも男に公衆面前で服を脱がされかけ、周りの大人たちは見て見ぬ振りをし、助けを求めた警察官にはないがしろにされた」という経験は、15歳だった私の心に大きな傷を残した。



あの時、橋の上で遭遇した男たちが発していたノリには、東海オンエアに通じるものがあった。「みんなで女を蔑ろにすることで、男同士の結束を強める」というホモソーシャルなノリだ。「みんなで痴漢練習をする」動画もずばりそれだろう。


市内を移動している最中東海オンエアのパネル写真が目に入ると、胸に嫌な気持ちがこみ上げてくる。

痴漢という性犯罪助長する男たちの顔を、痴漢に遭ったことがある女性が見て不快にならないわけがない。

ましてやそれ以上の性被害に遭ってしまった人ならもっと複雑な想いを抱いているはずだ。


そんな男たちを岡崎市役所広告塔にかつぎあげて観光客を呼びこんでいることに今更「NO」を出したところでどうにもならないだろうという諦めがある。

そう思うのも、岡崎はあの「岡崎強制性交事件」に無罪判決を出し、「全員に5万円配ります」と公約に掲げ結局実行しなかった人を市長当選させたことで全国ニュースになった街だからだ。


性犯罪者におそろしいほど甘く、女性蔑視が蔓延しており、市民政治的リテラシーが低い。それが愛知県岡崎市だ。ぜんぜんいい街じゃない。男女共同参加企画とか推してるけどこんな街が女性暮らしやす場所なわけがない。

東海オンエアを観光大使に起用し続ける岡崎市役所も、東海オンエアで金を稼いでいる地元企業も大大大大大嫌いだ。

2022-10-29

三大三大という略称国立大学

追記

注目エントリ入りしたから、過去に書いて反応の小さかった増田宣伝する。

なぜ、味噌汁赤味噌を使わず白味噌を使うのか

ttps://anond.hatelabo.jp/20220327002544

赤味噌テーマコラムを書こうとしたのは観光岡崎城に行ったのがきっかけ。

赤味噌派と白味噌派に分かれて論争が起きたら面白そうだと思って、白味噌派を煽る文章にした。

有名ブクマカファーストブクマされてバズるのかと思いきや、ブクマ数は1のまま今に至っている。

つい最近「麦味噌」が「味噌」と名乗れなくなるかもというニュースが広がっているので、これをきっかけに上記増田に対してトラバブコメを付けて、味噌に対する思いを述べてほしい。

==========

三重大学

あと2つは?

2022-03-27

なぜ、味噌汁赤味噌を使わず白味噌を使うのか

味噌といえば赤味噌だ。

大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんもの味噌だ。

日本において味噌起源中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。

しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。

それが白味噌だ。

酷い物だと大豆を全く使っていない白味噌もある。

白味噌の登場により、従来の味噌赤味噌もしくは豆味噌不名誉な再命名レトロニム)を受けることになった。

味噌白味噌よりも赤味噌の方が旨い。

勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。

すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。

米や麦はたんぱく質含有量大豆に劣るから味噌醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。

から大豆使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌赤味噌に比べて旨くないのだ。

赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。

明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。

凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。

江戸時代徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆武力で押さえ続けてきただけのことだ。

そうした時代においては、食糧生産生産効率カロリー効率観点から米や麦の生産に注力していただろう。

それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆使用を削減しようと白味噌発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。

高価な大豆使用を削減して米や麦で味噌醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌料理適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断努力があったことは想像に堪えない。

そうした先人の努力現在食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。

から白味噌の事を悪く言うつもりはない。

白味噌存在のものはもちろんとして、白味噌発明した人も醸造してきた人にも罪はない。

しかし、今では大豆安価で大量に海外から輸入できるのだ。

製造コストにおいても赤味噌白味噌とで大きく差が出る訳でもない。

事実赤味噌価格白味噌に比べて特段高価なわけでもない。

江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキュー八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省であるGHQ占領前は宮内省だった。]

ちなみに八丁味噌とは伝統ある豆味噌商標だ。

八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である

しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。

しかも、農林水産省地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。

こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌一般に話を戻す。

今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。

おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なもの金山寺味噌がある。

しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本食文化において汎用的なありかたといえよう。

やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌赤味噌であるべきだ。

単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。

主食である米飯甘味には、赤味噌もつ大豆の旨味が合う。

米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。

米は最上主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。

しかし、米だけを食べて人間は生きてはいけない。

かつて白米ばかりを食べていた江戸町人江戸わずらいに罹ったという。

江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である

カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれ社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。

似たような例は海外にもあり、19世紀アイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧ジャガイモ依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気蔓延していたという。

ちなみにジャガイモ原産地南米ペルーだという。

では、ジャガイモ主食とする南アメリカ大陸でも脚気蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。

摂取カロリーのみを目的として食糧ジャガイモ依存した近世北欧は、さながら白米の生産流通を高度化して脚気患者蔓延させた江戸時代日本に近しいものがあったのだろう。

ちなみに、野菜穀物栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミン摂取している。

イヌイット伝統的な発酵食品キビヤックがあることは有名だ。

アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤック悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。

南米イヌイットの例から伝統ある食文化には食糧生産カロリー摂取効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。

