はてなキーワード: 宅浪とは
A子とは高校1年生の時同じクラスになり、仲良くなった。
ただし、境遇はかなり違った。私の家は貧乏で塾や習い事にも行けなかったが、彼女の家は金持ちで、いろいろな習い事をしていたし、家に遊びに行くと見たこともないような綺麗なお菓子といい匂いの紅茶が出てきた。
それでも劣等感を感じずに友達でいれたのは、容姿に関しては私のほうが上、と思っていたからだと思う。
彼女は太っていて近藤春菜似。洋服のセンスもダサかった。(これは、10年経った今でも相変わらずである)
私はスタイルには自信があり(実は中学までは太っていたのだが、頑張ってダイエットした)、眞鍋かをり似と言われる。もちろん眞鍋かをりほど可愛くはないが。
古着をリメイクするのが趣味で、センスが良いと褒められることが多い。実際、大学時代には作った服をオークションに出すと高値で売れていたので、おせじではないと思う。
私にはB男という好きな人がいた。彼は私の幼馴染で、周りから「お前ら付き合っちゃえよ」と言われるくらい仲が良かったのだけど、なかなか一歩を踏み出せずにいた。
2人きりで遊ぶと冷やかされて恥ずかしいので、A子を誘って3人で遊んでいた。
ある日気付いたら、B男とA子が付き合っていた。
私は、そのショックでうつ病になり、引きこもってしまった。大学受験のストレスなんかも重なっていたのかもしれない。
予備校に行くお金などなく、自宅浪人だったこともあり、A子がその後どうなったのかの情報は入ってこなかった。
大学は楽しかった。大学の友人たちは、うつ病の後遺症で挙動不審気味の私のことも受け入れてくれたし、彼氏もできた。
私は、次第に元の前向きな性格に戻っていった。
その後、猛勉強の末、公務員試験に合格し、地元の市役所に就職。
イヤイヤ期の育児は大変で、夫ともたまに喧嘩もするし、マンションのローン、奨学金の返済など、経済的にも楽とは言えない。
でも、公務員という立場はやはり恵まれていると思うし、自分はどちらかと言えば勝ち組のほうだ、と思っていた。
それが間違いだった。
高校の同窓会の通知が届いた。
高校の友人たちは、引きこもって卒業式にも出なかった私のことを心配しているかもしれない。
幸せになった自分を見せに行こう、と思って参加表明してしまった。
そこで知ったのは、A子が日本で一番偏差値の高い私立大学を卒業し、有名企業に就職していたこと。
A子自身も仕事はやめておらず、世帯年収は我が家の4、5倍くらいで、高級住宅地の一軒家に住んでいること。
今まで「自分は幸せだ」と思っていたのがガラガラと崩れていった。
全てが無駄だった。自宅浪人で旧帝に受かったことも、倍率30倍の公務員試験に受かったことも。
頑張って育児と仕事を両立させていることも、体型維持に努めていることも、ファッションに気を使っていることも。
全てが無駄だったのだ。
今はただ虚無感。
なんとか起死回生を図りたいけれど、公務員なので週末起業も出来ないし、億が一何かの間違いで私と結婚したい大金持ちの男性が現れたとしても、夫と子どもを愛しているので離婚なんて絶対に出来ない。
終わった。
今までの私の人生は何だったのだろう。
私はただ、A子に負けるためだけに産まれてきたのだろうか。
私は、今年とある大学で仮面浪人をしていた。仮面浪人の説明についてここでは割愛してもらう。
まず、私の体験から伝えよう。少し我慢して聞いて欲しい。もしも、私の体験を伝えることで一人でも助けになってくれればなと思い今書いている。
私は、とある大学に3月入試で入学した。知ってる人も多いとは思うが3月入試は本命の入試ではなく、入れる大学に入るという兼ね合いも強い。例外もあるが。
