「ちゃぶ台返し」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ちゃぶ台返しとは

2014-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20140718122728

その「ちゃぶ台返しをしてはいけない」とか「前提が共有できないなら首を突っ込んでくるな」とかの俺ルールは何なん?

議論にそんなルールは無いけど。

2014-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20140116160455

そもそも論だいすき!!

まあ「差別っていう方が差別なんですー」に価値があると思うなら

どんどんちゃぶ台返しして頑張ればいいさ

2013-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20130625183854

・・・・いまネットの話しをしてるんでしょう? 本題をちゃぶ台返しされても・・・

ネットの話で、「ネット」という主語で公の場かどうか、という話をしても、地球上と同様ネットの中でも公な場もあれば私的な場もある、という話ですからちゃぶ台返しでもなんでもありませんよ。

 

誰もいない場所で発言しても、その発言は残らないし誰からも見られない。でもネット上では場所さえわかればいつでも誰でもどこからでもその情報アクセスできるし、拡散もできる。

そういう観点からみるのに、ネット上の発言を現実における口頭発言と照応させるのが欺瞞です。ネット上の発言は紙に言葉を書くようなものです。

場所さえわかって、隠蔽されていなければ、不特定多数アクセスできますし、内容を書き写せば拡散もできますね。

 

現実世界と違って、鍵のかかってないネット上に、絶対に誰も来ない場所とか、完全に個人的なスペースなんてないんだよ。

んん? 現実世界も絶対に誰も来ない場所とか、完全に個人的なスペースなんてありませんが。

魔術的手段で術者以外には絶対に認識できないようにする結界でも張っているのですか?

絶対に誰も来ない場所なんてあったら完全犯罪万々歳ですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20130625182729

ネット」という主語がいけませんね。地球は公の場か、みたいな話です。

閉鎖的な場所もあれば、とてもオープン場所もあります不特定多数から見えるけれど、場所自体は個人のスペース、ということもありえます

・・・・いまネットの話しをしてるんでしょう? 本題をちゃぶ台返しされても・・・

誰もいない場所で発言しても、その発言は残らないし誰からも見られない。でもネット上では場所さえわかればいつでも誰でもどこからでもその情報アクセスできるし、拡散もできる。何度も言うけど、これを同列に扱ったり、喩えたりすること自体が極めてナンセンス

現実世界と違って、鍵のかかってないネット上に、絶対に誰も来ない場所とか、完全に個人的なスペースなんてないんだよ。

2012-11-03

チートキャラ

・そこそこのボンボン

スポーツサッカー柔道

・高校時代フランス語を学ぶ

大学時代芥川賞(当時史上最年少)

さら映画化

・その映画で弟が俳優デビュー、のちに国民的人気俳優に。

・自身も映画に主演。

・自らの髪型日本中で大流行させる。

映画監督もやったりする。

ラリーとかヨットとか金のかかる趣味しまくる。

作家業もはずれなくヒット連発。

・本のタイトルやそれをもじった言葉や本人の発言やらが流行語になりまくる。(太陽族,スパルタ教育,Noと言える日本人,etc...)

衆議院出馬したら史上初の300万票でトップ当選

・後に、息子も国会議員となる。

・気に入らない記者にはコップの水をぶっかけやんちゃ

都知事選出馬、当然の当選

・再選

海外メディアから極右と言われる。

・練にねられた案をおもいきりちゃぶ台返しダメだし、ちゃぶ台返しを繰り返す。

・なんだかんだで4選

・80歳を過ぎるもまだ元気。

・突然の辞職。国政復帰宣言 new!

2011-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20111022115648

怒りであれ悲しみであれ喜びであれ、そもそも普遍性のない「感情」に「基準」など存在しない。

どんな事柄においても、それをどう捉えるかの基準は個人個人で全く異なるからだ。

カダフィの死が世界一律で悲しまれたり喜ばれたりしている訳ではないように、全ての感情には人間の数だけの背景と判断がある。

から裁判においても「何人殺したら懲役何年」という決まりなどはない。個人個人の背景や状況で個別判断されるのだ。

故にここでの元増田の「自分感情は基準に沿ったものか」という問いは、あらゆる意味で虚しい。

感情の基準」と「社会の基準」の区別がついていない。

ここで元増田が得られるのはせいぜい数値的、人数的な統計だけで、それが元増田の正しさの証左になることはない。

基準のないもの多数決を取ったところで何の証明にもならないからだ。

ここのログを誰かに見せ、俺の感情は正しいと主張したところで、その人に「こいつ下品だな」と思われたらその評価は覆せない。

元増田が件の店に悪感情を抱けば狼藉を働くことも自由だと思っているのなら、誰かが元増田の行動に悪感情を抱いて蔑み否定する自由もまた認めなくてはならないからだ。

元増田は、「俺が裏切られた怒りはちゃぶ台返し匹敵する」と思っているのだろう。「俺の怒りは、店員がこの食べ物をモップで片付けて綺麗にする手間とその時給、この食べ物の収穫から調理までの全コスト破棄、この惨状を見た相手と周囲の客の不快な気分、そしてそれを起こした自分に与えられる周囲のあらゆるマイナス評価、それら全ての合算よりもなお尊い」という主張だ。

これに対して、「フェア」に徹するならば誰もがこう答えるしかない。

「お前が公正だと思うんならそうなんだろう。お前の中ではな」

2011-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20110114132413

『無くても持続可能である』というかソフトランディングの可能性は常にあると言わざるを得ない。

「可能性がある」というのは「確率的に記述できる」という意味になると思うけど、可測(初等的に言うと確率ゼロでない)であるという根拠はなに?