日本においては、まさしくそれは赤味噌であると断言できる。

もちろん、食糧生産効率性向上によって生まれ白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。

それにしても、白味噌白味噌文化否定するつもりはないが、白味噌味噌汁は白米の飯に合わないだろう。

米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスライスを組み合わせたライス定食ではないか

そのような脚気精神産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。

米は甘く、大豆は旨い。

米はカロリー摂取に優れ、大豆たんぱく質ビタミンなどの栄養に優れる。

米と大豆はどちらも日本食生活に欠かせない食品である

双方の象徴米飯と赤だしの味噌汁だ。

そこに、白だし味噌汁が入り込む余地はない。

味噌汁よ、赤味噌であれ。

2021-12-14

anond:20211214094854

6/2本能寺の変
6/3光秀が近江出兵
6/4家康岡崎城に帰還
6/5光秀が近江を平定
6/7秀吉姫路城に帰還
6/8光秀が坂本城に帰還
6/9光秀が秀吉迎撃に出陣
6/12秀吉摂津富田まで進出
6/13山崎の戦い
6/14家康尾張熱田まで進出
6/16秀吉近江を平定
6/18勝家が近江長浜まで進出
6/22秀吉美濃尾張出兵
6/25秀吉美濃尾張を平定
6/27清洲会議

山崎の戦いから秀吉近江を平定するまで3日、そこから美濃尾張を平定するまで9日、

というスケジュールを仮に光秀に当てはめたとすると、

6/2に本能寺の変、6/5に近江を平定、6/14に美濃尾張平定、ということになる。

実際には、織田家本領尾張美濃での抵抗は激しいだろうからもっと時間がかかるはず。

家康進出してくるまでに、尾張平定を完了したうえで迎撃態勢を整えるのは難しいだろう。

さらに、その背後には勝家が迫ってきているわけで、光秀は尾張家康と睨み合っているわけにもいかない。

なので周辺の地固めといっても、戦力的に重要美濃尾張はどうやっても確保できず、

光秀は京付近まで下がって家康・勝家と対峙するしかないが、

そうなったとき細川筒井がいきなり明智に味方するとも思えない。

下手すりゃ近江勢まで離反する。

あるいは、近江平定から今度は大坂方面に軍を向けていたとすると、

池田恒興中川清秀摂津諸将は降伏していたかもしれないが、

近江美濃尾張は勝家と家康占領されていたかもしれない。

中国大返しが無いというのが、

秀吉普通の速度で戻ってくる」ということなのか、

秀吉近畿出兵しない」ということなのか、

秀吉が光秀と敵対すらしない」ということなのか分からんので、

光秀が大坂方面にどれだけ兵を割く必要があるのかも分からんが。

2017-04-30

[]

岡崎城に行ってまいりましたわ。

城内は公園化しつつも売店や神社が散在しておりカオスな状況でした。

わたしくの行ったことのあるお城では博多城に似ていますわね。

展示施設は「三河武士のやかた家康館」と「復興天守」がメインになります

三河武士のやかた家康館は、増田先駆者である家康公と

彼を支えた三河武士を展示の中心に据えている建前になっています

ところが目玉的な展示は、ジオラマ映像関ヶ原の戦いを描くものですの。

東軍の主力は外様で、三河武士の精鋭は秀忠と一緒で間に合っていませんわ・・・・・・

井伊直政の抜け駆けと本田忠勝の働きはありましたけど、正直物足りなかったですわ。

長篠なら大久保兄弟酒井が、姉川なら榊原康政活躍しますのに--

三河武士全員が活躍する合戦を探すのは難しいですわね。

あえて言えば三河一向一揆でしょうか。

家康が陣を前に押し出して全軍の士気を高めたことが

強調されていたのは展示側にもその自覚があるからでしょうか。

あと大谷吉継隊の模型が回転しきらずに止まってしまっていて非常に気になりましたわ。

本来は壊滅して盤面上から消えるはずのシーンで、

やっと回転しきって残っていましたわ。

復興天守の方では刀剣甲冑の展示が目立ちました。

甲冑レプリカも含めて三河武士のやかたにも多数あり、

甲冑好きには良いところだと思います

フレームストラクチャーを思わせる刃紋が浮かんだ刀剣武蔵藤原永道が気に入りました。

鞘に緑のラメが入っていましたの。

加茂一揆ジオラマ展示があり、農具に毛の生えた武器をもった一揆勢を

岡崎藩兵が弓矢鉄砲を使って容赦なく鎮圧する様子が描かれていました。

おそろしいおそろしいですわ。

城下町の一日というジオラマシアターもあって、

江戸時代宿場町で横行した強引きわまる客引きを見ることができますの。

女性がやっていても強盗誘拐との区別がつきませんわ。

家康生誕の岡崎城最後に治めたのは本多忠勝系の本多家ですけど、

幕末には最終的に徳川家を裏切っています

ただし、それを決断した藩主養子だったとか。

三河武士のやかたと謳いながら、ちょっと後味の悪い話ですわ。

陽気と有名な藤の花のおかげもあって結構な人出でしたわ。

追記

id:hilda_i様 マリー・アントワネット様にあやかるのは、すでにやったのですわ

http://anond.hatelabo.jp/20161217235117

 
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