私は、大変落ち込んでいた、自宅浪人で1年間やってきたが、ほとんどといっていいほど伸びなかった。だから、今もし自宅浪人を選ぼうとしている人がいたら是非とも予備校の恩恵を受けてほしい。
少し迷ったが、1年間やって伸びなかった自分が恥ずかしくなって、入学することにした。
大学の入学式にでて、大変なところに来てしまったんだなって実感した。それまで付き合っていた高校の友達ではない、明らかにチャライ人たちがいっぱいいた。
なんとか、それで入学式を終えた。
講義は種類がすくなかったので全然おもしろくなかった。変に熱い先生とかもいるしそこは分別していったほうがよかったなって思ってる。
ここからは、仮面浪人をしようかと迷っているキミに僕からのアドバイス。
物事には、しないことも選べるんだ。
② やると決めたのならば、是非勉強の拠点を作ろう。今すぐにではなくてもいいけど、きっと役立つはずだ。予備校でもいいし、家でも、図書館でもいい、自分が集中できる場所だ。
③ 独学はしない。
なんでもそうだけど、独学はしないほうがいい。理由は簡単だ。
④ 仮面浪人は授業とのバランスが大事。学業に支障がきたさない程度の単位を前期後期でとりましょう。
変に、授業を詰めすぎない。これは鉄則です。
⑤ ほのかにまわりと仲良く。
成績も優秀だった。地元トップの高校を目指していた。
当然モテた。生徒会室にはK先輩目当てでダベりに来る、妙にハイテンションな女子が常に居た。
K先輩は生徒会の地味な事務処理を、成績だけが取り柄の地味な後輩である書記の私や、地味な会計男子に押しつけて、女子と喋っていた。
そしてよく竹製の長い定規を持っていて、パチパチと机を叩いていた。
その、足を組みながら机に座って無造作に定規をパチパチしている姿が、イケメンゆえにモデルのようにキマっていて、中学生ながらに私とK先輩とのランクの違いのようなものを感じた。
私とK先輩は同じ高校に進学した。
中学時代、K先輩はかなり目立っていたけれど、高校に入って以降は噂を耳にしなくなり、私はほとんど存在を忘れてしまった。
私も彼氏が出来たり、受験勉強したり、第一志望に落ちて親に浪人を許してもらえず滑り止めの私大に行くことになったり、全然家事ができないのに上京して一人暮らししてコンビニ弁当ばかり食べて味覚がおかしくなったりと色々忙しかったのだ。
この間、久々に地元の友達から電話があって、K先輩の続報を知った。
医学部に進学するため三浪して、宅浪だから引きこもっているらしい。
すごく太って、別人のようになっているらしい。
昔から地味でどうでもいい奴って思われてたら、「あの人は今!?」なんてこと誰も気にしない。
でもなまじデキることで有名だったから、みんな彼の今が気になるし、探ろうとする。
私はそこで初めてK先輩の祖父と父が医者で、二人の兄も医学部に進学していることを知った。
私はK先輩の家族構成をそこで知ったのだけれど、中学時代からかなり有名だったらしい。
優秀なイケメンで目立っていると、皆その人の背景を気にする。調べつくしたくなる。
そして、「昔はあんなに凄かったのに、ねw」と、本人の預かり知らないところで侮蔑交じりに語りたくなる。
地味な存在で良かった、と心から思った。
成績も優秀だった。地元トップ高を目指していた。
当然モテた。生徒会室にはK先輩目当てでダベりに来る、妙にハイテンションな女子が常に居た。
K先輩は生徒会の地味な事務処理を、成績だけが取り柄の地味な後輩である書記の私や、
まあ似たような感じの会計男子に押しつけて、女子と喋っていた。