数学的には、例えば有理数というのは可算無限しかいから、実数全体という空間の中で考えた確率測度では有理数は非可測(確率ゼロ)になる。有理数という数は存在するけど、確率的には無いのと同じになっちゃうという感じ。)

これは、ちゃぶ台返しをしようが何をしようが、今の状況では資本主義の枠内での変化でしかいからだよ。

資本主義の枠内での変化でしかない」ならば「滅びない」という論理の繋がりがわからない。

成果物けが労働コストや各種のリスクは計れないので只も同然。なんて時代には戻りたくない。

それは願望の話?

http://anond.hatelabo.jp/20110114121618

『必要が無い』というのは『無くても持続可能である』ということかもしれないけど、

俺の主観になるが、最近の『ちゃぶ台返し』というかハードランディング連発って、

資本家が、次の状態に過剰に適応しようとするためにドミノ倒しになっているだけだと思うんだよね。

これが、資本主義宿命なのかどうかが明らかになるまでは、

『無くても持続可能である』というかソフトランディングの可能性は常にあると言わざるを得ない。

選択ミスってんのは人間であって、資本主義構造的欠陥では無いと。

労働金融資本で計り、それをもって取引する行為は滅んだりしない

これは、ちゃぶ台返しをしようが何をしようが、今の状況では資本主義の枠内での変化でしかいからだよ。

成果物けが労働コストや各種のリスクは計れないので只も同然。なんて時代には戻りたくない。

http://anond.hatelabo.jp/20110114120026

横だけど

定期的なちゃぶ台返しの必要ないよ。

これと

そもそも、労働金融資本で計り、それをもって取引する行為は滅んだりしないと思うが?

これを言い切れる論理的な根拠を教えてほしい

『必要が無い』というのは『無くても持続可能である』ということかもしれないけど、

実際上ほとんどいたるところ『ちゃぶ台返し』に到達してしまうような状態空間になっている

んだとしたら、『必要が無い』という言説は意味が無いと思う。

そりゃまぁそういう状態集合も考えられるけど、それ可測じゃないよね。みたいな。

http://anond.hatelabo.jp/20110114111902

利便性をもたらしたのは市場経済であって、資本主義はな

その市場経済に必要な要素である価値の定量化をもたらしたのは資本主義なのだが

おかげで、労働力すら資本で計れる様になったろ?

利便性は双方がもたらしたものであって、それまで成果物しか取引できなかった市場労働金融など目に見えない商品を資本を介して取引できるようにした資本主義は利便的では無いと?

何にしても資本主義モノポリーと一緒でどんどん行き詰っていくシステムになっている

ん?

リソースが有限か無限かと言われれば有限だろうって事は認めるけど、人間はまモノポリーと違って最後の壁を見てはいいし

労働金融資本で計り、それをもって取引する行為がどう行き詰ると言うのだ?

資本主義が何度でもよみがえるのではなく、資本主義が維持されていくためには定期的なちゃぶ台返しが必要となるだけ。因果が逆。

ネタマジレス、カッコワルイ。

定期的なちゃぶ台返しの必要ないよ。

そもそも、労働金融資本で計り、それをもって取引する行為は滅んだりしないと思うが?

まぁ数日のうちに世界が赤く染まったりしたら滅んだりするかもな。

でも、最近の共産圏っても、わりと資本主義の側面があるし。

たぶん、企業福祉の崩壊とか、賃金格差ヤベェって感じての事だと思うんだけど、

それ、資本主義の中でも特定の国でしか見られない(アジアモデルの特徴である企業福祉崩壊と共に超高齢化社会に突っ込んだ)現象ですから

資本主義は大枠でしかいから、ものすごい数のモデル存在するのよ。

現実にあった物、過去にあった物、予言されている物。

あぁ、モデルの変化が急激であればちゃぶ台返しに見えるのかしら?

ほんとは緩やかに変化すれば良いんだけどね。

みんなが新しいモデルに過剰に適応して利鞘稼ごうとするからw。

2010-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20100710183910

それは、資本の集中が起きないほどの再分配を行う国家資本主義国家と呼んでいいかどうかという問題じゃね?

