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はてなキーワード: 「道」とは

2013-08-20

韓国茶道魔法瓶を嘲笑う人はそもそも日本文化が分かってないのでは

やや旧聞に属するが、「韓国茶道では魔法瓶を使う」というのが、はてなにこにこ動画2ch等で話題になり、

茶道なのに魔法瓶wwww」ってな感じの嘲笑のコメントが数多くついていた。

(これね→http://www.nicovideo.jp/watch/sm21555732


そうしたコメントの多くは「フイタwww」のようなものだが、

「フイタ」理由として挙がっていたもの最大公約数的にまとめると、

韓国茶道にはわび・さびはないのかwww」ってのと

韓国茶道には威厳ってものがないのかwwww」ってのになると思う。

しかしこれらは日本文化を多少知っていれば、どちらもおかしいと分かる話だ。


まず前者のどこがおかしいかであるが、そもそも「お茶を飲む」という習慣はお茶原産地である中国ではじまり

それが日本韓国を初めとして全世界へと広がったものである

そして日本にきた段階で始めてお茶がわび・さびと結びつき日本茶道ができあがっている。

(珠光が結びつけ、利休が完成した。)


から日本以外の国のお茶にわび・さびがないのは当たり前の事に過ぎない。

わび・さび日本特有の(だからこそ誇るべき)文化なのだから

韓国茶道にわび・さびがないといって嘲笑するのは、

イギリスティーパーティにはわび・さびが感じられないといって嘲笑うのとたいして変わらない。


しか日本茶道の習慣は相当極端な部類に属するものである

私自身はその極端さ故に茶道に惹かれるのだが。)


昔読んだ本によれば、江戸時代、茶人といえば変人代名詞的な側面があり、

極端な例になると、わび・さびを演出する為に新しい茶碗をわざわざぶち割り、それを修復したり

したそうだ。


利休自身、たった2畳しかない茶室・待庵を作るなど極度のミニマリズムに走っており、

お茶を飲むだけの為にこんな狭い部屋に入らねばならない理由は

日本人ですら理解する人は少なそうだ。(だからこそ江戸時代変人扱いされた。)


私自身は利休の茶道を一切の無駄をそぎ落とした素晴らしいものだと思ってはいものの、

日本のこんな極端な文化を基準にして他国のお茶文化を嘲笑うのは

さすがに無茶としか思えない。



次に「韓国茶道には威厳ってものがないのかwwww」って意見に関して。

韓国をはじめ海外お茶の習慣はよく知らないから断言はできないのだが、

冷静に考えてみれば分かるようにそもそもただお茶を飲むのに威厳を要求する方がめずらしい文化

なんじゃないか


日本では茶、武、芸、香などのように

「道」を求める文化があり、それは禅が関係しているそうなのだが、

禅は仏教の一形態に過ぎないのだから、他の東洋の国が同じような文化を持っているとは限らない。


それに日本茶道秀吉をはじめとした権力者と結びついていたが故に威厳を求められた

という事情もあるだろう。


であるなら、歴史文化が違えば、威厳なしでお茶を飲む茶道だってありえるはずなのだ



…という事情を鑑みて、韓国魔法瓶の件を振り返って見ると、

ある点においてかなり合理的ものである事に気づく。

だって、多かれ少なかれ茶道というもの礼儀作法であり、おもてなしなのだから


丁度フランス料理を食べるとき作法が一通り決まっているように、

食事やお茶礼儀作法と結びつきやすい。

であるなら、魔法瓶お茶を飲むときの「礼儀作法」が「茶道」として

きちっと決まっているならそれはそれでよい事ではないか

魔法瓶お茶をさめないようにするのもおもてなしとして理にかなっている。


一方日本茶道魔法瓶のような現代日用品を使った場合作法について

何も教えてくれない。

日本茶道古典化による魅力を醸し出してくれる分、

近代には対応できていないのだ。




最後一言

人間、どうしても自分が学んできた事・知っている事に縛られてしまい、

外国文化を自国の文化を基準にして裁いてしまうという愚行を犯しがちだ。


だが今回の件はそれ以前の問題として、そもそも自国の文化にすら詳しくないが故に

起こってしまった誤解のように思える。


自国の事すら知らない人がなぜ他国の事を裁けるのか。

他国を判断したければまず自国について知らねばならないのではないかと思うのだ。



付記:

こういう記事を書くと「茶道韓国起源説が~」というレスが沢山つきそうだが、

そういったものとは別次元の指摘だと理解していただけると思う。

韓国起源説には詳しくないが、もし茶道韓国起源だという主張があるなら

その主張はもちろん歴史に反したものだ。

2013-07-13

エロ島、リリーフするってよ(第一話)

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第一話:エロリリーフするってよ

エロ島が起きたら、そこは白銀世界ではなくて、ただのせんべい布団であった。

エロ島は、給与の安いがプロピッチャーであった。

プロ野球選手の寮を起きると、彼は階段を降り、

寮母に挨拶をして、ベンツの400系の中古車に乗り込んだ。

ベンツエンブレムキーちゃぶ台から取るというシュール光景

につづき、築後35年の寮のキシキシ軋む階段を降りる。

この階段はその後億プレイヤーとなった、先人たちが通った

まさに「道」というか「階段」であった。

ベンツエンジンをかけると、エロ島は練習場へと向かった。

エロ島の貯金は29歳で4000万、年俸が1200万のエロ島に

とっては多くは無い額だ。エロ島、名前が指すとおり、エロい

高級風俗通いがたたって、この貯金額だ。

べつにピッチングの指使いがエロく、なめやかしいということでもなく、

モテるエロさを持っているわけではない。

ただ、本当に名前エロ島であった。カタカナエロ島。

エロ島、江ノ島にも聞こえなくはない名前だが、その様な海の男の

背格好をしており、昔から声と背がでかかった。

野球を初めて直ぐに、素質は開花し、無骨ながら速球とフォーク

勝ち上がってきた。

彼はプロに入ってからは、リリーフとして活躍している。

長いリーグ試合で、80試合は投げる。

今日も、球団バイナスターズは、先発が崩れ、エロ島はブルペン

向かう。あまり、投げ込まない。

そろそろやばいコーチが告げる

リリーフエロ島で」

すると客がざわつく

エロ島がリリーフするってよ。」

エロリリーフするってよ。」

TwitterRTされまくり、急遽ツイート数のランキングトップ入り、

急遽、エロ島のリリーフされるという事はこの国の0.01%ぐらいの

人にとっては大変重要なことで、RTされる。

何故か?

それは、ただ名前が変だからだ。

江口でも江ノ島でもなく、エロ島という名前で生まれ、その名前

彼は球団に登録した。

そのエロ島がリリーフするという時には客が面白がって、

このセリフを呟いた「エロ島、リリーフするってよ」

それが、RTされRTされ、ただ、それがただただRTされる。

そして、ランキングが上位になり、「エロリリーフするってよ」

は多くの目にするキーワードとなる。

野球はグー・チョキ・パーでできている。」

エロ島の口癖だ。

グーは直球、チョキはフォーク、パーはパーム

彼はその球種を投げ分ける。

が、エロ島は大したコントロールもないので、バイナスターズは負け、

バイナスターズは19連敗。

泥沼最下位位一直線だ。直線的に、最下位が決まる。

エロ島はマウンドを降り、ユニフォームを脱ぐと、

ベンツに乗り込み、今日の夜のブルペンに向かう。

捨て台詞をはきながら。

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第二話 : 「エロブリーフぬぐってよ」

エロ島はアンダースコアブリーフを脱ぐとエロエロになる。

夜のシンカーと、夜のスライダーを駆使し、えろえろ。嬢はメロメロ

やかましいわ。

<終わり>

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2013-01-27

仕事休めない病

私は社畜反対派。有給は全部消化すべき派。

そして病欠有給とは別にしっかり取るべき派。

昔は自分も体調悪くてもサビ残上等の奴隷働きをしていたが、すっかり嫌になった。

 

仲の良い友人が一人いる。真面目なヤツだ。

仲は良いのだが、仕事に対する意識が私とどうしても合わない。

今日も「38度の熱が出た」とメールが来たので、「インフルエンザかもしれない、明日病院へ行け。仕事は休め」と返した。

だが友人は全く休むつもりは無いようだ。

経験上この部分で押し問答しても無駄で、雰囲気が悪くなるばかりなので、それ以上はこちらも言っていない。

 

しかし、どうしても本当は休んでほしい。

そうでないといつか、折れてしまう日が来るからだ。

現に友人は、休日出勤して辛いという旨のメールを時折寄越す。心底辛そうである

話を聞く限り、友人が休めば確かに会社は困るだろうが、いきなり潰れるような中小企業ではない。

友人も、そういう重要立場なので、いきなりクビになるような状況ではない。

だったら!

