はてなキーワード: ポシェットとは
別にせんとくんが登場したからというわけではなく、奈良のキャラは昔からだいたい鹿でだいたい鹿せんべいが好き。もちろん、雪丸(王寺町)、たけまるくん(生駒市)、蓮花ちゃん(葛城市)、よどりちゃん(大淀町)といった鹿キャラじゃないのもいるけれど、例えば大仏のキャラがやまとくん(わかくさ国体)、にこにこだいちゃん(奈良特産品)、みらいくん(JAならけん)くらいなのに対し、鹿は着ぐるみだけで40体ほど。
「お財布ポシェット」
http://superclassic.jp/?pid=70302
スマートフォンを持ち歩くにはやや小さ過ぎた。しかしおかげでスマートフォンをリストラできた。さようならスマートフォン。
どこにでもありそうな形、サイズなのだが決定的に違うのがファスナー。90度開く。これが絶妙。
ポシェット幅ぎりぎりの財布もさくっと取り出せる。すばらしい。
あとデザイン。だらだらした格好でもキリッと締まる。おしゃれ。
肝腎な部分は皮革で手触り最高。でも本体は防水加工の布で柔らかく軽い。すてき。
とうとう雑誌の付録にも似たようなポシェットが登場するらしいが、ファスナーの開きがぜんぜん違う。
内部のショッキングピンクの布地も適当な厚みで高級感があってすてき。
数々のポシェットやウエストポーチを使い倒してきたが、これ以上の常用ポシェットはないといっても過言ではなかろう。
おまけに財布として非常に完成度が高い。財布に小物入れが憑いたような使用感。
とにかく、もう買って良かった物最上位なのでどこかで感想を表明したかった。ありがとう。
色違いが出たら買う。たぶん。
今日の特売買いに行った
レジ終えて袋詰してたら、隣に小学校3-4年くらいのメガネかけた女の子がきた
親と買い物かな、と思ったけど親はこない
俺がもたもた袋詰してる間に、テキパキとマイバッグに袋詰してさっさと出口に歩き出してしまった
出口前に手で開けるゲートがあるんだけど、俺は女の子が通ったゲートの後ろをそのまま通ろうとした
そしたら女の子が立ち止まって、後ろの人のためにゲートを手で開けておいてくれた
通った後少し離れて振り向いたら、まだ後ろの人のためにゲートを開けてあげていた
俺は感激した
そしてこんなことで感激する俺がすごくおっさんになってしまったと感じてうれし悲しい気分になった
俺は感動して抱きしめたくなったけど我慢した
ベッカー社のじゃなくて、サイトで買える国産のピッグスキン財布(これまんまデザイン一緒なんだけど意匠権とか大丈夫なの?今更だけど)
外側ハトメを打ってもらって、チェーンはぼったくりなので買わなかった。
代わりに水本機械製作所の二重リンク付きステンレスミニクリップ×2と、手芸屋で買ったポシェット用のナスカン合皮ストラップで斜めがけ用にカスタム。
財布本体にはリング付ミニクリップをつけ、クリップに付いたリングにナスカンを付けて使用(直にナスカンだとハトメ部分に負担がかかるため)
このMMのクリップが、バネ部は華奢な作りなのにやけに丈夫で助かる。↓のMPW-0ね。
大体カード5枚に加えクーポンが入る。小銭入れの後ろにあるポケットは一番よく使うローソンのカードを入れて使用。
内側のカードいれは2つで、2枚づつ入る。
使用方法
・長財布をメインというか母艦として使用。万札やカードを入れて鞄に待機させておく。
・スーパーとか日常の買い物は極小財布だけ斜めがけして、買い物袋持って行く。
・基本車移動なので、コンビニとかファストフードとか鞄いらねーなと思った店は車の中に鞄を置いて、極小財布だけ持って入る。
よかったこと
・身軽(小さい。名刺入れより小さいかも。あとハトメ+ストラップの効果)
・母艦として長財布が持てる(これが一番よかったことかも。今までは全財産2つ折り財布に入れて常に持ち歩いていたから)
悪いこと
・高い。(6300円。ベッカー社のはこの倍する。ハトメ無しの同じような財布が2000円とかで売ってる。自分で穴あけたらだいぶ節約になる?)