集中を遅らせるだけなら「回避」ではなく「先送り」だろ。

永続性のある先送りならどうだろう。

前にこのように書いたとおり、

そもそも資本主義は指摘の通りの特徴を持つからこそ、

運用にあたっては様々な再分配のための仕組みが導入されるのではないか。

税による再分配は当然のこと、あとは独禁法とか。他は思いつかんが、とにかくたくさんあるだろ。

原理的に集中が起きるとしても、システムを破たんさせてしまうような集中には至らないよう、

先送りするための仕組みを導入するのが「○○主義」の運用においては必須だろう。

攻撃的サッカーといってもディフェンスはちゃんとするように。

そういった運用面を無視して主義の特徴だけで議論すると、

資本主義にも共産主義にも将来性はないのでは。

あれ、もしかすると共産主義は主義の特徴だけで議論すると将来性があるのかな。

個人的には共産主義は嫌いではないのだが、どうも運用面の現実性が無い気がするんだよ。

そこの泥臭い所を無視してロジックを固めても、どうも信ぴょう性に欠けるというかなんというか。

いや、武力によるちゃぶ台返しが起こらない限り、資本主義を掲げる国家が勝つかもしれないが、そこに含まれる大多数の人間社会主義国家の人間より幸福にはなれないだろうということ。

そう、資本主義国家は基本的に競争したら強いよね。そして世界は有限なリソースの奪い合いをしているわけだよね。

国家内で競争を取り除いたところで、国家間では競争を強いられるという状況において、社会主義はどう戦うのか。

国家間で負けても国家内では幸福度が保たれる、というのであればいいのだけど、そんなことは可能なのか。

資本主義国家に生きる身としてはなかなかそれを現実的な話として聞けないんだよなぁ。

社会主義ってのは、外部の国が別の主義を採用して世界的には競争が強いられる状況においても、

ちゃんと成立するように設計されているものなんでしょうか。

資本主義の問題は、つまるところ勝者が次の勝負で圧倒的に有利なポジションを得ることになってしまうせいで、ゲーム煮詰まることなんだよな。

そう、結局はゲームデザインなわけですよ。

んで時間経過とともにゲームデザイン更新されなくちゃいけないんですよ。人も状況も変わるから。

F1レギュレーションもそうだし、サッカーオフサイドとかバックパス禁止とかもそうだし。

そのとき重要なのはF1らしさ、サッカーらしさを失わずに、ゲームを成立させるデザインですよね。

話を戻すと、理念として持つのは「資本主義らしさ」なのか「社会主義らしさ」なのか、と。

それで、その理念が持つ「らしさ」を失わずにゲームを成立させるデザインが必要になってくる。

それをここでは「運用」と言ったわけだけど。

俺としては「資本の(ゲームを破たんさせるほどの)集中が起きないような再分配を行う」のは、

資本主義らしさを失う運用ではないと考えているんですね。で、あなたは違うと。

そもそもご指摘のように「資本主義」という言葉が持つ意味がお互いにずれているわけですよね。

まぁあんまり詳しくないンど得、俺の方がなんか勘違いしているのかもしれない。

つまるところ資本主義とか社会主義とか借り物の言葉で議論するから悪いわけで、

自分理想とする理念は何か、そのために必要な運用は何か、を語るべきなんですよね。

Wikipediaで「資本主義」を調べて驚いた。こんなに違うんかいな。専門家が見れば同じに見えるのかな。

資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」をそのまま回せば、

生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者存在する生産様式」

になるのかもしれず、それだと将来的に破たんするというのはわかる。気がする。

それに対して、「生産手段が少数の資本家に集中し~生産様式」となることが問題であるならば、

資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」を維持するための運用として、そうならないルールを設ける、というのが俺の解釈だったりする。

「それは資本主義じゃないよ」と言われるかもしれないが、

資本主義を「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」くらいの定義としているので、

これも資本主義だと思ってしまっていたりする。

かしこういう風に話を整理すると、日本が一番成功した社会主義国家という説明は正しいのかも。

かつての日本資本主義的な運用はしたけど、社会主義的な理念を持っていたような気がする。

# まぁ詳しいことは良く知らないんだけどねー。

2010-05-05

水俣病の謝罪がなかったことにされてる件

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100504/p1

これのぶくまではあたかも自民党時代に謝罪がなかったかのようなコメントがあるがそれは間違い。小泉内閣のときに最高裁判決の後謝罪の談話が出てるし、自社さ連立の村山内閣のときが初の謝罪だった。慰霊式に出席したのが初めてであって謝罪は初めてではないし、ついでにいうと水俣病被害者救済法が成立したのは麻生政権のとき。「あらためておわび」と言ってるのになぜ初の謝罪と思っちゃうのか不思議でしょうがない。水俣病のように普天間ちゃぶ台返しせず自民の正の遺産を引き継いでおけば民主党政権の手柄にできたのに残念だったね。

2009-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20091207143049

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049

かなりブクマがついたので、少し答えておきます。とりあえず、コメントには感謝

anigoka はてサという括りが適当かどーかは知らんが、流れは大体あってる気がする 深刻な問題を肴にすぐ言葉遊びに変えてしまう恒例の面子も勢揃いしてるし  

出てくるメンツが、シートンからhokusyuに飛んで、Apemanも言及しているので、フェミにはてサが乗っかったと見た方がいいでしょう。それだけではないのでしょうが、そう割り切った方が分かりやすい。

JuliusCaesar 漫才だと思えばよかったのか。しかしハリセンの代わりに木刀を持っている奴がいては笑えない。

漫才だと見れば、無駄ヒートアップしても落ち着けるんじゃないですかね。アハハと笑って、あほくさーと捨てればいい。

zaikabou 『どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから』それで毎回毎回これだけ巻き込むんだから凄いよね、みんなわかってるはずなのに。優秀優秀

結局、例の背理法の使い方が典型的なんですけど、一見「論理的に正しい」から、いい加減に読んでるとそれが正しいと普通は思い込んでしまうんですよ。でも、おかしいことはおかしい。今回のは、そのいい例になったんじゃないでしょうか。

kowyoshi 結局、増田は曽野の味方になりたいの?はてサを叩ければそれでいいの?