なぜ!

休まない!

 

分かっている。それが友人の「道」なのだ

だが「道」を貫いているという達成感のようなものは、友人からは感じられない。

ただ辛いばかりの「道」だ。

そんなもの、見切りをつけろよ。捨てちまえよ。

病気仕事休むのは、何の罪でもないんだって!!!

2012-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20120602170815

A「言われてみると、恋愛もうまくいったことがありません」

C「君には人を信じる気持ちが足りなかったんだよ」

A「そうだったんですか……」

C「私を、我が社を信じなさい」

A「はい、救われました!!!!」

C「では、新しい『仲間』を作るために今日サービス残業ね」

A「はい!!!

どんな宗教だよ 労「道」教か

2010-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20100816002814

あなたの現在の状況には、あなた自身の実力よりも景気の影響の方がずっと大きいんだ、ということは前提として。

スキルっていうのは、何でもいいからたくさん身につければ戦闘力がアップするアクセサリじゃないんだ。

自分がやりたいことをこなすために、不可欠な土台となる力のことだ。

就職面接ですごいと思わせるため」に身につけようとするのは、アクセサリってことだよね。

その時は真剣に取り組んだんだろうけれど、そんな飾りのようなスキルと、「これを身につけなけりゃ次が無い」と思って得たスキルって、なんとなく区別つくんだよ。

例えば、遥かな高みへと続く道の一里塚としてスキルをとらえてる人は、「自分にはどこまでできて、どこからできないか」を知っている。

その道を見上げれば「すごい」人はいくらでもいて、自分の実績なんて塵のようなものだということを分かっている謙虚さと、自分ゼロからは確実にこれだけ登ってきたんだという自信を同時に備えている。

雇う立場としては、よっぽど飛び抜けた天才でもない限り、新卒スキルそのものの絶対値にはあまり期待しないよ。けれど、「道」が見えていて、自分がどこにいてどちらに向かっているかを知っている人とは、一緒に仕事したいと思うね。


でも、あなたはただの飾りのために1年の時から頑張ってきたんじゃない、と信じたい。

書く仕事、あるいは編集する仕事に、魅力を感じていたから、頑張って来たんだろう?

この世界は、どう転んだって書くことから離れられない、そういう病に憑かれた人が来るところだ。

そのつもりなら、これまでやって来たことが無駄なわけ、ないじゃないか。

2010-03-01

はてなブックマーク - 「仕事人生」以外の価値観は認めないw。 ニート海外就職日記

ttp://b.hatena.ne.jp/entry/kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-341.html

日本では労働が「労道」になってしまっている。本来は単なる収入獲得手段なのに、精神性や自己実現といった意味付けが過剰に。言い古されたことだけど、日本人は何でも「道」にしてしまう。

2009-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20090228140441

レスだけど、「道」というものにはそれはそれでまた一片の存在意義がある。決してオカルティズムではないものが。

そのことを知らないとしたら、それは単なる物知らずだよ。

2009-08-16

オタク

それとは別の話だが、なんかおっさんオタクの、「道」みたいな修行っぽいオタク観はなんとかならんのか。

つうか、オタク趣味アニメゲームライトノベル)が好きだが、そういうわけで一般人からはオタクとしてみられるが、

しかしオタクコミュニティとか、服装・しゃべり方をキモイと思う層ってのは、決して少数派じゃないんだが、

どちらの目にも入ってない、声が届かない、という気がする。

ライトオタクとかいう言葉があるが、それも修行っぽいオタク観から見た用語で、「濃く深く」なる途中という

捉え方だ。そうじゃないっつうの。

オタク的行動様式が嫌いで、そういう内輪と別なところにいる、ということは、趣味において知識関心が深いかどうかは独立だろう。

そこを一緒くたにしてるあたりが傲慢だ。

消費者としてのオタク生産者としての側面もあるオタクという捉え方も、古いオタクの観点からの差別目線が入っている。

実際、かならずしも生産者側になるひとは、オタクっぽい行動様式・共同体にはまってた人じゃない。

内輪受け大好きで、トリビア大好きで、コンプレックス満載というステレオタイプを、自分たちでも肯定して強化するというのが、健全だとは思えないよ。

2009-07-20

ライフハック】 モチベーションアップは5W1Hで!