そして常に竹製の長い定規を持っていて、パチパチと机を叩いていた。
その、足を組みながら机に座って無造作に定規をパチパチしている雰囲気が、
中学生ながらに私とK先輩とのランクの違いのようなものを感じた。
私とK先輩は同じ高校に進学した。中学時代、K先輩はかなり目立っていたけれど、
高校に入って以降は噂を耳にしなくなり、私はほとんど存在を忘れてしまった。
私も彼氏が出来たり、受験勉強したり、第一志望に落ちて滑り止めの私大に行くことになったり、
全然家事ができないのに上京して一人暮らししてコンビニ弁当ばかり食べて味覚がおかしくなったりと色々忙しかったのだ。
この間、久々に地元の友達から電話があり、K先輩の続報を知った。
医学部に進学するため三浪して、宅浪だから引きこもっているらしい。
すごく太って、別人のようになっているらしい。
昔から地味でどうでもいい奴って思われてたら、続報なんて誰も気にしない。
でもなまじデキることで有名だったから、皆気になるし、今どうしてるか探ろうとする。
私はそこで初めてK先輩の祖父と父が医者で、二人の兄も医学部に進学していることを知った。
私はK先輩の家族構成をそこで知ったのだけれど、中学時代からかなり有名だったらしい。
優秀なイケメンで目立っていると、皆その人の背景を気にする。調べつくしたくなる。
そして今、「昔はあんなに凄かったのに、ねw」と、自分の預かり知らないところで語られている。
地味な存在で良かった、と心から思った。
やっと国公立の前期が終了した……
巷にはこれから浪人生の成功体験記が溢れると思うから、少し早いけど、失敗談でも書いてみる。
ここでせっかくだし、オレのまとめでもしておこう。
中高一貫校に入学、もちろん例に漏れず勉強を全くしなくなる。高三の時は一応勉強をした気になる。
奇跡的に中堅私立にセンター利用でひっっかるが、事実上の全落ち。
そこは別に行きたくもなく出せと言われ出した学校なので浪人することにする。
浪人中は上位国立を目指してかなり真剣に勉強。しかしセンター大失敗。まともなに国公立には出せず、センター-30の
公立に出願。私立は上位には不合格、今年は中堅だけは受かった。後期は行くつもりのない地方駅弁。
たぶん中堅私立に行くだろう。でも個人的には納得して出した所だから、結果に悔いがあると言えばウソになるけれど、
去年のように行きたくないわけではない。
~これから浪人する君たちへ~
・予備校に通うなら、必ず友達を作ろう。いっしょに遊んだりする友達じゃなくて勉強の話ができる友達。
・予備校に通うなら、それなりのカッコをしよう。ジーンズに普通のシャツでOK。
オレは最初ジャージで通ってたら、最初に話しかけてくれた奴らに避けられるようになった。
で最後までそのまんま。友達できずorz
・現役時代は全く or 殆ど勉強しなかったけど、今年は予備校に通って真剣に勉強して旧帝か上位国立を
一年で目指そうというのは今年のオレの経験から言うと無理だと思う。
塾の紹介パンフとか見ればわかると思うけど、一年浪人してそういうところへ入学する奴は大抵が有名高校出身で、
去年の蓄えに浪人時代の勉強をプラスしてそういうところへ合格していく(例外はいるかもしれないけど)
それにもう一つは、予備校が授業を中心に行うところなので授業やテキストの質は高いのかもしれないけれど、
量がどうしてもこなせない。
毎日5時まで授業で、そっから今日の復習+先週の復習+英語の自習をしてたらすぐに9時になる。
本当にそういうところへ一年で生きたい人は宅浪するしかないんじゃないかな?