はてサは叩かれてしかるべきだと思っていますが(上述のように、見かけが論理的で錯覚しやすいので悪質)、曽野綾子エッセーもただのダボラだと思っています。これを書くと中立を装うなとか言われてしまうんですが、そんなつもりはないです。

filinion 最後の左翼うんぬんはさておき(部分否定と全否定の混同はむしろ詭弁の基本。戦前統帥権論理も「踏み絵パターン)、タイトルには首肯せざるを得ない。うかつに触れると大変なことになるのが今回よくわかった。

はてサが絡むので最後にちょっと左翼に触れたのですが、詭弁で煽るのは右左同じでしょうね。

atawi 今回はもうげんなりするばかりだった。コミュニケーションってなんだろうね?

最初から無理な話なんですよ、ネットコミュニケーションをとろうとするのが。まず諦めから入ったほうが、もめてもともとだから気楽じゃないですか。

rinsenan まあ保守な方々にタイトルのような分別がなかっただけのハナシですね。

あの方々はああいうことを言いたがりますよね。

Arturo_Ui 「理屈だけたどるとはてサ・フェミの方が正しい」が、レッテル貼って見下さなきゃ自尊心が、ってか。不毛だな//で、NaokiTakahashi氏だけ「さん」付けは何故?増田は陵辱エロゲ予防拘禁の対象にされたくない、とか?

いやいや、エロは好きだけどエロゲ趣味はないです。でも、NaokiTakahashi「さん」なんて、はてサにはもうあからさまにバカ扱いされてますよ。なんか、ひどいですよね。見てられない。

white_rose なぜか上から目線ヲチスレあたりに出入りしてそうな印象

munyuu ウォチスレから出張乙であります!

ヲチスレにはいません。2ちゃんは見てないです。今度の件でいくつか記事を読んだら、大体見当がついたというだけです。「いつものやつだ」と思いました。

gokino2 「どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから。」<いや、俺らもその流れの中で毎回楽しんでるからいいよ。実を言うと今回(罵ってる相手含め)いろんな人の人間臭さに親近感を覚えたりもしたんだ。

うーん、楽しんでるならどうぞという感じですが、もうちょっとカゲに隠れてやって欲しいな。無理なんでしょうが。

koisuru_otouto 曽野綾子とそのデッドコピーである増田みたいなのが「性犯罪者が悪い」って最初に流してるのは そうしないと善人として被害者説教できないからでしょう。レトリック返しをしなくても、そもそも自衛教自体が屑だし

エントリの追記になるんですが、これもあのエッセー誤読の典型です。曽野の意図としては「被害者説教」しているのではなくて、「まだ被害にあってない女性」に対して「用心せよ」と一席ぶっているのです。もっとも、被害者を例に出してますけどね。話がずれる原因の一つはこれです。

Francesco3 「もちろん決定的に悪いのは犯人」「もちろん襲った米兵が悪い」<これ書いときゃどんな暴言も許されるって勘違いしてるだけだし、悪いとおもってたらそもそもあんなこと書きません。

これしきのババア説教が、それほどの暴言になりますか。大きく見せて喚きたてるのも程々にした方がいい。あなたの言ってることは、あまりにも強引です。

Midas 増田は甘い。問題はむしろ「なぜそこまでザルな意見にバカ女どもはカチンときてるのか」「なぜバカ女のデタラメ感情論にエセ左翼は騙されてるのか」彼らは今回1線をはっきり超えた。修復不可能なとこまでいくだろう

あははは。修復不可能なのは毎度のことですよ。「エセ左翼」が騙されるのは、それが単に思想的・政治的なポジショントークだからで、これも毎度のこと。今回に限ったことではないと思いますよ。

hiruhikoando というよりは「曽野綾子に絡まない方がいい。(言っていることを)議論するだけで徒労」だと思うのだが。

それ、まんまフェミとはてサに言ってやってください。

namawakari イデオロギー批判って便利ですね、本音ダダ漏れでも支持してくれる人がでてきてくれるし、何か言った気になれる。/「あいつらは左翼とフェミだから」という切断をして「常識」を保存して、それでいいのかねえ。

常識」を覆すのにせよ、こんな無駄な議論の混乱は必要ないです。だいたいそれで損してるの、「はてサ・フェミ」の人たちでもあるんですよ。

k-5t 説教レベルに落とし込んで「説教だからあれはナシ」は都合良すぎる、ナシにはならんだろ。曾野をピエロに仕立て上げて一緒に踊っているサヨクまでピエロに見せちゃうっていうちゃぶ台返しレトリック」にみえるな

最初から「説教レベル」の話を大きく見せるところに間違いがあったんですよ。言葉を借りると、この件では曾野綾子なんて最初から「ピエロ」。「ピエロ」にキレるフェミ・はてサが「ピエロ」になって、ついに漫才化するのは当然なんじゃないでしょうか。レトリックをもちだす必要はないと思いますよ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049

k-5t サヨクがこの痛いババアを餌にウヨク叩きしたいだけなんじゃねえかって意見ならわからんでもない。もう少しストレートに書けよ。

ま、一言で言ってしまうとそうですよね。で、みんな好きなんだなあ、こういうネタが。

gokino2 念のためいっておくが、増田微妙に曽野擁護論には賛成できない。あれはただのババア説教レベルじゃないから。これに近い認識ババアが実際に結構いそうなのは同意するけど。