PDCAデスクトップ付箋 」http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/081115/n0811151.html

インストールして思ったのだが、

何か作業がはかどらない場合、モチベーションが上がらないのは、その計画の「道すじ」(見通し)がはっきりしないからではないか。

それをPDCA5W1Hではっきりさせれば、モチベーションを上げることができる。

さらに、「How」の部分を、より詳細に計画することで、計画の道筋をよりはっきりさせることができる。かも。

・What (なにを。対象。操作対象)

・When (いつ。時間タイミング)

・How (どのように。いかにして。手段。実現方法)

  <予想困難ポイント

  <その解決案>

・Where (どこで。場所。舞台)

Who (だれが。人物。行動主体)

Why (なぜ。なんのために。目的。理由)

・by Whom (誰のために)

Who with (誰といっしょに)

2009-02-28

日本社会蔓延る誤った「学問信仰

http://anond.hatelabo.jp/20090222224732

のブクコメを読んでいて長年疑問に思っていた思いがようやく氷解した。どうして自分が今までいわゆる「大学人」に対して反感のような思いを抱いてきたのかが。

彼らは「大学学問の場である」っていうドグマに囚われすぎていて、「何か学問らしきこと」さえやっていればそれでおkと思っちゃている節があるんだ。まるっきり眼が社会に向いていないのよ。まるで日本の「なんとか道」の考えそのまま。

物理学道」や「数学道」、はたまた最も社会と繋がっていなければいけない筈の経済学ですら「経済学道」に昇華させてしまう。頭の中で勝手世界を作り上げて、現実とかけ離れた美しい学問世界があるものだと妄信している。「道」は辛い修行を経なくてはいけないから、人生を楽しむという発想はまったくない。

「我々の国では、Joy of Life (生きる喜び)を何よりも大切にし、それがすべての価値の基準になっている。それを僕らはJoie de vieと言うのだが、それがこの日本に来てからこの国には全くないのではないかと、僕はいぶかしく思ってきた。」「街を歩いている人も、電車中の人も、生気がなく、何かを楽しんでいるようには到底見えない」「それはどうなんだ、ホントのことを教えてくれ」(http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20090222/1235270656)。

研究「道」なので、当然生活のすべてをささげなくてはいけない。

「道」だから大学大学院という教育サービス受け手(要はお客さん)である学生に対して、「学問自分で掴み取るものだ」なんて厚顔無恥台詞が平気で出てくるし(http://d.hatena.ne.jp/mfurubayashi/20090227)、学生自分弟子か何かと勘違いしてしまう。「道」なので、学生学位を取ったら当然師匠である自分には謝礼を支払うべきだと考えるし、それを恥ずかしいことだとすら思わない(http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200902040233.html)。

自分研究室に在籍していた人間のことを「弟子」なんて言葉で言うのは、日本人だけ。恥ずかしいからやめような、それ。講演などで、「私は海外のなんとか大学のなんとか学の権威のなんとか教授弟子でありまして」なんていうのは、聞いているこちらが赤面してしまうよ......。

社会を見ていないから、研究は当然「役に立たない」。むしろ役に立たないことを何かの誇りのように考えている節すらある。企業ドクター学生を嫌がるもの当たり前の話。「一生懸命勉強しましたねー。んで、君何が出来るの?」って聞かれても、何も出来ないんだもん。それを指摘されると真っ赤な顔をしてファラデーを引用する。

「生まれたばかりの赤ん坊がなんの役に立つのでしょうか?」

そうだね。未来がどうなるのかはわからないよね。でも、多分君の研究はうちの和室にある畳の目の数と同じくらい、どうでもいいことなんだよ、社会にとって。君の口から出るファラデーの台詞は、今ある現実に少しでも影響を与えたくて、散々苦しんだ末に出てきたものじゃないんだよね。君は自分でもよく意味の分かっていない偉大なファラデーの台詞に甘えているだけなんだよ。

