日本において哲学は「純粋な学問」として独立していない、というハナシがあった。
日本において哲学は、○○についての「道」という形で、必ず具体的なものとの連関で語られるということ。そう考えると日本にはあまりにもユニークな哲学者が多すぎるとも言える。柔道剣道武士道合気道茶道華道書道漫画道オタク道……全部その中には「哲学」が一体のものとして内包されている。
だから「日本には『代表的な哲学者』はいない」というのが答えになると思うけど、それは「哲学がない」というのとはちょっと違う。うちの町内には「おにぎり屋」がない、というのと、うちの町内には「おにぎり」が売っていない、というのはイコールではない。コンビニがあるじゃん、みたいな。あまりいい喩えじゃないけどな。
なんでそうなのかというと、日本の思想は伝統的に一元論的な思考法を取るから、たとえば「現実と理想」をわけて理想のみを語るということをしてこなかったんだよ。必ず現実『のなかに』理想がある、という思想法をしてきたわけ。だから、理想を語る『ために』現実を語るという方法でしか理想を語ってこなかった、ということ。だから、上のたとえを見て「コンビニのおにぎりはおにぎり屋のおにぎりに劣るじゃん」という風に考えるのでなく、両者は別物と考えた方がいいと思うんだ。
どういう方がいますか?
日本において哲学は「純粋な学問」として独立していない、というハナシがあった。 日本において哲学は、○○についての「道」という形で、必ず具体的なものとの連関で語られるとい...
日本は哲学研究者、哲学者研究者ばかりで哲学者はいないような気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20070908181206 やっぱり、哲学して飯を食うのが至難の技なんでしょうね。日本という国は。
大学の哲学の授業で、学んだことに独自の解釈を加えたら赤点くらってその単位を落としました。 先生、あんたが教えてくれることはもう知ってるって。 オレは知識を貯めることには何...
言いたいことは分かるけど、「それも含めて価値がない」というのが赤点という評価だと思われます。 たとえば「過去にこういう(似たような)論があったが、こういう理由であっさり...
http://anond.hatelabo.jp/20070908182129 哲学的価値って何だろうか。
「あんたが教えてくれることはもう知ってる」というアピールが足らなかったんじゃないかと。勝手な想像ですが。 教養(全学共通)の授業なのか、学科(哲学科)の授業なのかにもよ...
手塚治