あ、曾野綾子を擁護する意図は全くないです。でも、こんな猛烈な議論のきっかけやネタにするほどのもんでもないでしょう。「これに近い認識ババア」たちの若い女性に対する嫉妬には、鼻で笑って颯爽と歩いてる方が女性として素敵だと僕は感じるんだがな。まあ、それはともかく、下らないネタには、下らないなりの対処レベルというものがあるんじゃないのと思いますね。

再び前のはてブに戻って。

hobbling 私はボケた婆さんの繰言をまともに扱っても仕方がないと思うが、日頃ストレスを受けてるなら過剰反応する人もいるだろうね。嫁姑の争いを見ている旦那の気分。

「嫁姑の争いを見ている旦那の気分」、お見事。

2009-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20090714162246

増田は「空気を読む」ということをちょっと軽く考え過ぎてるきらいがあるな。

軽く考えてない。

むしろ重いと思うからこそ、好みの問題程度の物を「空気読む」で束縛するのはおかしいんじゃないか、って言ってるんだよ。

 

会議中に騒がないのは一般常識であって「空気を読む」ことではない。

おお、これは確かに例が悪かったな、例を以下のように変更する。

会議中に決定した内容をその決定する瞬間ではなく、会議の終り際に突然ちゃぶ台返しをするような発言を言う。

その時に「空気読め」(決める事は今はそこじゃないだろ、状況を見ろ…という意味)と言う。

この場合は「厳密に決めごとをしなければいけない状況」だから「空気読め」と束縛出来る訳。

 

それに比べて、今回の増田の例。

山手線がなかなか来なかった愚痴 → 遅れた理由の詳細情報オタクが言った」

そんなにギャーギャー騒ぐほどかけ離れた会話か?厳密に決めごとしてる訳でもないだろ?

そもそも、これがオタクじゃなくて一般人が「昨日のTVで見たんだけど、それって……が理由なんだってさ」っていう内容だったらどうなる?

同じように空気読めてないって言われる?多分、言われないだろう、そういう事だ。

 

よくよく内容を見れば、実はオタクかそうでないかなんて関係ない「人間関係」の話なのに、なぜかオタクだけを名指しで批判する。

結局、ただ単にオタク排除したいだけだろ、って見られても仕方ないよこれじゃあ。

 

>わかりやすく言うと、オタのコミュニティ一般人が入り込んで『萌えキャラきめえwww』とか言い出したら空気読めないことになる。

これって、どう見ても相手の会話を意図的に遮断しようという「悪意」があるよな?

これは人格的に問題があるだけであって「空気読めてない」以前の問題。 こんな例と一緒にしてはいけないよ。

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

2009-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20090419003303

国家として戦争責任を引き受けることによって免罪された人は多くいたわけだが、それをいまさらちゃぶ台返しなんて通ると思ってるのかってことだ。

2008-11-27

ゲームディレクターサラリーマン

自分が見た範囲での話だけど、

ゲームを作ってるディレクターって

結局はサラリーマンなんだなーって思う。

映画の場合の契約ディレクター監督)とは

ちょっと違うのかなと思う。

ゲームディレクターには上司がいて(部長とか役員とか)、

上司には容易にさからえない。

それが仮に、ゲームをよりよくする

内容だったとしても。

「ここ、●●な内容の方がおもしろいよ」と役員が言えば、

その方向の修正になって、ゲームの内容もぐしゃってしまうんだよね。

(統一感がなくなってしまう)

そもそも面白さなんて理屈で説得できない。

仮にマリオフラワーを、

ファイヤーを吐くトリガーが花っておかしいだろ。たいまつに変えてよ」

と上から言われたら、花の必然性を説得するのって難しいよね。

だって、上司の言うことは理屈的には合ってるんだもの。

(もちろん、面白さと理屈は別)

しかも、センスがない役員に限って色々と首をつっこみたがる。

ちゃぶ台返し」的なやり直しをしてくる上司もしばしば。

自分宮本さん気分なのだろうか。

ゲームディレクター映画監督みたいに、

外からフリーの人を引っ張ってきて、その監督に全権を委任する

ような形じゃないと、この先イイものができない気がする。

いかに作家性のある監督権力を与えるかがポイント

なんじゃないかな。

2008-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20080813012003

そもそも、経営学は「全体」について考える学問じゃないんと思うんだよね。

たとえば、一時流行った「ブルーオーシャン」なんて、要するに「独占寡占は美味しい」という話だし、

経営学的発想とは、いかにして競争を回避し超過利潤を確保するかという課題への取り組みでもあるわけ。

それに対して、時に独占へ介入するなどして経済競争的に保ち、社会全体の効用の最大化を目指す

というのが一般的な経済学の姿。とりあえずこの両者は別物で、だからこそ別々の学問として定立している事がわかる。

経営学社会全体について語る物」という誤解から、トリアージだからホロコーストだみたいな

品のない暴論が飛び出したんだけど(まあ仮に全体について語る物であったとしても噴飯物妄想だよ)、

要は「トリアージ経営学として社会全体に敷衍し全体主義社会へ」という決めつけは、最初から矛盾を孕んでいたんだね.