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新潟空港からウラジオストック航空に搭乗することになった。東京駅から新幹線車内で待ち合わせたのはコラムニストの高山正之氏ら合計四人。このミニ探検隊が急遽「結成」されたのはひょんな経緯からだ。
昨年、フライング・タイガーの基地跡を湖南省の西南部にある辺境、渋江までこの四人組にあと三人ほどでグループをつくり見に行った。ここは岡村寧次と何応鈞の終戦協定を結んだ場所でもあり、反日宣伝が濃厚な記念館がある。
例によって改竄史観の反日展示だが、日本軍と戦ったのは「偽軍」とあるので、この「偽」は何処かとガイドに問うと、国民党軍を意味することだったのには笑った。そうだ、フライングタイガーは蒋介石に協力したのだ。
さてウラジオストックを戦前の日本人は浦塩斯徳と表記したが、ロシア語の原義は「東方を征服せよ」という物騒な意味がある。
ロシアは不凍港を求めて清帝国の版図を結果的に強奪し、地政学的にみれば中国の海の出口を塞いだ。中国にとっては恨み骨髄の場所である。
それゆえ中国人はウラジオストックとは言わず歴史的な地名=ハイサンウェイ(中国語では「海参威」)と言う。ついでに言えばロシア人は中国人を「キタイ」を呼び、いまも陰湿に排斥するし、中国人は「オロシア」と言うから、ま、お互い様か。
というわけで筆者の一番の興味は三カ国の国境の現状である。
ロシアと中国と北朝鮮の国境地帯はいまどうなっているのか? 不思議に日本のマスコミはこのことを追求しない。
筆者は中国側からは何回かロシア国境を見ている。スイフェンガ、黒河、満州里、そして延吉から図門へ行くと北朝鮮、軍春からはロシア国境が、また吉林省の集安、丹東からは北朝鮮国境も見た。つまり旧満州の七箇所から国境を見た。反対にロシア側から中国国境をみたのはハバロフスクからアムール川との国境くらいだった。
とりわけウラジオストックより西側のハザン地区は北朝鮮と国境を接し、ちょっと北側へ回れば中国の軍春である。
二ヶ月準備期間があった。第一にロシアのヴィザをとらなければ行けないが、これに一ヶ月を要する。つぎに肝心のハザン地区へ行けるかどうか。ポシェット港、ザルビノ港を見学できるか、どうか。
直前にこの地区に入ったNHKが追い出されたと聞いていた。旅行社を経由してロシアに打診したが、「審査」に最低一ヶ月、そして土壇場で蹴られると旅行そのものが成立しなくなる。というわけでハサン地区はあきらめ替わりにナホトカを加えることにした。
事態の変化はつぎのようである。
東西冷戦が終了し、ロシア極東軍は削減され、しかも北朝鮮から露西亜軍事顧問団は引き揚げた。北は最大の保護者を失い、唐突に北京へ秋波を送る。
一方、中国の経済力が著しく飛躍し、北朝鮮も経済の飛躍が政治安定を招くのではと経済改革を模索しはじめた。日本の財界が主導した「日本海経済圏」の思惑とも合致してロシア、中国、北朝鮮の国境付近の大開発が決まり、かなりのインフラ建設が進んでいた。十年前までの話である。
中国側は「図門江開発」、北は「豆満江開発」。そしてロシア側は「ハサン地区開発」(ザルビノ、ポシェット両港を含む)とそれぞれ名称こそ違え、経済交流による相互発展目的は温度差があったが、基本的に共通目標だったのである。
数年前にも中国からポシェットへ鉄道が通じたというので軍春へ見学に行くと、工業団地が造成されており、中国企業、韓国企業にまざって日本企業が三社ほど進出していた。
延吉から高速道路工事が進み、あたり一面が普請中だった。開発ブームは各地にクレーンを林立さえ、ブルドーザが動き回り、輝かしい未来を予感させていた。
ところがその後、北朝鮮の苦境と核開発が状況を激変させた。
第一に日本企業が拉致問題の露呈と核開発に嫌気して進出意欲がそがれ、積極性を失う。
第二に中国は北朝鮮へ直通ルートをつくり、ロシア側の港湾へ鉄道をつなげたものの昨今は北朝鮮の羅津、先鋒開発に重点を移した。つまり中国は北朝鮮を経済植民地となし、ロシアを袖にする野心を露わにしたのである。
第三にロシアは中国、北朝鮮への鉄道接続ルート強化に乗り出し、ちぐはぐに対応をみせた。
第四に韓国が間隙を縫って各方面に浸透していた。
そこである日、モスクワからプーチン大統領(当時)がウラジオストックへやってきて、「シベリア極東大開発」の号令を出し、状況が一変する。2014年ソチで冬季五輪。ならば極東の目玉を2012年、ウラジオストックでのAPEC。そのために大開発が必要というわけだ。
怪しい旅行団の結成にはそうした経緯があった。
(続く)
天然ナチュラルガールに話題でGreeで評判うなぎ上りのマタギガール。
暖かくなり動けるようになったのか、ジジババどもが片足つっこんでいた棺桶から這い出してきた。
朝もはよから、うろうろ満員電車に揺られてどこへ行くのだ?
いいかね?
あんたらが椅子に座っているから、いつもは座れた労働者が座れないのだ。
それにレジャーに出かけるなら電車が逆方向だ。
よく考えてみてほしい。
あなた達がこうやって出かけられるお小遣いの年金は、
他ならぬ私たち若者がこうやって働いて稼ぐ給料から払われているのだ。
さも当然のように偉そうな態度をとらないで欲しい。
電車で立っていろとは言わない。
もう少し控えめに。
樟脳のにおいが立つタンスから出したてのジャンパーを羽織り、
薄い頭髪を隠す派手なエンブレムの入った野球帽。
夫婦なのに目を合わさず妙に離れた距離。
今年もまた二人で出かけられることをもう少し喜べ。