宅浪なんてムリだよ~なんて人は予備校に通って今の自分より2~3ランク上を目指すのが吉。
そうすれば現役時の1ランク上には滑り込めるはず。
実際オレがそうだしね。
・私立は過去問をやって合格ラインを超えたからといって安心してはいけない。
なぜなら、日本史世界史選択者には点数調整という大幅な減点が待っているから。
だから合格ラインが7割で過去問で8割なら落ちる可能性が高い。
実際、これで周囲の人間が何人も泣いてる。
・2chで参考書を調べてそれを買い揃えてやった気になるのは非常に危険
現役時代のオレがそうだった……orz
~予備校利用法~
この文章の内容自体が失敗談なので鵜呑みにしちゃダメだよ。
①毎日授業には必ず出て、終わったらその日の復習+先週の授業の復習
シス単のミニマルフレーズも暗記する。これに文法や英作で何度助けてもらったことか……
③土日は来週の分の授業をまとめて予習。これは①の先週の授業の復習の時間を確保するため。
先週の授業の復習を毎日やるには、これをやらないとできない。
④講師の言うことには基本従う
~なぜオレは失敗したのか?~
端的に言うと、自分レベルの人間が上位国立を目指すには勉強量が不足していたと思う。
去年は我流でやって失敗したので、勉強関係は全て塾にまかせていた。というか塾で課せられたこと以外はほとんど何もしなかった。
予備校の授業や教材は質は良かったのかもしれないが、やっぱり自分の学力を大幅に上げるには量をこなすのは必須だった。
けど予備校では、数学は一週間で12問くらいで、英語は1週間で多くて長文3本くらい。
でもこれは授業を行うという予備校のシステム上、仕方のないことだと思う。
だから個人的な結論で言うと、最初に書いたように、自分の現在のレベルと大きく離れた大学を目指すには宅浪って結論になる。
~浪人時代を通して~
確かに浪人して中堅私立しか合格できかったので周囲からは裏でかなりバカにされるだろう。
けれどオレは今年一年で今まで生きてきた以上のことを学んだと思う。
それを書こう。
こんなに集中して毎日勉強したのは初めて。いい経験になったと思う
現役時に妥協して何もしないで大学に行っていたらと思うと恐ろしい
・考え方が変わった
~最後に~
本郷より元2浪生の俺が少しレス。もう解決しちゃってるぽいが。
親には頼れるなら頼れ。頼ってる関係がいやなら利用しているぐらいに思っとけ。
まぁここはそんな単純には切り替えられないだろうけど、援助してくれるものは拒むな。
問題は親じゃなくて親を受け入れられないお前の側にある、とは言わない。お前のことなんも知らんしね。
だけど今見えている世界が違う意味をもつ瞬間はきっとあるから、それまでとりあえず自分をだませって言いたい。
俺は予備校を進める。特にうだうだ悩むタイプは一年間モチベーションを維持する方が大変だ。一人はきついぞ。
特進クラスのやつはめっちゃ勉強する。模試もゲームみたいに楽しめる。たまにいっしょに息抜きにも行ける。
塾の自習室がいやなら塾の周りで自習室を借りろ。喫茶店はあまりおすすめしない。
予備校のセンセーと仲良くなるのもいいぞ。好きな教科の先生と雑談しろ。まともな奴ならちゃんとメンタル面でも頼りになる。
がんばれ。
新高卒、18歳です。
高3時代は、夏・秋と家族や家の宗教のことや自分の性傾向、失恋などで精神的に崩れてしまい学校の宿題を行き帰りの地下鉄・バスのなかでやるのみでした。(家には自分の部屋があるのですが、リビングのすぐ隣でテレビの音が親が寝る0時ごろまで聞こえ、親の声が大きいので親の声も聞こえて部屋で勉強するのはとても難しいことでした。学校から家が遠く早く起きなくてはならないので夜中勉強することも出来ませんでした。)
それでも、スクールカウンセラーに何度か通い、12月頃からは徐々に勉強できるようになり、センター試験までは順調に勉強できました。(部屋も比較的静かになったので。)
センター試験はほぼ8割という感じの点数でした。
しかしその後、燃え尽き症候群みたいなのかは分かりませんが、勉強に手がつかなくなってしまい、親も親でテレビをつけたりするようになってしまい、私立と国立の3日前くらいから焦って勉強するのみでした。(それぐらいになると親も静かになってくるので。)
それで、結果は、私立の慶應経済学部A方式は1点差で落ちてしまい、国立の京都大学経済学部も落ちてしまいました。
そして、私立の補欠を持っている間に、両親は自分がいる前でローンとか奨学金の話をしたりして、また母親は本当に私立に行きたいのなどと聞いたりして、全くいい思いはしませんでした。