誰かさんセリフを借りれば「ちゃぶ台返し」的に、立論の第一歩から間違っていたわけ。

この騒動の流れ的に言えば、通俗的な女性イメージや、トリアージという命の係わるデリケートな問題を

公開の記事にした点で(あるいは実名blog顧客侮辱するという失策をした点で)、件の先生が各方面へ

お詫びに追い込まれたりして、その点は既に決着がついているから十分だと思うけど、そこへ何を勘違いしたか

「あ??こいつなんか弱ってそう、俺様知的関心のいい餌食だやっちまえ」的な勢いで、マニア的な屁理屈

大した検討もなしに相手をナチ呼ばわりした馬鹿者がいたという話だね。

知的誠実さどころか新書レベルの知識もなしに、よくまあ他人様をナチ呼ばわり出来るなと呆れるばかりだけど、

実際海外掲示板だと相手をナチ呼ばわりした時点で議論のルーザー認定されるとも聞くし、まあそんな事はどうでもいいか。

2008-08-11

あのさ、続きやる為に2chスレ誘導するんじゃなかったの?

他人に要求しておいて自分は平気でそのルールを破るなんて中々面白い人だね。

http://anond.hatelabo.jp/20080811045938

無い知恵絞るのをやめて、他人様のblog↓(それとも本人?)のアイデア拝借したんだろうけど全く駄目。

http://b.hatena.ne.jp/entry/8708498

色んな例で述べたように時間も有限な資源の一つなんだよ。1日48時間ほしいなんてセリフよくあるよね?

もし時間無限なら、全ての患者にいくらでも労力を割くことが出来る(まあ時間寿命までだから患者も苦痛はあるが実質死ないんだけど)。

経営判断も同様。周到なマーケティングシミュレーションに際限なく時間を掛けられのであれば、事業リスクは大幅に低下する。

しかし現実はそうではないから、相対的に効率的で相対的に迅速で相対的に効果的な判断の方法が要求されてくるわけ。医療でも経営でもね。

つまり、これらは相変わらず資源の有限性に促された、経営学的・経済学資源の最適配分の実践に過ぎない。

トリアージはそうした資源の有限性への対処という課題を、印象的に切り取ってみせる希有な例。

何より件のエントリーブコメでも、筆者の含意をちゃんと理解した初学者以前のギャラリーが沢山いたんだしね。

というより、トリアージ現場で本当に足りないのは時間じゃないんだよ。

君を含む多くの人が「救命医療・人命に関わる問題にリソースを」と主張するように、マンパワーの頭数から訓練・研修のチャンス、

機械・設備や資金、従事者のケア等色んな物が足りない。そういう大状況があって初めてトリアージのような限界的な現象が生まれるわけ。

もし災害発生と同時に十分な医師コメディカル派遣し、被災者医療拠点へ高速輸送・収容、物資設備の供給も十分という

状況であれば、全員に平時と同じだけ治療を施せる。しかし当然そうした是正には有限なリソースパイの再分配という壁がある。

言ってみれば、今も国民自身の選択として日々命の「切り捨て」が進行中なんだよ。

結局、依然としてトリアージ的発想はこの世の現実ちゃぶ台返しどころか釈迦の手の平なんだね。

抽象的な考えを苦手にしている(具体例の知識にも乏しいが)のはこれまでで十分理解したけど、相変わらず酷いよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080810210828

>だから「有限」と「足りない」は違うw

じゃあ不老不死でも病気なるみたいなバカ話に戻る?

一度物やサービス資源使用に何故価格なり税金なり規制が付き物だったりするのか、

そして時にそれらが高低強弱上下に変動するのか、理由を考えた方がいい。

まあ「あたまがわるい」から難しいかも知れないけど。

ご都合主義乙。

翻訳すると「反論出来ませんごめんなさい」という事だよね。

前の「お前は原理主義資本主義者だ!」とかいう意味不明逃げ口上と同じだ。

逆選択Wikipediaに載っているはずだから、迷惑も顧みず必死に暴れる暇が有れば調べておくべき。

一応経済学経営学勉強したいなんて殊勝な事言ってたんだしさ。FRBの声明はどこかの経済記事もされていたはず。

企業の全てが利益の最大化を単一目的としてはいない、と書いたんだが。

>本店をつぶしたほうが利益が出る場合でも、本店をつぶさないことがある。

>それは君の中の企業像であって、オープンソースのような形である程度共存共栄を図ってる企業もあるよ。そりゃ競争原理は働いてるけども。

経営陣の倫理観の話では絶対にありえないと思い込みたがる君の世界観不思議だ。

そこはお仲間とおぼしきサヨクの皆さんが全否定してくださって(企業利益追求が本業ではないとの

分裂勘違い劇場さんの言明に対し、山ほどある食品偽装を前に企業モラルに何を期待しているの?具象的にも

抽象的にも企業利益追求が本業、みたいな反論)いるから、安心して論破されたと認めていいよ。この助言は二度目。

例外は原則を覆さない、あるいは一見例外的に見えるような現象も実は原則に沿ったものだったりする、だってさ。

たとえばそちらが必死に拘泥して得意になっている「一見」利益にならない本社の維持でさえ、

従業員モラルブランド価値、地域地盤といった経営上の判断が必然的に絡んで来る。

限界的な例を考えれば話はもっと簡単。もし利益を追求しない事によって恒常的に売上高比数百%を

上回るコストを強いられる場合、その企業は赤字、ひいては倒産を強いられる「倫理的」選択を自ら進んで行うだろうか?