研究に莫大な国からのお金が出ているのは、それが社会に対して有用であるからなのに、成果を還元する気がない。というよりも、還元できる成果がない。先の見えない研究を延々と繰り返すだけ。何の戦略もないし、思想もない。なのに、武士と同じで、食わせてもらって当然と考えているんだ。

アメリカでは修士以上の学生に対しては、生活できるだけの収入が保障されるけれど、日本学生にはそんなもの払う必要はない。弟子ですから。向こうでは大学がきちんと産業コミットできていて、研究が真に意味のあるものになっているから、修士であろうがなんだろうが、きちんと収入を手にすることが出来る。博士号をとった人間が、きちんと成果を社会還元しているので、いい流れが生まれている。就職もきちんとできるし、学歴が高ければ高いほど、よりよいポジションを得ることが出来る。

日本では弟子就職活動をしようものなら、「師匠」が必死に邪魔をする。研究のほとんどをろくな審査能力のない国というパトロンに頼っているので、学生企業に送り込むことが出来ない。一度教授になると、いつまでたっても大学という唯一の居場所にしがみ付く。そして、そういう人間しか大学に残れないから、負の連鎖が続きますます大学は陰湿でヒステリックな場所になっていく。騙されてドクターに進んでしまった学生は、すぐに自分の現状に気がついて愕然とする。必死に就職活動しても、ほぼ間違いなく修士学生よりよい条件で職を得ることはない。

まともな人間はある程度割り切って、あっという間に就職するか、海外大学院に行ってしまう。

何十年たっても、大学は常に変わらない。

2008-12-24

勉強ができる=頭が良い?」について

 このところ「頭がいい」「勉強ができる」等の話題が盛り上がっているようですね。まったく、"頭の良いみなさん"にとってはくだらないですね!

http://anond.hatelabo.jp/20081221200806

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51155897.html

http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20081223/1230002249

...etc

 「頭がいい」という単語を聞いて思い出したのは昔読んだ、塩野七生の文章でした。

塩野七生の「男たちへ」(文集文庫)の第1章「頭の良い男について」(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167337037)にこんなことが書いてあります。

 つまり、ここで言いたい「頭の良い男」とは、なにごとも自らの頭で考え、それにもとづいて判断をくだし、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張に凝り固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く深い洞察力を持つ男、ということになる。

 この前後の文章もおもしろのですが、「頭の良い男」について抜粋しました。ぶっちゃけ、この基準はかなり高いですね。

 さて、この方(http://anond.hatelabo.jp/20081221200806)をこの基準で判断してみましょう。

まず、「そう思って生きてきた」という言葉から察するに、「自らの頭で考え」てはないですね。

いきなりアウト!おもいっきり偏見にとらわれていますね。

さらに、柔軟性はあまりなさそうですね。さらに、洞察力は多少はあるかもしれませんが、「鋭く」も「深く」もないですね。残念!

きっと、「教育はあるが、教養はない人」なのでしょう。

でも、心配することないですよ、これは塩野七生の言う「頭が良い」の基準に照らし合わせてみただけですから。

それに、この基準に照らし合わせて合格点をもらえる男はそうそういないですから。

 ところで、読書家であらせられるDanさんは水村美苗は読んでも、塩野七生は読まないんでしょうか?

そんなことはないですよね!たぶんお好みではないだけですよね。

 さて、この手の話題は「くだらない」の一言で捨て置くべきとこですけど、この手の話題があまりに多いですね。

そして、自分では独特であると思っている持論をふりまわす人もまたしかり。

脱オタファッションスーツだ!」とか。これまた塩野七生に言わせれば、論外でしょうね。

詳しく知りたい方は塩野七生の「男たちへ」「再び男たちへ」あたりを読んで下さればわかるはずです。

 この手の話題を「はだかの王様」的ネタとして、

「本人はもの凄い名刀を持ってるつもりだろうけど、それ、木の棒だからwww

と笑って消費していくのも一興ですが、せっかくですからちょっと思うところを述べてみましょう。

 この手のくだらない文章に接する都度思うのが、「この人はきっと本をあまり読んだことがないのだろうな。」という印象です。

話題を盛り上げるために、あえてそんな印象を抱かせるように書いてある場合もあるんでしょうけど、そうでない方が多いのでは?

