はてなキーワード: サンガとは
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) 福岡 伸一
不機嫌な職場 (講談社現代新書) 河合 太介、高橋 克徳、永田 稔、渡部 幹
臆病者のための株入門 (文春新書) 橘 玲
日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書) 竹田 恒泰
わかったつもり (光文社新書) 西林 克彦
いつまでもデブと思うなよ (新潮新書) 岡田 斗司夫
ツイてる! (角川oneテーマ21) 斎藤 一人
日本を貶めた10人の売国政治家 (幻冬舎新書) 小林 よしのり
脳が冴える15の習慣 (生活人新書) 築山 節
「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書) 岡田 斗司夫
世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書) 藤原 正彦、 小川 洋子
TPPが日本を壊す (扶桑社新書) 廣宮 孝信、 青木 文鷹
スーパーで牛乳を買うとき、後ろから買えば新しいのが買えるのは、
充分わかってるのですが、前から買う。
学生時代、品出しのバイトをしてましたが、賞味期限がきた牛乳を
「コノ牛乳ハ、メスノ乳牛サンガ、オ乳ヲダスタメニ、ワザワザ毎年、
交尾ヲサセラレ、子牛ヲウマサレ、オ乳ヲシボラレ、私達ニワケテクレテイルノデス」
オサレ半分、チキュウにやさしい、心のやさしい、ニンゲンタチで一杯です。
ところが、個人個人が、自分のお買物になると、とたんにワレサキに
長い賞味期限の商品を手にするために、棚の後ろのほうへ、後ろのほうへ、手を伸ばしていきます。
本当に食べ物を大事にするならば、期限の近いものから、どんどん消費すればいいと思う。
消費期限が近づいたモノは、順番に捨てられていく。多少の日数が違うくらい、いいじゃない。
賢い消費者からは遠ざかるかもしれないけれど、別に愚かでもいいじゃない。
俺が今の職場で働き出して二年目くらいに入ってきたオッサンなんだが、クソのように要領が悪い。
何をもって要領が悪いというかというと、とことん「必要な質問をしてこない」ところだ。
しかも「何が必要か把握していない」じゃなくて、「必要だろうな^^でも、みんないそがしそうだな^^;よーし、ココは”こう”だろうから、オレがやっちゃおう^^」なのである。
はっきり言って迷惑きわまりない。なにせ業務上反復作業が多いので、一カ所の間違いが多数の箇所に増殖していくからだ。
もう半年のつきあいになるが、今まで何度も何度もことあるごとに「何かあったらなんでも質問してくださいね。」と言っている。
さすがに二年も居れば、元からある決まり事や作業も熟知一歩手前レベルまで把握してる。
(もっと言えば俺が作った決まり事なんかもある訳で)
各々別の担当している仕事があるとはいえ、タイミングによって業務の引き継ぎが発生したりする業種なんだから、元ある決まりぐらいは把握しておいて欲しい。
さらに悪いのは「ちょっとログをさかのぼれば把握できるような規則性」を確認もせず、「やはり質問せず、自分の判断で」独自のスタイル(笑)で仕事を進めていくことだ。
さらにさらに悪いのは、専門職として入ってきたはずなのにその職種のトレンド(使うアプリケーションや技術)を把握していないこと。
「数年前の知識しかないんです^^」とかでごまかせるレベルじゃない。
数年前にしては古すぎるし、その古すぎるツールを使っていたとしても初心者レベルの技術力だし。
まあそこくらいは頑張って身につけてくれたらいいや。と思って放置してたら全然勉強もしてないし。
もうセオリー無視のオールドスクールニュービーがバラマカレタ書類やデータを見ると、はらわたが煮えくり返るという感覚を体験できてしまう訳で。
いやオッサン、「使ってない画像ファイルを見つけ出すツール」なんてオレに聞かずにぐぐれよ・・・、そんなことより聞かなきゃいけないこと山ほどあるだろ・・・。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50815759.html
の書評および『仏教は心の科学』はトンデモ。仏教学への冒涜でしかない。
まず,
ではない。どれが「ブッダの言葉」なのか確証を持つことができない現状では,「ブッダの言葉」は単純でも明快でも痛快でもない。
スマナサーラ氏が自分にとって都合のよいものを「ブッダの言葉」として選び出しているだけ。
そもそもパーリ語はブッダが使っていた言語ではない。パーリ語は西インドやスリランカのプラークリット(方言みたいなもん)。「ブッダの言葉」は現在では半マガダ語もしくはそれに類似するものといわれている。
スマナサーラ氏はスリランカの言葉であるパーリ語へ翻訳された「ブッダの言葉」(それもブッダの死後200年以上を経過して)を「ブッダの言葉」として決めつけているにすぎない。
次,
以下の下りなんて、「それってどこのGeek?」ではないだろうか。
みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだり、音楽を演奏したり、踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しそうだな。天界に行きたいな」と思っているのではありませんか。
でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽の波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽の波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天海の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?
仏教は仏界を目指すものであって天界のような縁起の内側の世界はフル無視で当たり前。こんなので「どこのGeek?」って驚いてたら,弥勒菩薩の世界(トゥシタ天ね)なんかは子供がひざの上から産まれてくる。しかも三歳児の姿で。Geekどころではない。無知すぎ。
次,
いやブッダはつるんでます。ブッダのサンガには多くの仏弟子が集まっていました。それから三宝って知ってますか?仏法僧。仏と法とサンガ。サンガって僧団ね。それに帰依しろと。ブッダがそういって死んだと書いてあるのは,ほかならぬパーリ仏典です。
同じく
パーリ仏典には組織の長であるクシャトリアの帰依の記述がいくらでもあります。
また,
「ブッダの教え」の根本に「出家」なんかない。勝手に決めないように。
次,
パーリ仏典の記述によれば,ブッダ自身が行なっています。デーヴァダッタの仏教を。
勝手なことを言わないように。
最後,
仏教は科学的な教えです。「科学的」とは、どんな人間にも当てはまり、なおかつそれを自分でも確かめられる、証拠があって証拠に基づいた話が出来る。そういうことです。
と思うならば,どうかご自分で原典なり研究書なりを当たって勉強してください。
スリランカやタイやミャンマーの仏教は,日本の仏教と同じく,ブッダの教えをいくつかのフィルターを通して伝えている仏教です。
そうではなく,我々現代人には西洋の人文科学の方法論に基づく,実に科学的な仏教学というものがあります。それに基づいて話をしてください。そのフィルターを通して理解する仏教が,科学的な「ブッダの教え」というものです。