もちろんそういうダメ企業は潰れる方が世の中の為になるし、そうなるのが現実でもあるから、どっちでも構わないんだけどね。

まあ君は自称ネオリベらしいから、倫理を専ら企業任せにして公害なり偽装なりが横行しても何も気にしないんだろう。

>ということにしたいんだろうなあ。なるほどそんなごまかし方があったのか。

何なら迷惑顧みずに説明力の例をブコメから大量引用しようか?そうやって意固地に現実を認めないから、

ここのリソースを食いつぶして迷惑掛ける結果になっているんだけど、少しは反省しようよ。

>(追記)書き忘れてたけど、「自分の知能の希少性を思い知る」という表現は、希少性という単語の使い方をちょっと間違ってると思う。

それはそっちが自分で認めたように経営学経済学一般を知らないからだよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E5%B0%91%E6%80%A7

述語というのは文脈により意味を変えるの。なんでそうやって恥を上塗りしたがるのか理解に苦しむ。

でまあ、そちらの必死の抵抗にもかかわわらず、流れは最初から何も変わってないから、まとめ的には↓のままでいいね。

http://anond.hatelabo.jp/20080810205804

トリアージ的な、資源制約下の選択という問題はこの世界普遍的な現実です。

・一般的に言えば、トリアージ的な資源の最適配分の積み重ねが「かわいそう」な人を(短期的にも長期的にも)最も少なく出来る。

資源制約下の最適分配・資源の効率的運用という経済学的・経営学課題の例としてトリアージは有効。

企業の効率追及を、行政政治の再分配と混同して語るのは間違い。

トリアージからナチズムの危険を導出する事は妄想

・「不謹慎」などと言い出した側が、個人に徒党を組んで見苦しい粘着を続けるのは自家撞着。


それにしても、あれだけ経済学経営学に対する無知や理解力の無さを晒し上げられてフルボッコされたのに、

未だに虚勢だけは一人前というのが凄い。たぶん「自分はいわゆるはてなサヨクの一員だ」的なペラペラ

帰属意識に支えられているんだろうけど、素直に彼らに通報して助けを求めた方が格好付くかも知れないよ。

ただ指摘済みのアイデア剽窃の試みは完全に失敗したようだし、目利きの能力もなさそうなのが何ともね。

まあ壊れたレコード状態で生産性ゼロの君だから、このまま頬被りにするのが一番じゃないかな。

苦情を受けて移転を提案した以上、この件でのこれ以上の無駄で見苦しい蒸し返しは控えるべきだよ。

どうしても無意味な悪あがきを続けたいなら、黄金律に従って2chスレ立て誘導するんだね。

2008-06-20

いっそプログラマも権利者団体を作ってHDDからお金をもらうべき

「タイムシフト目的の録画でも、製作者にフィードバック必要」――映像ソフト協会 - ITmedia News

「ダビング10を人質になどしていない」「メーカーは“ちゃぶ台返し”だ」 権利者団体が会見 (2/2) - ITmedia News

プログラミングもどう考えても文化的でアーティスティックな行為だから権利者団体があってもいいよな。そしてプログラミング文化を守るために、自分が作ったプログラムが売れる売れないに関わらず、HDDから補償金を徴収して権利者団体を通じて収益を再配分すべきだよな。もちろんシステムバックアップも1回ごとに課金しようぜ。

2008-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20080319135220

あー、たぶんそのクライアントは「やりたいことがない」んじゃなくてさ

「やりたいことが見えてるんだけど表現できない」んだと思うぜ。

だからこそちゃぶ台返しとかも使ったんじゃないか。

だって、人をいじめるためだけに依頼して金払って時間使ってちゃぶだい返し!なんて、なんて相当な労力だぜ。

そこで諦めるのは増田にとって損じゃないか、もうちょっとクライアントと話してみたら?

2008-03-18

ネギ

細かく刻んであるのが好きですか?

それとも、おおざっぱに刻んであっても美味しく食べてくれますか?

ちなみに、私は2mm幅以内で刻んでもらわないとちゃぶ台返しちゃいます。

2008-03-06

分裂勘違い劇場小学生でした。ごめん!」の真意

いったい、何人が気づいているのかなー。

ボクも、弾氏も、「小学生が意地はっちゃって、ごめんなさいが言えなくなっちゃってる状態」だ - 分裂勘違い君劇場の真意にね。

みんなにこっそり教えちゃうけど、実は、分裂君はね、空気の操縦者なんだよ!!

「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し - 分裂勘違い君劇場

(4)空気の操縦者:空気を読み、乗りこなせるだけでなく、空気を操ったり、支配できる人。サーファーの乗る波を自ら作り出す人。(ケネディーとかヒトラーとか)


分裂君が劇場で一言言えば、おまいらなんて簡単に釣られちゃってるじゃん プギャ━━━━≡≡≡≡≡⊂`⌒m9^Д^)⊃━━━━!!!!!!