もし「あえて」ならば、その方はなかなかの策士で文才がありますね。

 今回の「勉強が出来る=頭がいい?」なんて問いですが、これ、小説なりなんなりでもよく取り上げられる話題ですよね。

山田詠美の「僕は勉強ができない」(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101036160)なんてそのままじゃないですか。

 

 きっと人々は文明ってヤツが生まれてから、この問いを何度となく繰り返してきたはずです。少なくとも「学校」ができてからは。

私は塩野七生の「頭が良い」の定義がなかなか気に入っているので引用しましたが、他の人のでもいいでしょうね。

荘子もこの問いについてはいろいろと語ってくれています。ただ、「頭が良い」ではなく「道」についてだけど。

探せば、この問いについて多くの主張を古今東西、古典から現代に至るまでにたくさん見いだすことができるはずです。

つまり、いままでさんざんいろんな人が考えてきたことなんですね。「だから、自らは考えなくてよい」というのではありません。

もちろん考えるんですが、こういう「論理だけでは考えきれないこと」に関して、

たかだか数十年の経験をよりどころにして、数分間の考慮の結果を主張する前に、

何千年と人類が考えてきたことをちょっとは参考にして欲しいなぁと思うのです。

 

 いままで人類が考えてきた遺産を参考にしないなんてのはなんとももったいない

その結果、「勉強が出来る=頭がいい」と結論付けるなら、それもいいでしょう。

ただ、そのときはこんな薄っぺらな文章http://anond.hatelabo.jp/20081221200806にはならないでしょう。

というわけで、薄っぺらな文章を書く前に、人類の遺産を少しは頭の隅っこに入れてみてはいかがでしょうか?

 長々とくだらない話におつきあいいただきありがとうございました。

ちなみに、私は「頭の良い人」でもなければ、「読書家」でもありません。

そうなりたくはありますが。

2008-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20081116204707

世の中の複雑さ(あらゆる価値観レイヤーが複合的に折り重なっていること、あるいは、「世界」の運行は一個人の意思とは無関係であること)に気づくことと、単に無原則に妥協を重ねて生きていくことは全然違うと思うよ。

己の信じる確固たるもの(「道」)を持ち、かつ、それが「世界」から見れば相対的でしかないことを自覚しつつ、それを同時に抱えて生きていくべきなんだろうと、最近は思う。

ちなみに、同じく二十台中盤。

2008-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20081113174208

趣味をすぐに「道」にしたがる偏屈な奴かも。

あるある(笑)