また、宗教などにかぶれて元々ワルだったのが更生した両親に、大学に行くことによってさらに頼ることになってしまうことが、その時期になってひしひしと身に染みてしまい、自分は親から離れてできるだけ自分で生きていきたいと思い大学受験を決めたのに、その事によって更に親との結びつきが厚くなってしまうのに耐えられなくなりました。
ぼくがレベルの高い大学に行って、人生勉強も含めてたくさんのことを学びたいということもあり、レベルの低い私立大学に行って、スカラシップを認めてもらったり、働きながら夜間部に行くことが自分の中で認められなくて、自分はもう将来に希望を持つことができません。
もしもう一年目指す場合、高校入学時から思っていた東京大学を目指すために予備校に入り、自習室で主に勉強したいと思うのですが、それも結局は親に多くを頼らなくてはいけなく、とてもストレスを感じることは必至です。
普通は部屋が静かな場合が多いのですが、自分の所は違うために自宅浪人という選択肢もなくて絶望的です。
だから、夏~秋のときに考えたように、もう将来に希望が持てないなら、自分も親のように世間的に認められないことをしてしまおうかなんて思っています。
ここは自分にとって最後のよりどころです。
ぼくはこれからどうすればよいのですか。
そして、俺の記憶はよみがえるのだ。
1999RSRFESに行ったこと。
俺に、「絶対に忘れない」と言った年上の女性のこと。
それは無罪モラトリアムの初回版だった。
黄色の丸いステッカーが付いて来たのを覚えている。
大学受験から帰る飛行機の中で聴いた「正しい街」の衝撃といったら、なんて表現しようか。本当に震えた。。
その後、大学受験に失敗した俺は、塾の講師のアルバイトをしながら自宅浪人をして、二度目の大学受験に挑んでいた。
その頃の椎名林檎は「本能」が発売になり、年が明け、「ギブス」が発売されたのは2000年の1月だった。
同時発売の「罪と罰」の方が好きだった。
ギブスの歌詞に出てくる、カートはニルバーナだとかコートニーはセレブレティスキンだとかは知っていた。
でも、「ギブス」は好きになれなかった。
あなたはすぐに絶対などと云う
あたしは何時も其れを厭がるの
だって冷めてしまっちゃえば
其れすら嘘になるじゃない
嘘になるわけじゃない。ということがわかったのもつい最近だ。
年上の女性は「絶対に忘れない」と俺に言った。
俺は「それは絶対に不可能だ」と言った。
でも、その女性は
「そうかもしれない、でも、絶対に忘れない」と言った。
それが本当に嬉しくて、
俺は「そうか。それじゃあ、たぶん忘れないよ。俺も」と言った。
それから2年経過して、俺は今「ギブス」を聴いている。君を思い出している。
君の髪型がどんなだったか、どんな酒が好きだったか。きりがないけど、
黒い髪がよく似合っていたのは忘れないよ。たぶん。
俺のiPodすげぇえって関心した。
電車から降りて、君に電話したくなったけど、俺は仕事に行くんだよ。
そう、行かなきゃ。
受験勉強に集中できずに、今日もまたこうしてはてな匿名ダイアリーに来てしまったのですが、勉強に集中するにはどうすればいいですか。宅浪です。
あなたの中で、「勉強して大学行く」という目標よりも「予備校で良好な人間関係を築く」という目標の方がデカくなってることが問題。
前者の目標を達成するためなら、いっそのこと受験が終わるまで人間関係を放棄してみてはどうか?
"人間関係が築けない"ことと"あなたが受験勉強をしない"ことの因果関係は何も無い。
そもそも私は予備校生が築く人間関係にメリットを感じないんだけど。
予備校は授業を受けるためだけに存在すればいいから、それ以外の時間は1人で自習する時間に費やせばよい。
予備校に行くのが嫌で勉強へのモチベーションを下げるなら、図書館の自習室で勉強すればよい。
世の宅浪してる大勢の浪人生も1人で頑張っている。1年間、親との少しの会話だけで生活しても何の問題も無い。
「なぁーに、かえって勉強に集中できる」と考えて頑張ってみては?
「予備校で馴れ合う奴なんて、大した大学入れない」と周りを見限ってみては?
受験が終わるまでは周りの人間みんな敵。戦う武器は自分の『学力』のみ。
親に「そんなに勉強して体大丈夫なの?もう今日は勉強やめたら?」と言わせるぐらい能動的に勉強し続けるべし。
今さらですが夫がどう見てもだめんずです。本当にありがとうございました。
もうちょい詳しくってことなので
毎日笑いながら絶望の種を拾っている。
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。