どんだけつられまくってんだよwwww

まあ、分裂君は、そんくらい空気を操っっちゃうってことだね!!おまいらは悪くない!分裂君がすごいだけ!僕も何回も釣られてるしね!w



じゃあ、さっき言ってた真意を教えちゃおうか!!

ブクマコメントみてると、「卑怯だ!」とか「ハイハイ ワロスワロス」とか否定的なの多いねーw

まあ、そんなあなたは間違ってないよ。

でも、分裂君の手の上で転がされていると見て、間違いないねw 

分裂君はね、ちゃぶ台をひっくり返しても、ちゃーんと掃除できるように返してるんだよ!

今まで何回もちゃぶ台返してるじゃん!!

でもね、意味のない返し方はしないのさ!!

今回のエントリさ、たて読みとかしないで普通に読んでると、いつもと違う、ちゃんとした言葉で謝る分裂君がいるよね。

今頃、ようやく気づいて、もう手遅れかも知れませんが、

id:reponさんとid:sync_syncさん、いろいろ失礼なこと書いて、すみませんでした。

何か、根本的なところで、ボクは間違っていたようです。

ボクはほんとうにダメ人間です。

いまさらながら、ようやく気がつきました。

心から反省し、深く、深く、お詫び申し上げます。

<(_ _)>

というわけで、

reponさんとsync_syncさん、

重ね重ね、今までの失礼、ごめんなさい。

今後は、もっとちゃんと礼儀をわきまえてエントリを書くようにしたいと思います。

もちろん、未熟者が一夜にして成熟する、なんてことはありませんから、

実際には、今後も失礼なことはいろいろしてしまうんだろうけれども、

そういうことが極力無いように、心がけていきたいと思います。

ほんとうに、すみませんでした。

<(_ _)>




分裂君はね、本当に反省してこの文を書いたんだよ。彼はね、本当は小学生なんかじゃないんだよ!!

本当の小学生は、「間違ったことにごめんって言えない人」なんだよ!!

本当の小学生だったら、こういうときは、「開き直って言い訳始める」とか、「怖くなって逃げちゃう!」とかしちゃうものなの。

でも、彼は正々堂々みんなの前で、自分の言葉で、「ごめんなさい。ぼくはしょうがくせいでした」って言ったじゃん。

それはね、小学生じゃなくて、ちゃんとした大人だから言える言葉なんだよ。

しかもね、彼はね、「ごめん!」を言っただけでなく、彼のマッチョな友人「ダンコーガイ」にもお土産を残していった。

今回の件はね、そもそも、分裂君はあんまり悪くないわけさ。でも、声の大きなものとして、あおってしまった意味で、罪はある。

それを今回は謝っているよね。

でも、もともとは、ダンコーガイの失言「repon氏の年収分を賭けてもいい」が原因なわけさ!これは分裂君も暗に言ってるけどね。(http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080305/1204689891

いくら強調したいとはいえ、公の場での発言としては配慮が足りないよね。

だけど、どうも話がこじれて、そのダンコーガイの揚げ足を取るようになっちゃってきて、しかも、お金とか祭りが好きなヒトまで乗っかってきちゃって、ダンコーガイがなんとも出にくい雰囲気になっちゃったわけさ。

だから、ある意味共犯者の分裂君がダンコーガイに助け舟を出したのさ!

先に謝る人がでれば、次に謝る人も出やすいからね!!

さっすが!!大人は違うね!!!


さて、この真意を汲み取った上で、マッチョ小学生ダンコーガイ」がどう反応するのか、とても楽しみ

分裂君は小学生であることを認めたことで、みんなに「私は小学生とは違うのだよ、間違えたときは素直に謝るのだ!!ハッハッハ!」と見せつけ、さらにdankogai氏を応援するという小泉さん顔負けの「劇場」を見せてくれた。

ここまできたら、分裂君はもう完全に風を操るナウシカだね!

「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し - 分裂勘違い君劇場ナウシカのことも書いてあるよ!この場合は、実際のキャラクターのほうだね。映画ナウシカだと思ってる君は、漫画を読んだほうがいいよ!全然意味違うから!)

「404 Blog Not Found」は今も更新を続けているので、「ダンコーガイ」がこの騒動に気づいていないわけがない。

「ごめんなさい><」って言うのをためらっているのか、

「おまいらザコにごめんなんか言わないもん!」って開き直った小学生なのか、

それとも、「ごめん!」を言った上でさらっと福沢諭吉も出しちゃう男前なのか、

はたまた「ごめん!」しつつも「でも、そんなことでは払いたくないの。○○やったら払ってもいいかも!」とか言い出しちゃうのか!

とってええええも、楽しみ

そろそろなんか言うんじゃないかなー?小さい傷も、早く手を打たないと致命傷だよ!

ってことで、じゃあ、召喚呪文唱えちゃいますか!!


せーの、、、

ググレカ・・・じゃなかった、

「教えて、ダンコーガイ!!」

2007-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20071021204315

まともな経済論戦やるつもりだったんかな?

でも頭が弱くて無理だったので、最後には差別発言ちゃぶ台返し、と。

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