そう言う人ってどこで出会うつもりなんだろうなのかね

そのうち、

趣味のために集まったのだから、(同性同士でも)友達になるつもりもありませんし、飲み会にも行きません」

とか言い出しそうだな

2008-11-01

どんづまりに関しての考察

最近よく思う。

「もうだめだ。行き詰った。人生八方塞がりだ。どうにかしなきゃ」

行き詰ってるのは例えば生活とか、キャリアとか、人脈とか、向上心とか、まぁ色々なんだけれど。

こういう状態を自分は「どんづまり」と呼ぶのだけど。

このままじゃホントダメだ…ダメダメだ…自分がこの先生きのこるには?とか考えていて、

で、ふと思った。

「行き止まり」と「どんづまり」は語感は似ているけど違うな、と。

進んでいるときに突如行く手が塞がると「行き止まりだ」と感じる。

でも、進んできたんだから最低限「道」はある。

左右に道があるかもしれない。後ろに下がってみてもいい。何か見えるかもしれない。

「どんづまり」は、つまるところ、

自分が怠惰で動かないでいる間に周囲が動いていて、気付いたら東西南北上下左右、みっしり動けなくなっている状態かな、と。

動く方角がわかんないんだよ!ってのはもっともな言い訳で、でもそれは自分の為にならないかもしれない。

動かないと見えない景色や道もあるよね。もちろん未知の危険に遭う確率も上がるけれど。

結局、未来はだれにもわからない。だからとりあえず動けよ。

まぁ結論としては

「どんづまりだとか悩んでる暇があったら、とりあえず自分の好きなもん見るか食うために外出ろ」

見えなかった道が見えるかも。

2008-08-18

頂点で辞めるアスリート

北島とかが辞めるとか言ってるのを見ると、スラムダンクジジイ監督

「優勝したら次は連覇や。ジジイはいささか疲れたわ」

っていうセリフを思い出してしまう。

40代銀メダル3つ取った水泳選手もいれば、30代でマラソン金メダル取ったり、

選手生命って割と精神的なものに左右されるように思うんだよなぁ。そりゃ限界はあるだろうけど。

だから一度王座から退いてもまだまだ現役でやっていけるってのに、どうも世論的には

「はい、もう終わり」

みたいな印象を持ってるんだよなぁ。

そういう世論に対してジジイは疲れたんだろうな。たぶん。

相撲力士横綱になると後は引退しか道が無いように

日本人は他のスポーツもそんな目で見ているんじゃないだろうか。知らないうちに。

井上康生だって鈴木桂治だって、本当はもっとできるんじゃないのかなぁ。

本当の柔道って「道」が付いてるだけあって、半分以上は経験なんだろうし。知らんけど。

剣道八段は神の領域だとか昔聴いたぞ。ジジイしかいないのに。

まぁ、続けるのは大変だろうけどねぇ。

頑張れとはとても言えないけど、少なくとも俺は北島康介クイズ番組に出てアホ解答してるとことか見たくないなぁ。

2008-03-26

孤独だが引きこもりではない人間休日の過ごし方

社会人1年目(23歳)。地方県庁所在地一人暮らし恋人・友人はいない。

何の予定もないので家でごろごろすることも可能だが

そうはさせない。

「予定がない」

おれはこれを「完全なる自由」と肯定的に捉えている。

何も考えずに出かけることが多い。

大体休日は朝8時から9時に家を出る。

自転車

適当に街を行くと喫茶店があるのでそこでコーヒーたばこ漫画/小説

喫茶店は行き着けの所に行くこともあれば新規開拓もする。

内装音楽の雰囲気がよくて一人で来てる奴(服装に気を遣う人間スポーツ紙を読んだりしない人間限定)が多ければあたり。

ジジババの溜まり場だったり内装にこだわってなかったりテレビあったりしたら全てハズレ。

味は二の次。雰囲気さえよければいい。

新規開拓はリスクが高いのです。

(余談だが喫茶店に関して、今まで行った店は開店時間内装音楽など分かる(調べられる・聞ける)範囲は

全て記録している)

閑話休題

持ってきた本やたばこやむかつく客の来店等で滞在時間は変わる。

早ければ30分、遅ければ2時間ほど。

その後どうするか?

さすがに飲食店はないからここで本屋コンビニですよ。

本の種類ってはんぱじゃないよ?

いくらでも時間つぶせる。

まあ1時間としようか。

まあ大体11時から12時くらいになってるわな。

腹は減ってないよ。朝飯食べて家出るからね。

ここで運動です。

ここは地方都市

そして俺の乗っているのは自転車

どんな路地にも入っていける訳です。

景色芸術品と同等に捉えている自分としては「道」そのものが美術館のようなもの。

通ってない道や雰囲気のいい通りをキョロキョロしない程度に味わうわけです。

ひからびた民家や小汚い子猫貧乏くさい料理のにおい、寺の地面に舞い散る落ち葉

その全てが鑑賞に堪えうるのです自分にとっては。

国道沿いはサイアクだね。国道でも県道でもない、

いわゆる「車で走りにくいクソ道」が一番いい)

道も喫茶店と同様いきつけと新規開拓があるため、

「一応」地図携帯。これは迷ったとき用。

「おやこんなところに道があるぞどれどれ?ふむ、これはいい道だ」

というシチュエーションが好きなのです。

まあ、どっちにしても30から40分くらいか。

そんなこんなで小腹も空きました、と。

次に行くのは洋食店もしくは古汚い食堂またはラーメン屋な訳です。

洋食店はカップル・小汚いジジババがいないことをせつに願いつつ来店。

煙草は吸わず、置いてる雑誌新聞週刊誌を読む。

適度な満腹感が非常に心地よい。晴れの日ならさらに。

まだ昼。

ここからが孤独にとっては難易度が高くなる。

カップル・友達・家族連れの出現。

何かに時間を挟み3時から4時に喫茶店に行くわけだが、ここの時間の使い方。

図書館本屋レコード屋(文字通りLPとかの普通レコード屋)・たばこ屋は一人で問題ないが服屋(路面店)。

こいつが厄介。

「一人で来ている客がすでにいる」

ことが条件だからだ。

いればあたりでいなけりゃはずれで。

こいつばかりは運試しだ。

その後、またも風景を味わうために自転車でとばす。

途中新規開拓できそうな店を見つければ寄る(書き忘れたが1回目の風景探索でも寄る)。

そうしていると3時から5時になっている。

喫茶店だ。

あたりをひくことを切に願う。

できるだけ長くいたいからな。

出ると日も暮れている。

スーパー野菜や肉を買い、その時点で空腹感がかなりあれば外食(行く店は前述)。

あまり減ってなければ喫茶店もしくは家で適当料理

家では読みかけの本やRSS・行きつけサイトニコニコ増田ホッテントリの巡回。

こうして休みの一日は終わる。

寝っ転がって昼寝してテレビ見るだけの人間にだけはなりたくない。

2007-09-09

日本において哲学は…

日本において哲学は「純粋学問」として独立していない、というハナシがあった。

日本において哲学は、○○についての「道」という形で、必ず具体的なものとの連関で語られるということ。そう考えると日本にはあまりにもユニーク哲学者が多すぎるとも言える。柔道剣道武士道合気道茶道華道書道漫画オタク道……全部その中には「哲学」が一体のものとして内包されている。

だから「日本には『代表的な哲学者』はいない」というのが答えになると思うけど、それは「哲学がない」というのとはちょっと違う。うちの町内には「おにぎり屋」がない、というのと、うちの町内には「おにぎり」が売っていない、というのはイコールではない。コンビニあるじゃん、みたいな。あまりいい喩えじゃないけどな。

なんでそうなのかというと、日本思想伝統的に一元論的な思考法を取るから、たとえば「現実と理想」をわけて理想のみを語るということをしてこなかったんだよ。必ず現実『のなかに』理想がある、という思想法をしてきたわけ。だから、理想を語る『ために』現実を語るという方法でしか理想を語ってこなかった、ということ。だから、上のたとえを見て「コンビニおにぎりおにぎり屋のおにぎりに劣るじゃん」という風に考えるのでなく、両者は別物と考えた方がいいと思うんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20070908181206

2007-04-05

弓道やろうぜ

弓道ってのはやっている人の生き様が現れるね。生真面目な人はぱっと見きれいな射形をしているけど詰めが甘くて離れの瞬間に全部が全部崩れちゃう。まあ俺なんだけど。んで俺から見て人間ができている人は隙がない上に無駄もないやたら合理的でそのくせ「ああきれいだなぁ」と思える射形をしてる。加えて的中もよくあるってんだから驚きだ。正射必中とはよく言ったもので善き射は善き的中をもたらすのであると胸に深く刻まれている。弓道はその人の人生を矢を射るという行為に凝縮しつくして分かりやすくまとめてくれるある種哲学めいたスポーツだ。はじめこそ人を射殺すための技術であったのにその目的を失った今では自己鍛錬をモットーとした老若男女に開かれた一つの「道」となった。そうなるほどによくできたスポーツなのだ。例えるなら、射形は意識的な人との接し方を表し、矢の発射は無意識的な行動を表し、矢の飛んだ結果はすなわちその行動の結果である。おおざっぱに言えばめちゃくちゃな射形の人は人との接し方もけっこうテキトーであるしやたらゆっくりと慎重に弓を引く人はまじめながらに優柔不断淡々と引く人はさばさばした印象をもっている。引く人の人柄と射形を無理やりこじつけただけであるかもなと自分で思うがその意図を超えた哲学が確かに存在していると思えるのが弓道なのだ。やったことのない人、ひとつどうですか。袴姿の女の子はいいですよ。まあ男の袴姿もおすすめしたっていいけれどせいぜい風になびく袴がかっこいいかもねぐらいの気休めしかいえません。

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